心に降り止まぬメロディ。70~90年代の雨にまつわるJ-POP名曲集!
● 日本初!「雨」にまつわるJ-POPだけをセレクトしたBOXセット。通販でしか手に入らない貴重品!!
● 雨の日に聴きたくなる、センチメンタルなバラードを中心とした心に響く楽曲をセレクト。
● 「最後の雨」「レイニーブルー」「雨」等、カラオケの人気曲、「赤いスイートピー」「恋人よ」「初恋」等、
誰もが知っているお馴染みのヒット曲をメーカー/レーベルの枠を越えてCD 4枚に18曲ずつ収録。
● 70年代~90年代の時代を超えて愛される男性/女性ヴォーカルナンバー36曲ずつバランスよく収録。
● それぞれのディスクのブックレットには収録全曲の歌詞と解説(Text by 長井英治氏)掲載。
● 気分やシチュエーションにあわせて聴けるよう、各曲をテーマごとにディスクに振り分けて収録。
何故、雨の歌には心に響く名曲が多いのか?
世界の気候区分的に日本は温暖湿潤気候に属しており、比較的雨が多い国であるせいか、歌詞の中に雨が登場するJ-POPは少なくない。そしてそれらは心の琴線に触れるような名曲が多く、時代を超えて愛され続けている。恐らく人々の生活に密着した「雨」という天気の神様のいたずらが、それぞれの物語をドラマティックに、それぞれの感情をセンチメンタルに歌の世界を彩っているからである。ここに登場する『雨の歌~J-バラード~』は70~90年代の雨にまつわる名曲や、歌詞の中に雨が登場するヒット曲でバラードを中心にCD4枚組、全72曲収録。雨の日にはもちろん、春夏秋冬、朝昼晩、様々な場面のBGMにぴったりの内容。鬱陶しいはずの梅雨の時期もこのCD-BOXセットを聴けば、待ち遠しく思えてしまうかもしれません。
DISC.1 Sweet Rain
しっとりとした女性ヴォーカル曲・・・・・・・・・
ふたり寄り添い歩いた雨の日の帰り道
※曲名クリックで解説を表示

【 Total Time:78分3秒 】
DISC.2 Gentle Rain
しっとりとした男性ヴォーカル曲・・・・・・・・・
今はただ優しい雨に包まれていたい
※曲名クリックで解説を表示

【 Total Time:76分34秒 】
DISC.3 Cold Rain
せつない気持ちを歌った名曲・・・・・・・・・・・・・
忘れられないあの日の雨の冷たさ
※曲名クリックで解説を表示

【 Total Time:76分37秒 】
DISC.4 Hard Rain
高ぶる感情を歌ったナンバー・・・・・・・・・・・・
すべてを洗い流してくれる激しい雨
※曲名クリックで解説を表示

- そして僕は途方に暮れる /
大澤誉志幸 - 翼の折れたエンジェル /
中村あゆみ - 虹をみたかい /
渡辺美里 - だいすき /
岡村靖幸 - TONIGHT /
佐野元春 - RAIN-DANCEがきこえる /
吉川晃司 - 雨のプラネタリウム /
原田知世 - 雨の日は家にいて /
山下久美子 - ENDLESS RAIN /
X - 嵐の金曜日 /
ハウンド・ドッグ - 激しい雨が /
THE MODS - 真夏の雨 /
レベッカ - Blue Rain /
チェッカーズ - プリズム・レインに包まれて /
杉山清貴 - 1月の雨を忘れない /
THE ALFEE - 雨に泣いてる(日本語バージョン) /
柳ジョージ&レイニーウッド - 裏切りの街角 /
甲斐バンド - たどり着いたらいつも雨降り /
よしだたくろう
【 Total Time:78分25秒 】
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瞳はダイアモンド
松田聖子

1983年に発売された、松田聖子15枚目のシングル。前作の『ガラスの林檎/SWEET MEMORIES』が大ヒットしている最中に発売された曲ということもあり、2曲が同時にチャートインするという現象が見られた。作詞 松本隆、作曲 呉田軽穂(松任谷由実)のコンビによる5曲目のシングルであり、1位を獲得している。ユーミン自身も思い入れの強い1曲に挙げており、2003年に発売されたセルフカヴァー・アルバム『Yuming Compositions: FACES』に中で取り上げている。
1983年10月28日発売
雨
森高千里
森高千里は、1987年シングル『NEW SEASON』でデビュー。ユーモアある歌詞と脚線美が多くの男性ファンから支持され、南沙織のカヴァー曲『17才』でブレイク。11枚目のシングルとして発売されたこの曲は、アルバム『古今東西』からの先行シングル。雨をテーマにしたバラードと言えば、まずこの曲が思い浮かぶほど、多くの人々に愛されてきた名曲。代表曲『わたしがオバさんになっても』と並び、カラオケで多く歌われてきた曲でもある。
1990年9月10日発売
九月の雨
太田裕美

