『孤軍』秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンド

『孤軍』秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンド

    商品のポイント

  • ●180g重量盤 完全生産限定盤
  • ●オリジナルLPを可能な限り再現したジャケット
  • ●初発売時のLP帯復刻
  • ●初発売時のライナーノーツ復刻:児山紀芳
  • ●ライナーノーツ:岡崎正通
  • ●2019年最新リマスター音源使用
発売日:2024年12月25日
価格:¥4,400(税込)
品番:SIJP-1124
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収録曲
  • Side 1
  • 1. エレジー
  • 2. メモリー
  • Side 2
  • 1. 孤軍
  • 2. アメリカン・バラッド
  • 3. ヘンペックト・オールド・マン

ニューヨークを拠点に世界で活躍する日本人ジャズ・ピアニストの先駆者で、アジア人女性としてはじめてアメリカでジャズの殿堂入りをするなど、ジャズの発展に多大な貢献を果たした作曲・編曲家でもある秋吉敏子。

今年9月の来日公演では愛娘であるMonday満ちるとの共演も実現。12月には95歳を迎える今でも現役として活躍を続けている。伴侶であるサックス&フルート奏者、ルー・タバキンとは1967年に出会い、1969年に結婚。1973年に秋吉敏子=ルー・タバキン・ビック・バンドを結成以来、30年余にわたって同じバンドで活動。ビッグ・バンドとしては2003年に活動を終える。ルー・タバキンも現役としてトリオを中心に独自に演奏活動を続けている。

『孤軍』は1973年に秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドを結成し、翌年の1974年に満を持して発表したバンドのデビュー・アルバムにして、代表作のひとつ。

双頭カルテットを編成してロサンゼルスのクラブなどに出演していた秋吉敏子とルー・タバキンが、西海岸の腕利きプレイヤーばかりを集めてビッグ・バンドのリハーサルを始めたのは73年の春頃のこと。スタジオ・ワークに多忙をきわめていたウエスト・コーストのトップ・ミュージシャンたちにとっても、真に創造的なオーケストラで、それまで聴かれなかったような未知のサウンドを作り上げてゆくのは、経済的な面を超えても魅力的なものであったに違いない。初めは手探りの感じでスタートしたリハーサルも、半年ほどでレギュラー的なプレイヤーが決まり、メンバーたちがリーダーの意図するところを理解して1年後にはどんな一流バンドにも負けないような素晴らしいビッグ・バンド・サウンドを聞かせるようになっていた。まさに機が熟したといった感じで制作されたのが本作。タイトル曲の「孤軍」は和と洋の文化を組み合わせたサウンドで大評判となり、その年のジャズ界の話題をさらった。秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドはその後も2003年に活動を終えるまで数々の名盤を発表。

今年12月25日にソニー・ミュージックから発売50周年を記念して『孤軍』をアナログ盤で再発。カッティング・マスター制作からスタンパー製造、そしてプレスにおよぶアナログレコードの生産工程をすべて、ソニー・ミュージックレーベルズグルーブで行っている。

秋吉敏子&ルー・タバキン・ビッグ・バンドの
代表作7作品が全世界ストリーミング解禁!!

秋吉敏子&ルー・タバキン・ビッグ・バンドの代表作7作品が全世界ストリーミング解禁!!

アナログ盤の発売日と同じ12月25日に『孤軍』を含む秋吉敏子&ルー・タバキン・ビッグ・バンドの初期の代表作7作品の全世界で配信開始となる。

ビッグ・バンドに日本の伝統邦楽を取り入れたこの時期のアルバムは、いずれも秋吉敏子のキャリアを代表する重要作品ばかり。

各種ストリーミングサービスとダウンロードサービスで試聴/購入が可能。ハイレゾ対応ストアでは全曲ハイレゾ音源も配信される。

ストリーミング対象サービスはApple Music、Spotify、LINE MUSIC、YouTube Music、Amazon Music、AWAなど。

ダウンロードサービスはiTunes、レコチョク、mora、をはじめとする各ダウンロードストア。
海外でも配信 ※一部地域除く

秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンド
(TOSHIKO AKIYOSHI – LEW TABACKIN BIG BAND)
世界初配信の7タイトル

