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不世出の名人"古今亭志ん朝"の至芸、全25席のCDが登場!

TBSラジオ秘蔵音源をCD化した12枚組CDBOX『志ん朝初出し』の1枚毎に分けて10月~12月の3カ月に渡って販売します。
今なお愛され続ける古今亭志ん朝の芸、その素晴らしさを、この機会に味わって下さい。

〈五〉『火焔太鼓、鰻の幇間』

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火焔太鼓

志ん朝36歳の高座だが、勢いといいまた風格といい申し分のない出来栄えだ。すでに志ん生は数年来高座を退いており、また病前の志ん生像も十二、三年ほど過去のものになっていたので、『火焔太鼓』といえば志ん朝という評価はすっかり定着していた。

鰻の幇間

語り口の確かさ、声の色艶など文樂と多くの共通点を持つ三代目古今亭志ん朝にとって、第一の目標が桂文樂だったことはよく知られている。とくに幇間が主人公の噺となれば、志ん生の〝真実〟より文樂の〝虚構〟が喝采を受ける―それが芸であり世間であることはよくわかっている。志ん朝は主人公の言動のほとんどを文樂風に仕上げたが、性根に志ん生を忘れなかった。

〈六〉『大山詣り、小言幸兵衛』

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大山詣り

職人像を快活に明朗に描かせては三代目古今亭志ん朝が天下一品だった。この口演も、声はやや風邪気味ながら気が入っていて運びもすこぶるリズミカルだ。話の途中で遭難と察して騒ぐ女房たちを何度も制しながら熊は話し続けるが、この演出は他の演者よりずっと迫真的で、同時に熊の千三つぶりが強調される。

小言幸兵衛

これは秋田市での口演。東京を離れるのが好きだった志ん朝は、屈託なく演じているようだ。戸を開けなくても入れるのは風か葉書だという、初代柳家小せん以来のくすぐりを使っている。郵便受けが普及する前、配達された葉書は戸と柱の間に差し込まれた。

〈七〉『宮戸川、片棒、野晒し』

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宮戸川

「『宮戸川』は若手のやる噺だよ」と言って中年以降の志ん朝はほとんどやらなかったので、これは懐かしくも貴重な遺産となった。五代目古今亭志ん生は晩年にもやって、伯父夫婦に味があったのだが―。

片棒

明るく楽しく楷書の仕上げで、楷書ゆえに際立つおもしろさもあり、捨てずに持ちネタにしてほしかったと思う。後輩が競ってやり出したので家の芸でもない『片棒』には封印をしたのだろうか。

野晒し

野晒しが一朝一夕の現象ではないように、この噺にも経歴がある。作ったのは二代目林屋(まだ家ではない)正蔵=別名沢善(たくぜん)正蔵だといわれる。生没年不詳の人で、正蔵を名乗ったのは1839(天保10)年頃、つまり、かの三遊亭圓朝が生まれた時分とされる。

〈八〉『幾代餅、紙入れ』

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幾代餅

幾世、幾夜の表記もあるが、幾代が主流といっていい。『紺屋高尾』と極めて類似した噺。『紺屋高尾』はいわゆる「釈ダネ」、すなわち講談から転じた噺で人情噺の性格を持っている上に講談の遺風と思われる格調高い地の語りで進めるところがいくつかある。

紙入れ

登場人物にとってきわどい噺は演者にとってもきわどい噺になるのだが、そこに気付かずにいやらしい高座に終始する悪例は大看板クラスにも珍しくない。問題の夜が〝初めて〟のことだ、と古今亭志ん朝ははっきり設定している。ほとんどの演者はそこをボカして、初めてではないが深みにはまってもいない段階程度に収めている。

〈九〉『四段目、風呂敷』

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四段目

従来の簡略な『四段目』にくらべ、芝居の経過の説明が定吉を通して細かく語られ、全体に濃密な仕上がりになったのは『蔵丁稚』の基本に立ち戻ったからだが、それがくどさや退屈につながらない。それは志ん朝の腕だが、定吉を子どもらしく描けば芝居の詳述が過剰な薀蓄にならないことを演者が知っているからだ。

風呂敷

きょうの件は別だが、亭主には「ハイ」と答えて上手に操縦しろと強調するのは志ん朝流だ。志ん生とは背景の違う社会に生きる噺家の適応力でもあろう。船を見送るような声、上げ潮のごみは志ん生からの素直な継承。シャツの三つ目のボタンもそうだが、これは初代柳家三語楼〔1875(明治8)年―1938昭和13)年o志ん朝の本名、美濃部強次の名付け親〕が元祖といわれている。

〈十〉『へっつい幽霊、酢豆腐』

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へっつい幽霊

「ウチ(古今亭)のは簡単ですよ、『芝浜』にしても『竃』にしても」と志ん朝が言ったのを思い出す。修業時代に長らく辛酸を嘗なめ、田舎回りの経験も豊富な志ん生はどうすればどうウケるのか、どうしても演じなければならないぎりぎりの線はどこにあるかを体験的に熟知していたに違いない。

酢豆腐

放送時間枠を意識してやや急ぎ足のようだ。これは『志ん朝初出し』の多くの演目にいえることだが、陽気が身上のこの噺には必ずしもマイナスではない。若旦那ののろけ話を割愛しているが、どうも演者として気が引けるらしく話相手が「急に話が変わりますが」
と断りを入れて珍味の話に入る。志ん朝の律儀な性分の一端がよく表れている。