太田裕美9枚目のシングル。大ヒット曲『木綿のハンカチーフ』はアルバム『心が風邪をひいた日』からのシングルカットだったが、この曲もアルバム『こけてぃっしゅ』(最高位3位)からのシングルカット曲。デビュー以来、彼女の曲を手掛けている松本隆と筒美京平コンビのペンによる、ドラマティックな1曲。サビの「September Rain Rain」のフレーズはインパクト大。約35万枚の売り上げを記録し、太田にとって5曲目のTOP10入りシングルとなった。
1977年9月1日発売
どうぞこのまま
丸山圭子
丸山圭子は、ニッポン放送主催「VIVA唄の市」で優勝し、1972年、エレックレコードより」シングル『心の中』でデビュー。1976年に移籍したキングレコードから2枚目のシングルとして発売されたこの曲は、ボッサテイストのサウンドと丸山の感情を抑えたクールなボーカルが多くの人々に支持された。最高位5位まで上昇し50万枚を超える大ヒットに。同曲収録のアルバム『黄昏めもりい』は、近年シティポップの名盤として再評価されている。
1976年7月5日発売
夏をあきらめて
研ナオコ
研ナオコは1971年のデビュー以来、多くのヒット曲を持つ実力派シンガー。1975年に ヒットした『愚図』を始め、中島みゆきが書き下した『あばよ』では1位を獲得している。 他にも多くのヒット曲を持ち、その歌唱力、表現力には定評がある。1982年に29枚目のシングルとして発売されたこの曲は、サザンオールスターズの大ヒットアルバム『NUDE MAN』に収録された曲のカヴァー。最高位5位を記録する大ヒットになり、研の代表曲の1曲となった。
1982年9月5日発売
ファンタジー
岩崎宏美
岩崎宏美は、1975年シングル『二重唱(デュエット)』でデビュー。アイドルらしからぬ高い歌唱力が評価され、多くのヒット曲を世に送り出している。4枚目のシングルとして発売されたこの曲の作・編曲は筒美京平。当時流行していたディスコ・サウンドをベースにしたアレンジは、近年「和モノ」と呼ばれるムーブメントにおいても非常に評価が高い。『ロマンス』『センチメンタル』と並び、初期の代表曲。現在も変わらぬ歌唱力で活動を継続している。
1976年1月25日発売
さよならだけは言わないで
五輪真弓

1978年に発売された五輪真弓13枚目のシングル。1972年にデビューして以来、LAレコーディングでアルバムを数枚制作。1975年のアルバム『Mayumity~うつろな愛~』がフランスのCBSの目に留まり、フランスでデビューを果たし大成功を収める。海外生活が長く続いたある日、改めて日本語の美しさに気付いた五輪が作った曲がこの曲である。哀愁を帯びたメロディーと抒情的な歌詞が、瞬く間に多くの人々に支持され、約30万枚の大ヒットを記録した。
1978年3月21日発売
雨のステイション
ハイ・ファイ・セット
1977年に発売されたハイ・ファイ・セットのアルバム『ラブ・コレクション』に収録された1曲。大ヒット曲『フィーリング』を収録したこのアルバムは、チャートの1位を11週間獲得し、年間チャートの1位を記録した。1975年に発売された荒井由実のアルバム『COBALT HOUR』に収録されたものがオリジナルで、青梅線・西立川駅の雨の日の風景が歌われている。西立川の駅前にはユーミンの直筆による歌碑が設置され、多くのファンが訪れている。
1977年2月5日発売
人魚
NOKKO