『孤軍』 (KOGUN) [1974年作品] 『孤軍』 (KOGUN) [1974年作品]
1973年に結成した秋吉敏子&ルー・タバキン・ビッグ・バンドが満を持して翌年の1974年に発表した記念すべきデビュー・アルバム。
自身の文化的ルーツを強く反映したデューク・エリントンの音楽に触発され、鼓(つづみ)の採用やフルートの和楽器的演奏によって、日本の伝統邦楽とビッグバンド・サウンドが融合。
ルバング島で発見された小野田少尉を題材にしたタイトル曲の「孤軍」は大評判となり、その年のジャズ界の話題をさらった彼女の代表作のひとつ。
ジャズ専門誌「スイングジャーナル」の第8回(1974年度)のジャズ・ディスク大賞で銀賞受賞。
『ロング・イエロー・ロード』 (LONG YELLOW ROAD) [1975年作品] 『ロング・イエロー・ロード』 (LONG YELLOW ROAD) [1975年作品]
今作も秋吉敏子の代表作のひとつで、今でもステージで披露されることの多い「ロング・イエロー・ロード」を収録したセカンド・アルバム。
タイトル曲は、生誕地、旧満州の情景を重ねて、黄色人種である秋吉敏子がアメリカ・ジャズ界で歩んできた長い道のりを表現した名曲。
『花魁譚』 (TALES OF A COURTESAN (OIRANTAN)) [1976年作品] 『花魁譚』 (TALES OF A COURTESAN (OIRANTAN)) [1976年作品]
江戸時代の昔の吉原の遊女の明暗をサウンド化したタイトル曲はルー・タバキンの絶妙なフルート・ソロと秋吉の色彩感溢れるアレンジで大きな話題となった。
秋吉敏子が目指した和製ジャズを象徴するナンバーといえる力作。
『ロード・タイム』 (ROAD TIME) [1976年作品] 『ロード・タイム』 (ROAD TIME) [1976年作品]
1976年1月、秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドの記念すべき初の凱旋公演を収録したライヴ盤。
世界最強のメンバーを従えたバンドの実力、魅力を余すところなく捉えたライヴ盤の代表作。
『インサイツ』 (INSIGHTS) [1976年作品] 『インサイツ』 (INSIGHTS) [1976年作品]
水俣病の悲劇を表現した大作「ミナマタ」での衝撃的な音作りが話題をさらった。国際的な評価も確立した、ジャズ史上に残る名盤。
ジャズ専門誌「スイングジャーナル」の第10回(1976年度)のジャズ・ディスク大賞で金賞受賞。
『マーチ・オブ・ザ・タッドポールズ』 (MARCH OF THE TADPOLES) [1977年作品] 『マーチ・オブ・ザ・タッドポールズ』 (MARCH OF THE TADPOLES) [1977年作品]
人生のパートナー、そして卓越した管楽器奏者であるルー・タバキンをフューチャアした作品。
秋吉敏子のアレンジャーとしての才能が最大限に発揮された、総勢16名のフル・バンドによるアンサンブルは圧巻。
『ニューポート'77』 (LIVE AT NEWPORT '77) [1977年作品] 『ニューポート'77』 (LIVE AT NEWPORT '77) [1977年作品]
1977年6月29日のニューポート・ジャズ・フェスティバルの実況録音盤。
史上最強のリード奏者を従えた秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドによる熱狂と興奮のライヴ・パフォーマンスを収録。

【バイオグラフィ】

秋吉敏子

秋吉敏子

1929年12月12日、旧満州、遼陽生まれ。ニューヨークを拠点に世界で活躍するジャズ・ピアニスト、作曲・編曲家。

1946年からジャズを演奏し、1953年に来日したオスカー・ピーターソンに認められてヴァーヴ・レコードへデビュー作を録音。1956年に渡米、バークリー音楽院に奨学生として入学。ニューヨークで活動したあと西海岸に移って、1973年に秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドを結成する。以後30年間にわたってビッグ・バンドを運営したほか、トリオやカルテットなどのコンボ演奏も続けて、今日まで精力的な音楽活動を繰り広げてきた。

1997年に紫綬褒章受章、2004年に旭日小綬章受章。米国では1999年に日本人初の「国際ジャズ名声の殿堂」入りを果たしたほか、2007年に米ジャズ界最高の名誉とされるアメリカ芸術基金主催「ジャズマスターズ賞」を受賞。2016年、ニューヨークで音楽生活70周年を記念して一夜限りのビッグ・バンド・ライヴをリンカーン・センターで開催。広島から委嘱されて作曲した「ヒロシマ~そして終焉から」の中の〈Hope(希望)〉は、世界から争いがなくなるまで弾き続けると強い決意を持って演奏を続けている。

ルー・タバキン

1940年3月26日、ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。世界的なジャズ・テナー・サックス、フルート奏者。

ハイスクールでテナー・サックスを手にし、ニューヨークに出て1966年にメイナード・ファーガソン・バンドを振り出しに、サド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラ、デューク・ピアソン・ビッグ・バンドなどでプレイ。1967年に秋吉敏子と出会ってカルテットを結成、1969年に結婚。1973年からは秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドのソロイストとして活躍、以降30年間オーケストラの成果に大きく貢献した。

豪快なテナー・サウンドで人気が高く、現在も自身のトリオを中心に精力的な演奏活動を続けている。フルートでも現代最高峰の一人であり、1980年、1981年、1983年、2010年に米ジャズ専門誌「ダウンビート」主催の国際ジャズ批評家投票でフルート部門の第1位に選出されている。