〈十一〉『妾馬、厩火事』

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妾馬

妹と話をして何が悪いと憤る八五郎はしまいに「連れて帰っちゃう」とまで言う。このあたりは志ん生をはじめ先人たちの口演にも素地はあるが、これほど明確に言い切ってはいない。それが明治生まれ世代と戦後育ち世代の相違であり、聴き手に古さを感じさせない噺の自然な若返りになっている。

厩火事

文樂の芸に憧れた三代目古今亭志ん朝は噺の運びから要所の表現までを文樂流に従い、人間関係、いきさつなどは志ん生流を取り入れ、さらに自分の解釈を施して、いつのまにか先人を忘れさせるような『厩火事』を作り上げた。とくにこの口演は好調でその魅力が充分に発揮されている。

〈十二〉『三年目、火焔太鼓』

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三年目

まくらは全く志ん朝独自の世界だ。いつもこの噺では女らしさ、女というものについて私見たっぷりに論じていた。解説的なまくらは苦手で、しかしわかりやすく話そうと努めるための堅さが感じられた志ん朝も、本音混じりのまくらは楽しそうにやっていた。

火焔太鼓

1992(平成4)年といえば志ん朝はもう54歳だが、すでに完成し〝尽くし〟た『火焔太鼓』に新演出を試みている。それまでただただ女房にコケにされ、なぶられ続け、一瞬は怒ってもすぐまたブーメランのように呑気な結構人に戻っていた甚兵衛が、ここではしばし悔し涙にかきくれるのだ。これは志ん朝の『火焔太鼓』でも特異なありようで、録音が残った意義はとても大きい。

〈一〉『水屋の富、五人廻し』MHCL-2332

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水屋の富

1967(昭和42)年、古今亭志ん朝若き日の口演で、語り口に初々しさと志ん生の名残の両面が感じられるが、自分で自分を追い詰めていく水屋の心理を演者の地の語りと水屋のモノローグとで構成する運びとタッチは、すでに後年の志ん朝のものだ。この噺をその後あまりやらなくなったのは残念だったが、それだけに貴重な記録となった。

五人廻し

三十代のこの口演は鮮やかにして爽やか、噺の魅力も若き志ん朝の魅力もたっぷりだ。まくらで廻しの説明をするとき、「パパパパパッと……そんなに速いかどうかわかりませんが」と言うのがいかにも若い志ん朝らしく、後年の口演とは別の感じがあるとともに、事を綺麗に聴かせる。

〈二〉『犬の災難、三枚起請』MHCL-2333

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犬の災難

『猫の災難』をスタンダードとする〝一般常識?からすれば、五代目古今亭志ん生の改作『犬の災難』の存在自体がすでに珍品だが、それをある時期までにせよ二男の三代目古今亭志ん朝が高座にかけ、その録音が残ったとなれば、これ以上の珍品はない。

三枚起請

志ん朝はいつもまくらで移ろう人の心を語っていたが、口演の年代によって切り口はずいぶん違っていた。晩年ほどほろ苦い思いを語ったのだが、この若い時分の口演は流行歌の歌詞から入っている。志ん生譲りの「西洋館に窓がないような」はいかにも明治調のギャグ。

〈三〉『火焔太鼓、坊主の遊び』MHCL-2334

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火焔太鼓

1966(昭和41)年放送のこの『火焔太鼓』で二十代後半の志ん朝はすでに自分の世界を確立し、父にまさる歯切れのよさで噺を運んでいるが、甚兵衛の口調には志ん生の影が残っている。女房は完全に志ん朝流だ。サゲ(落ち)でテンポをぐっと落とすのも志ん生風だが、ここに志ん朝版『火焔太鼓』の原点ありと見てもよいのではないか。

坊主の遊び

志ん朝は隠居を屈託のない明るい人物に造形し、剃かみそり刀を日頃使い慣れていることも自然に織り込んでいる。「引き眉」と本来の言い方をして「眉が描いてある」などとは言わない。若い衆が花魁に送らせると主張するのも本寸法で、志ん朝はことばの細部やマナーの表現を終生大切にしていた。

〈四〉『ちきり伊勢屋(上) 、崇徳院』MHCL-2335

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ちきり伊勢屋(上)

三代目古今亭志ん朝がこの種の噺をやるのは稀なことなので、当日の高座を聴いた印象は今も忘れない。むろん終わり初物の体験だった。細部の記憶は薄れたが、録音を聴き返して当日の凛としたトーン、とくに締め括りの鮮やかさが記憶そのままに甦ったことに切ない思いがした。

崇徳院

1982(昭和57)年の『志ん朝の会』(三百人劇場)での録音にくらべると、たとえば〝北海道代表・四国代表?のような三木助の遺風が随所に見られるが、三木助のように要所でことばの対比を使って噺を手際よく進める手法とは全く異なる志ん朝落語の世界が鮮やかに展開している

※この商品は12枚組CDBOX『志ん朝初出し』(2009/12/9発売)を分配したものですので収録音源はBOXと同じとなります。

尚、CDBOX『志ん朝初出し』、詳しくはこちら BOX BOX BOX

10月1日に命日を迎えた古今亭志ん朝。京須偕充の特別寄稿「十月一日、志ん朝十三回忌に寄せて」はこちらから

木戸をくぐれば

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