NOKKOは、1980年代に一世風靡をしたバンド「レベッカ」のボーカリストとして活躍。1992年からソロ活動を開始し、ソロ5曲目のシングルとして発売されたこの曲は、フジテレビ系ドラマ「ボクたちのドラマシリーズ・時をかける少女」の主題歌に起用され大ヒットに。筒美京平の美しいメロディーにNOKKO自身の歌詞とダイナミックなアレンジがマッチした感動的なバラード。最終的に50万枚を超える売り上げを記録した、NOKKOの代表曲。
1994年3月9日発売
Squall
松本英子
1999年シングル『涙のチカラ』でデビューをした松本英子2枚目のシングル。「月9」ドラマ「パーフェクトラブ!」の挿入歌で、劇中の音楽を担当した福山雅治の書下ろし曲として話題になった。恋をし始めた女性の切ない心理を、雨上がりの街の情景とリンクさせた歌詞が多くの共感を得たバラード。最高位7位を記録した大ヒットとなり、現在でもカラオケ等で多く歌われ愛されている名曲。同年、福山自身のセルフカヴァーも発売された。
1999年9月8日発売
Alone
岡本真夜
岡本真夜は、1995年シングル『TOMORROW』でデビュー。ドラマのタイアップソングだったこともあり、200万枚近くまで売り上げる大ヒットに(岡本のTV初出演はその年の紅白歌合戦であった)。3枚目のシングルとして発売されたこの曲は、デビュー曲の明るいアップテンポな曲調から一転した、初のバラード曲。大切な自分の友達に、恋人を奪われてしまうというシチュエーションが多くの共感を呼び、最終的に約50万枚を売り上げる大ヒットとなった。
1996年11月5日発売
雨にキッスの花束を
今井美樹
今井美樹は1986年にシングル『黄昏のモノローグ』でデビュー。女優、モデル、シンガーとして活躍し、現在でも女性から絶大なる人気を誇るアーティスト。特にシンガーとして多くの実績を持ち、複数のアルバムを大ヒットさせている。この曲は1990年に発売されたアルバム『retour』に収録の1曲。シングルカットはされていないが、TVアニメ「YAWARA!」2代目オープニングテーマとして起用された人気曲。作曲は『愛は勝つ』のKANが手掛けた。
1990年8月29日発売
愛してるなんてとても言えない
杏里
杏里は1978年、尾崎亜美の書下ろし作品『オリビアを聴きながら』でデビュー。夏をイメージしたシティポップ系の作品を数多く生み出し人気を博す。1987年からセルフプロデュースを開始。この曲は、自ら手掛けた2枚目のアルバム『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』に収録の1曲。シングルカットこそされなかったが、ファンの間では上位に食い込む人気曲。最高位2位を獲得したこのアルバムは、若者を中心に支持され大ヒット、ロングセールスとなった。
1988年5月21日発売
6月の雨
谷村有美
谷村有美は第二回「ティーンズ・ポップ・コンテスト」で優勝。1987年にシングル『Not For Sale』、アルバム『Believe In』でデビュー。愛らしいルックスとキャンディーボイスで、「ガールポップ」と呼ばれたジャンルの一人者として人気を博す。1990年に6枚目のシングルとして発売されたこの曲は、夏休み前に失恋をしてしまった恋の痛手を、6月の雨に託したポップナンバー。収録した4枚目のアルバム『PRISM』はTOP10入りを果たすヒットになっている。
1990年4月21日発売
7月の雨なら
西脇唯
西脇唯は1979年にヤマハ主催のポプコンで入賞し、中川淳子名義でシングルを発売。1993年から西脇唯として本格的なシンガー・ソングライターの活動を開始している。キングレコードからのファーストシングルは、テレビ朝日系「トゥナイト」のエンディングテーマに起用され、約20万枚の売り上げを記録。収録したアルバム『さよならの場所で会いましょう』も最高位7位をマークした。その後もアルバムアーティストとして活躍した。
1993年5月21日発売
九月の色
久保田早紀
1979年の年末、彗星のごとく音楽業界に現れた美人女性シンガー・ソングライター久保田早紀。三洋電機のカラーテレビのCMソングとして起用された『異邦人』は瞬く間に話題となり発売から2か月後に1位を獲得、ミリオンセールスを記録した(アルバム『夢がたり』も1位を獲得している)。3枚目のシングルであるこの曲は、久保田の愁いを帯びた声質にぴったりのマイナーチューン。ラテンのリズムに乗せて歌われる雨の名曲。
1980年9月1日発売
DNA
川本真琴
川本真琴は、ソニーミュージックSDオーディションをきっかけに、1996年シングル『愛の才能』でデビュー。岡村靖幸の作詞・作曲・プロデュースが話題となり、好調な滑り出しを見せた。セカンドシングルであるこの曲は、川本本人が作詞・作曲を手掛け、フジテレビ系「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」エンディングテーマとして起用されヒットに(最高位8位)。収録したアルバム『川本真琴』は1位を獲得し、ミリオンセラーを記録する大ヒットになった。
1996年10月2日発売
好きになってよかった
加藤いづみ
加藤いづみは1991年、高橋研のプロデュースにより、アルバム『テグジュペリ』でデビュー。当時ブームになっていた「ガールポップ」というジャンルで広く認知されるようになり、コケティッシュな声と容姿で男性ファンを中心に人気を博した。6枚目のシングルとして発売されたこの曲は、ドラマ「悪魔のKISS」挿入歌に起用されロングセールスとなり、約20万枚のヒットを記録した。収録したアルバム『Sweet Love Songs』もTOP10内に送り込んでいる。
1993年7月21日発売
レイニー ブルー
德永英明
德永英明は、1985年「第2回マリンブルー音楽祭」でグランプリを受賞。1986年にアルバムとシングル同時発売でデビュー。デビュー曲であるこの曲は、当初はそれほど大きなアクションはなかったが、4枚目のシングル『輝きながら…』がTOP5入りのヒットを記録したことがきっかけとなり、ジワジワと浸透していく曲となる。現在では、多くのアーティストにカヴァーされる名バラードとして愛されている。2008年、同曲でNHK紅白歌合戦に出場している。
1986年1月21日発売
最後の雨
中西保志
中西保志は、奈良県出身のバラード・シンガー。大学時代からバンド活動を開始し、ミュージカル出演や地元クラブ主催のオーディションに合格。その才能が認められ、上京したのは27歳の時。その後、1992年にシングル『愛しかないよ』でデビュー。セカンドシングルであるこの曲は、「日立 あしたP-KAN気分!」テーマソングとして起用されロングセラーに。カラオケでも多く歌われるバラードとして親しまれ、約70万枚を超える大ヒットとなった。
1992年8月10日発売
Get Along Together -愛を贈りたいから-
山根康弘
山根康広は、1993年『Get Along Together』でデビュー。のちに大ヒットするこの曲は、山根の友人の結婚式前日に書かれた曲だったそう。その後タイトルに「愛を贈りたいから」の副題をつけセカンドシングルとして再発売。有線放送等からじわじわと火が付き最高位5位まで上昇、120万枚以上の売り上げを記録した。1993年のレコード大賞の最優秀新人賞受賞、紅白歌合戦初出場など、この年の音楽シーンを盛り上げた。現在も実力派シンガーとして活躍中。
1993年9月6日発売
愛はかげろう
雅夢
雅夢は三浦和人と中川敏一で結成されたフォークデュオ。この曲は第19回ヤマハポピュラーソングコンテストつま恋本選会の優秀曲賞。5月の受賞だったが、歌詞の内容から秋の発売がふさわしいと判断された事もあり、急遽9月のシングル発売が決定した。哀愁の漂うメロディーラインと三浦、中川の美しいコーラスワークが話題となり、最高位3位まで上昇、60万枚以上の売り上げを記録した。現在も、三浦がソロで同曲を歌い続けている。
1980年9月25日発売
ドラマティック・レイン
稲垣潤一
稲垣潤一は1982年シングル『雨のリグレット』でデビュー。2枚目のシングルがチャートインを果たせなかったため、3枚目であるこのシングルの作曲を筒美京平に依頼(作詞は秋元康が担当し、この曲のヒットで作詞家として認知されるようになったという)。横浜ゴム「アスペック」CMソングとして起用され、最高位8位を記録するヒットに。収録したアルバム『Shylights』も最高位2位を獲得。シティポップの名盤として愛されている1枚。
1982年10月21日発売
雨のウェンズデイ
大滝詠一

1981年に発売された、大滝詠一のアルバム『A LONG VACATION』からのシングルカット曲。大滝の涼やかな声とナイアガラ・サウンドに、松本隆の描き出す詞の世界がマッチした名曲。『A LONG VACATION』は、1981年のアルバム年間チャートで2位を記録し、「第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞。(リリースから、20周年と30周年時にはAnniversary Editionも発売)。同年、松田聖子のシングル『風立ちぬ』の作曲を手掛け、チャートの1位を獲得している。
1981年5月21日発売
バカンスはいつも雨
杉真理

杉真理は、大学時代から音楽サークル等で才能を発揮し、70年代後半にメジャーデビュー。日本のポップス史に多大なる影響を与えた才能あるアーティストである。この曲はCBSソニーと契約後、1982年に発売されたシングル。グリコセシルチョコレート CMソングに起用され、コマーシャルには当時アイドルとして人気があった堀ちえみが出演したことも話題となりスマッシュヒット。収録のアルバム「STARGAZER」も最高位6位のヒットを記録している。
1982年10月1日発売
てぃーんず ぶるーす
原田真二
原田真二は高校在学中に、フォーライフ・レコードのオーディションに応募し合格。この曲は、1977年に吉田拓郎プロデュースにより発売されたデビュー曲。類まれなる才能と、愛らしいルックスで70年代後半の音楽シーンに新風を巻き起こした。3か月連続リリースされたシングルが同時にTOP20にチャートインするという快挙を成し遂げ、翌年に発売されたデビューアルバム『Feel Happy』は初登場1位獲得。10代のアルバム初登場1位は原田が史上初。
1977年10月25日発売
眠れぬ夜
オフコース
オフコースは、小田和正、鈴木康博を中心に結成されたフォーク・グループ。初期はなかなかヒットが出ず地味な活動が続いたが、1975年に発売された7枚目のシングルであるこの曲で初のチャートインを果たした。しかし、この曲が世の中に知れ渡るようになったのは5年後の1980年。西城秀樹がシングル発売し、ヒットをさせた事で多くの人が知る曲となった。西城ヴァージョンはTOP10入りを果たし、約30万枚の売り上げを記録している。
1975年12月20日発売
恋人も濡れる街角
中村雅俊
中村雅俊は、日本を代表する名優の一人。シンガーとしても多くのヒットを持ち、シングル『ふれあい』『俺たちの旅』『心の色』など多くの代表曲がある。この曲は1982年に発売された中村17枚目のシングルで、作詞・作曲をサザンオールスターズの桑田佳祐が担当。大人のエロスを感じられる楽曲が話題を呼び、最高位5位まで上昇する大ヒットとなった。同年、研ナオコがカヴァーして大ヒットをした『夏をあきらめて』も桑田の作品。
1982年9月1日発売
初恋
村下孝蔵

1983年に発売された、村下孝蔵5枚目のシングル。セカンドシングル『春雨』が話題となり、4枚目のシングル『ゆうこ』がスマッシュヒットを記録した事を受けて、満を持して発売されたシングルであった。もともとはバラードを想定して書かれた曲だったが、水谷公生のアレンジによってポップナンバーに変身。結果、最高位3位を記録し50万枚を超える大ヒットになった。現在までに多くのアーティストにカヴァーされている名曲。
1983年2月25日発売
虹とスニーカーの頃
TULIP
TULIPはボーカルの財津和夫率いる、70年代を代表するニューミュージック系グループ。1973年に発売されたシングル『心の旅』が1位を獲得し、現在、スタンダードナンバーになっている。16枚目のシングルとして発売されたこの曲は、40万枚以上を売り上げ、『心の旅』以来の大ヒットになった。サビから始まるメロディアスでポップな曲調が印象的な名曲。同時期に発売された、財津のソロシングル『Wake Up』も約50万枚の大ヒットになっている。
1979年7月5日発売
春雷
ふきのとう

ふきのとうは、山木康世と細坪基佳によるフォークデュオ。1974年のデビュー曲『白い冬』がいきなり大ヒットを記録し、70年代を代表するアーティストとして活躍した。1979年に13枚目のシングルとして発売されたこの曲は、デビュー曲以来のヒットとなり、ふきのとうの代表曲になる。当時人気音楽番組だった「夜のヒットスタジオ」への出演もあり、その名が全国区になった。その後、1992年に18年間続いたグループ活動にピリオドを打ち、解散。
1979年2月25日発売
わらの犬
藤井フミヤ
1998年に発売された、藤井フミヤ通算14枚目のシングル。藤井と言えば、ドラマ「あすなろ白書」の主題歌『TRUE LOVE』が代表曲だが、その後も多くのドラマ主題歌を手掛けており、この曲は5曲目のドラマ主題歌。浅野温子主演のドラマ「ラブとエロス」の主題歌として起用され、藤井も長谷川龍一役でドラマに出演している。愛する人を守り切れない男の切ない思いを雨に託した、切ないスローバラード。8位を記録するヒットになっている。 1998年8月1日年発売 この傘をたためば/槇原敬之 槇原敬之は1990年のデビュー以来、多くの人々に支持されているシンガー・ソングライター。セカンドアルバム『君は誰と幸せなあくびをしますか。』から、すべてのオリジナルアルバムがTOP10入りしている。この曲は9枚目のアルバム『Cicada』に収録の1曲で、大ヒット曲『Hungry Spider』のカップリングにも収録された。槇原の歌詞の中には雨がしばしば登場するが、デビュー曲『NG』の中でも、「雨の匂い」というフレーズが効果的に使われている。
1999年7月7日発売
この傘をたためば
槇原敬之
槇原敬之は1990年のデビュー以来、多くの人々に支持されているシンガー・ソングライター。セカンドアルバム『君は誰と幸せなあくびをしますか。』から、すべてのオリジナルアルバムがTOP10入りしている。この曲は9枚目のアルバム『Cicada』に収録の1曲で、大ヒット曲『Hungry Spider』のカップリングにも収録された。槇原の歌詞の中には雨がしばしば登場するが、デビュー曲『NG』の中でも、「雨の匂い」というフレーズが効果的に使われている。
1999年7月7日発売
「いちご白書」をもう一度
バンバン

バンバンは1972年に、シングル『何もしないで』でデビュー。4枚のシングルは鳴かず飛ばずの結果であった。5枚目のシングルであったこの曲を、当時ブレイク前のシンガー・ソングライター荒井由実に依頼。結果1位を獲得する大ヒットとなり、約80万枚の売り上げを記録した。この曲のモチーフになった映画「いちご白書」がリバイバル上映されるなど、社会現象を巻き起こした。ユーミン自身も同年『あの日にかえりたい』で1位を獲得。
1975年8月1日発売
さよならをするために
ビリー・バンバン
ビリー・バンバンは菅原孝、進の兄弟2人によるフォークデュオ。1969年に『白いブランコ』でデビュー。1972年に発売された10枚目のシングルであるこの曲が、ドラマ「3丁目4番地」の主題歌として起用され1位を獲得、約80万枚の売り上げを記録した。2009年に坂本冬美の『また君に恋してる』が大ヒットしたが、オリジナルはビリー・バンバン。坂本の大ヒットにより、彼らの楽曲が新たな形でクローズアップされる現象が起き話題となった。
1972年2月10日発売
雨やどり
さだまさし
さだまさしは、1973年フォークデュオ、グレープのメンバーとしてデビュー。2枚目のシングル『精霊流し』が約60万枚の売り上げを記録し人気を博す。グレープ解散後の1976年ソロ活動を開始。ソロ2枚目のシングルとして発売されたこの曲は、笑いあり涙ありの内容が多くの人々の感動を呼び、ライブ音源ながら1位を獲得。約70万枚を売り上げる大ヒットになった。その後も『関白宣言』や『親父の一番長い日』等で1位を獲得している。
1977年3月10日発売
みずいろの雨
八神純子
八神純子は、高校時代の1974年にヤマハ主催のポプコンで優秀曲を受賞。アマチュア時代に2枚のシングルを発表し、1978年『思い出は美しすぎて』で本格的デビュー。2枚目のシングルの売れ行きが思わしくなかったことから、最後の勝負をかけるつもりで楽曲制作に臨み、見事ヒットを勝ち得たのがこの曲であった。八神自身が間奏で吹くサンバホイッスルも話題となり、最高位2位まで上昇。約60万枚以上の売り上げを記録している。
1978年9月5日発売
TAXI
鈴木聖美 with Rats&Star

1987年に発売された、鈴木聖美 with Rats&Star3枚目のシングル。この曲はTOP10入りしたヒットアルバム『WOMAN』からのシングルカット曲で、別れた男性への未練を断ち切れない、微妙な女性心理を歌った歌詞が多くの人々の共感を呼んだ名バラード。鈴木聖美はご存知、鈴木雅之の実姉で、34歳という遅咲きのデビューが話題になった実力派シンガー。雅之とのデュエットソング『ロンリーチャップリン』はカラオケの定番曲として愛されている。
1987年11月21日発売
恋人よ
五輪真弓

1980年に発売された五輪真弓18枚目のシングル。B面に収録された『ジョーカー』がA面の予定だったが、レコーディング時の出来の素晴らしさに、急遽A面曲になったというエピソードが残っている。この曲で「賞獲り宣言」をした五輪だが、宣言通り「レコード大賞」の金賞を受賞した。結果1位を獲得しミリオンセラーを記録、大晦日の紅白歌合戦の初出場も果たした。現在でも、日本のスタンダードナンバーとして歌い継がれている。
1980年8月21日発売
雨の物語
イルカ
イルカは、1974年にソロ活動開始。1975年にかぐや姫のアルバムに収録された『なごり雪』を自身のアルバム『夢の人』収録。好評につき、アレンジを変えシングルとして発売すると、約50万枚を超える大ヒットに。1977年に発売されたこの曲も『なごり雪』同様、伊勢正三のペンによる楽曲。30万枚を超える大ヒットになり、収録したアルバム『植物誌』は1位を獲得している。サビのフレーズとメロディーがイルカの声とマッチした雨の名曲。
1977年3月25日発売
銀の雨
松山千春
松山千春の2枚目のシングル『かざぐるま』のB面に収録された1曲。ファンならずとも根強い人気を誇る名曲。1978年のシングル『季節の中で』で1位を獲得するやいなや、一躍時の人となり、過去の楽曲もクローズアップされる現象が起きた。初期のシングル6枚のAB面を収録したベストアルバム『起承転結』は1位を獲得し(年間チャートも1位)、ミリオンセラーを記録する大ヒットに。同アルバムには『銀の雨』も収録されている。
1977年6月25日発売
赤いスイートピー
松田聖子
1982年に発売された、松田聖子8枚目のシングル。作詞の松本隆が「ライバルに曲を書かない?」とユーミンに作曲を依頼。デビュー以来、女性から「ぶりっ子」と揶揄されていた聖子だが、この曲でトレードマークだった「聖子ちゃんカット」を短く切りイメージチェンジを図った。結果、ちょっぴり気の弱い男性をリードしていく主人公の心情が共感を呼び、女性ファンが急増した。2015年の紅白歌合戦では本曲を歌唱し、トリをつとめた。
1982年1月21日発売
雨だれ
太田裕美
太田裕美は、ヤング101の一員として「ステージ101」に出演したことをきっかけに芸能界入り。その後、その才能を買われ1974年にデビュー。デビュー曲は、作詞 松本隆、作曲 筒美京平のゴールデンコンビによって作られた曲だったが、太田の歌うスタイルはピアノの弾き語り。アイドルとニューミュージックとの懸け橋的な存在として注目された。デビュー曲ながら最高位14位を記録し、レコード大賞の新人賞を始め多くの賞を総なめにした。
1974年11月1日発売
冬の稲妻
アリス
アリスは1972年に『走っておいで恋人よ』でデビューした3人組のフォーク・グループ。1977年に発売されたこの曲で、オリジナル曲として初のTOP10入りを果たした(1975年に発売された『今はもうだれも』をヒットさせているが、この曲はウッディ・ウーのカヴァー曲であった)。ロングセールスを記録し、約55万枚を売り上げる大ヒットに。翌年、シングル『チャンピオン』も大ヒットさせており、こちらは1位を獲得。約80万枚を売り上げた。
1977年10月5日発売
春雨
村下孝蔵
村下孝蔵は、加山雄三やベンチャーズに魅せられギター少年として思春期を過ごし、1979年、第1回CBS・ソニーオーディションにてグランプリを受賞。1980年、シングル『月あかり』でデビューしたが、27歳というデビューは非常に遅く、逆に実力派の新人アーティストとして注目される。1981年にセカンドシングルとして発売されたこの曲は、都会で心変わりをした男性に対する、女性目線の切ない歌詞が話題を呼び、ロングセールスになった。
1981年1月21日発売
冷たい雨
ハイ・ファイ・セット
『フィーリング』の大ヒットなどで知られるコーラス・グループ、ハイ・ファイ・セットの5枚目のシングル。デビュー曲『卒業写真』は荒井由実の書下ろしによるシングルだが、この曲もユーミンの作品で、約15万枚のヒットを記録している。前年にチャートの1位を獲得したバンバンの「『いちご白書』をもう一度」のB面に収録されたものが初出。ユーミン自身も1979年のアルバム『OLIVE』の中でセルフカヴァーをしている。
1976年4月20日発売
優しい雨
鈴木祥子
小泉今日子の34枚目のシングルに提供した楽曲のセルフカヴァー。1993年に発売された鈴木祥子のシングル『ラジオのように』のカップリングに収録(アルバム『Radio Genic』に収録されたヴァージョンとはアレンジが異なる)。小泉主演のドラマ「愛すること」の主題歌に起用され、ミリオンセラーに迫る売り上げを記録。作詞を手掛けた小泉が、揺れ動く女性の気持ちを表現した詞に合わせ、同世代の鈴木祥子に作曲を依頼したとコメントしている。
1993年10月21日発売
雨のリグレット
稲垣潤一
稲垣潤一は宮城県仙台市の出身。ライブハウス、ディスコ、米軍キャンプなど様々な場所でライブ活動をする中、ドラムを叩きながらのボーカルというスタイルが注目を浴びデビュー。キャッチコピーは「スーパーポップボーカル」。稲垣のデビュー曲として発売されたこの曲は、3枚目のシングル『ドラマティック・レイン』のヒットで再び注目を浴びる曲となった。その後、シティポップ的サウンドの先駆者的存在として活躍した。
1982年1月21日発売
霧雨で見えない
麗美
麗美は、1984年に松任谷正隆、由実夫妻のプロデュースによるアルバム『REIMY』でデビュー。10曲中8曲がユーミンの書下しというラッキーなスタートを切った。アルバムに収録されたこの曲の舞台は渋谷・並木橋のバス停。「橋の上 霧雨の水銀灯」は、バス停から見た、東急東横線の銀色の電車の比喩なのだとか(現在、線路は地下に移動)。ハイ・ファイ・セットもアルバム『Pasadena Park』で同曲をカヴァー。ユーミンも1987年にセルフカヴァー。
1984年1月21日発売
雨降る東京
古内東子
古内東子は、1993年シングル『はやくいそいで』でデビューしたシンガー・ソングライター。1996年に発売されたシングル『誰より好きなのに』が20万枚を超えるロングセラーを記録し、数多くのアルバムを大ヒットさせている。自らを「恋愛至上主義」と称し、90年代は「OLの教祖」として世の女性達から絶大なる支持を得た。この曲は1998年に発売され、1位を獲得した7枚目のオリジナルアルバム『魔法の手』に収録の隠れた名曲。
1998年8月19日発売
泣きたい日もある
永井真理子
1992年に発売された、永井真理子17枚目のシングル。レーベルメイトであったシンガー・ソングライター遠藤京子による書下ろし曲。揺れ動く女性心理を表現した歌詞を、高い歌唱力で表現した名バラード。デビュー以来、元気印がトレードマークだった永井に大きな転機が訪れたのは、1990年に発売された12枚目のシングル『ZUTTO』のヒットがきっかけ。50万枚以上を売り上げ、バラードが歌える実力派シンガーとして評価されるようになった。
1992年7月17日発売
千流の雫
工藤静香
工藤静香は1987年に『禁断のテレパシー』でデビュー。初期はアイドルのイメージも大きかったが4枚目のシングル『FU-JI-TSU』の作詞に中島みゆきが参加したこともあり、実力派シンガーへと成長していった。工藤10枚目のシングルであるこの曲は、作詞を工藤静香本人(愛絵里 名義)が手掛けた情熱的なバラード。同曲で7作連続1位を獲得する記録を保持している。1993年には中島みゆきが作詞を手掛けた『慟哭』がミリオンセラーを達成。
1990年5月9日発売
今日は雨
南こうせつ
南こうせつは人気フォーク・グループ「かぐや姫」のメンバー。『神田川』の大ヒットにより、「四畳半フォーク」と呼ばれるジャンルを確立、70年代前半の音楽シーンに大きな影響を与えた(1973年~75年までに発売された4枚のアルバムは1位を獲得している)。この曲は、かぐや姫解散後に発売されたソロシングルで、収録したアルバム『ねがい』は最高位3位を記録。その後CMソングに起用された『夢一夜』も大ヒットさせている。
1976年2月10日発売
一恵
山口百恵

山口百恵は1973年にシングル『としごろ』でデビュー。1980年に引退するまでに31枚のシングルを発売。そのほとんどをTOP10に送り込んでおり、4曲の1位を獲得している。この曲は俳優の三浦友和と結婚式を挙げた1980年11月19日に発売された32枚目のシングル。事実上引退後のシングルとして発売されたが、最高位2位の大ヒットを記録している。作詞は山口百恵本人(横須賀恵 名義)が手掛け、作曲は『いい日旅立ち』を提供した谷村新司が担当。
1980年11月19日発売
そして僕は途方に暮れる
大澤誉志幸

1984年に発売された、大澤誉志幸5枚目のシングル。3枚目のオリジナルアルバム『CONFUSION』(最高位3位)に収録された楽曲のシングルカット曲。アレンジを変えてシングル発売されたこの曲は、「日清カップヌードル」のCMソングに起用され、最高位6位を記録する大ヒット曲に。のちに詩人として活躍する、銀色夏生の描き出す詞の世界が、大澤のクールなボーカルにマッチした名曲。現在までに多くのアーティストにカヴァーされている。
1984年9月21日発売
翼の折れたエンジェル
中村あゆみ
中村あゆみは高校3年生の時、高橋研のプロデュースによりシングル『Midnight Kids』でデビュー。独特なハスキーボイスと天真爛漫なキャラクターが多くのティーンから支持されブレイク。3枚目のシングルとして発売されたこの曲は、「日清カップヌードル」のCMソングに起用され大ヒットに。最高位4位を記録し、約40万枚の売り上げを記録した。収録したアルバム『Be True』も大ヒットし、ライブアーティストとして圧倒的な人気を誇った。
1985年4月21日発売
虹をみたかい
渡辺美里

1989年に発売された渡辺美里の15枚目のシングル。4枚目のシングル『My Revolution』で大ブレイクした渡辺だが、その後アルバム、シングルのヒットを飛ばし続け、80年代を代表するトップアーティストとして成長した。この曲は『My Revolution』以来、2曲目の1位を獲得した大ヒットシングル。恋する女性の心の動きを上手くとらえた渡辺自身の歌詞に、デビュー時から重要な楽曲を提供し続けている、岡村靖幸のメロディーがマッチしたポップナンバー。
1989年10月21日発売
だいすき
岡村靖幸
岡村靖幸は19歳の時に、デモテープが認められ作曲家デビュー。渡辺美里のデビューアルバム『eyes』に4曲の楽曲が採用され『GROWIN' UP』はシングルとして発売されている(岡村自身はシングル『Out of Blue』でアーティストデビューを果たす)。1988年に8枚目のシングルとして発売されたこの曲は岡村の代表曲。収録したアルバム『靖幸』は最高位4位を記録する大ヒットになった。現在も熱狂的なファンに愛され続けている個性派アーティスト。
1988年11月2日発売
TONIGHT
佐野元春

1984年に発売された佐野元春11枚目のシングル。4枚目のオリジナルアルバム『VISITORS』からの先行シングルとして発売された。アルバム『VISITORS』は、1年間のニューヨーク滞在を経て、リリースされた会心作。メジャーシーンで初めてラップを導入したアルバムとも言われており、日本の音楽シーンの歴史においても重要な1枚と呼べるだろう。それまでの佐野ファンから賛否両論はあったものの、チャートの1位を獲得している。
1984年4月21日発売
RAIN-DANCEがきこえる
吉川晃司
吉川晃司は、1984年本人主演の映画「すかんぴんウォーク」の主題歌『モニカ』でデビュー。最高位4位と好調な滑り出しでスタートを切った。デビュー時は、アイドル的要素が大きかったが、後に本格的なロックアーティストに成長していく。この曲は、シングル『You Gotta Chance 〜ダンスで夏を抱きしめて〜』『にくまれそうなNEWフェイス』と2曲連続1位を獲得した時期に発売された、6枚目のシングル。最高位2位を獲得したダンスビートの名曲。
1985年9月25日発売
雨のプラネタリウム
原田知世

原田知世は本人主演の映画の主題歌『時をかける少女』の大ヒットでブレイク。その後も女優と音楽活動を並行して多くの作品を発表してきた。1986年に9枚目のシングルとして発売されたこの曲は、少女から大人に移行する時期にかけて発表されたいわば実験的作品。同曲を収録したアルバム『NEXT DOOR』は、当時おニャン子クラブのヒットで一躍有名になっていた秋元康が全曲の作詞を担当。アレンジ、プロデュースは後藤次利が担っている。
1986年6月21日発売
雨の日は家にいて
山下久美子
山下久美子は1980年シングル『バスルームから愛をこめて』でデビュー。渡辺プロダクションが立ち上げた「NON STOPプロジェクト」の一員であった。5枚目のシングル曲として発表されたこの曲は、ミディアムテンポのポップナンバー。同名のアルバムもヒットさせている。次作のシングル『赤道小町ドキッ』が、最高位2位の大ヒットを記録しブレイク。「総立ちの久美子」の異名を取り、元祖「学園祭の女王」としてライブを中心に活躍した。
1981年10月1日発売
ENDLESS RAIN
X
X(エックス)は、ワールドワイドに活躍をしているバンドX JAPANの初期のバンド名。いわゆるヴィジュアル系というジャンルの先駆者であり、日本の音楽シーンにおいてバンドの残して来た功績はあまりにも大きい。この曲はメジャーデビュー・アルバム『BLUE BLOOD』からの2曲目のシングル曲で、TOSHIのハイトーンボイスが印象的なロッカバラード。アルバムは、約90万枚の売り上げを記録しており、90年代を代表する名盤として愛されている。
1989年12月1日発売
嵐の金曜日
ハウンド・ドッグ

ハウンド・ドッグはボーカルの大友康平率いる日本のロックバンド。この曲はデビュー曲として発表された曲だが、チャートアクションはほとんどなかった。その後、1985年に発売されたシングル『ff (フォルティシモ)』の大ヒットで、80年代を代表するロックバンドに成長。西武球場のコンサートや、武道館15日連続公演など多くの伝説を持つ。この曲は数多くのライブ活動の中でも、重要な1曲でありファンならずとも認知は高い。
1980年3月21日発売
激しい雨が
THE MODS
THE MODSはボーカル・ギターを担当する森山達也率いるロックバンド。1981年シングル『崩れ落ちる前に』でデビューをした彼らだが、4枚目のシングルとして発売されたこの曲は、maxellカセットXLシリーズのCMソングに起用された。イメージキャラクターとして、バンドメンバーもCMに出演し、その名を全国区に知らしめた。収録した4枚目のオリジナルアルバム『HANDS UP』は最高位9位を獲得。その後、日本の代表するロックバンドとしてその名を馳せた。
1983年9月21日発売
真夏の雨
レベッカ
レベッカは1984年シングル『ウェラム・ボートクラブ』でデビュー。ボーカルのNOKKOのコケティッシュなルックスと歌声に多くの若者が熱狂した。4枚目のアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』から『BLOND SAURUS』まで、4枚連続でチャートの1位を獲得している。この曲は1987年に発売された6枚目の大ヒットアルバム『Poison』に収録のバラードナンバー(8枚目のシングル『Nervous But Glamorous』のカップリングにも収録された)。2015年に行われた再結成コンサートは記憶に新しい。
1987年11月18日発売
Blue Rain
チェッカーズ
チェッカーズはボーカルの藤井フミヤ率いる、80年代を代表する7人組のポップスバンド。髪型やファッションスタイルが多くの若者から支持を受け、アイドル的人気を誇った。1992年に解散するまでの約10年間、すべての作品を大ヒットさせている。12枚目のシングル『NANA』、および5枚目のアルバム『GO』から、メンバーの自作曲で作品を発表。1987年に15枚目のシングルとして発売されたこの曲も、最高位2位の大ヒットになっている。
1987年11月6日発売
プリズム・レインに包まれて
杉山清貴
杉山清貴は、1983年杉山清貴&オメガトライブのボーカルとして『SUMMER SUSPICION』でデビュー。1985年に解散するまでに5枚のオリジナルアルバムをいずれも大ヒットさせている(1位獲得作品は2枚)。その後1986年にシングル『さよならのオーシャン』でソロデビュー。爽やかな歌声と夏をテーマにした作品が、多くの人々に支持されヒットを多数世に送り出した。1989年に発売された8枚目のシングルであるこの曲は、哀愁を漂わせたミディアムナンバー。
1989年5月17日発売
1月の雨を忘れない
THE ALFEE
THE ALFEEは、桜井賢、坂崎幸之助、高見沢俊彦の3人から成る、日本を代表するロックバンド。1988年に29枚目のシングルとして発売されたこの曲は、アルバム『U.K. Breakfast』からのシングルカット曲ではあったが、最高位4位を記録。高見沢が小泉今日子に提供し大ヒットになった『木枯らしに抱かれて』を彷彿とさせるミディアムバラード。現在、16枚目のシングル『メリーアン』からシングルを50作連続トップ10入りさせるという大記録を更新中。
1988年1月21日発売
雨に泣いてる(日本語ヴァージョン)
柳ジョージ & レイニーウッド
柳ジョージ & レイニーウッドは1975年にボーカルの柳ジョージを中心に結成されたバンド。セカンドアルバム『WEEPING IN THE RAIN』のタイトル曲がドラマのテーマソングに起用され、英語歌詞を日本語歌詞に替え『雨に泣いてる』のタイトルでシングルカット。この曲を収録したアルバム『YOKOHAMA』は30万枚以上売り上げ、約1年間TOP100にチャートインするというロングセラーを記録した。次作のアルバム『RAINYWOOD AVENUE』では堂々の1位を獲得している。
1978年12月1日発売
裏切りの街角
甲斐バンド
甲斐バンドは、ボーカルの甲斐よしひろ率いるロックバンド。1974年に『バス通り』でデビュー。1975年に2枚目のシングルとして発売されたこの曲は、ジワジワと広がりを見せ、発売から3か月後にTOP10入りを果たした。最高位の7位をマークしたのは発売から実に4か月後であった。最終的に30万枚を超え、第8回日本有線大賞優秀新人賞を受賞している。1978年、『HERO(ヒーローになる時、それは今)』が1位を獲得、アルバムも大ヒットさせた。
1975年6月5日発売
たどりついたらいつも雨降り
吉田拓郎
1972年に発売されたよしだたくろうの3枚目のアルバム『元気です』に収録の1曲。大ヒット曲『旅の宿』を収録したアルバムだったこともあり1位を獲得。結果、1972年の年間チャート2位、翌年も4位というロングセラーになっている。元々、1972年の7月に発売されたザ・モップスのシングルとして提供され、約15万枚の売り上げを記録している。 氷室京介がシングルのカップリングでカヴァーしているものをはじめ、多くのカヴァーが存在する。
1972年7月21日発売