ジミが火をつけたのは、ギターだけじゃなかった。

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
ライヴ・アット・ザ・LAフォーラム

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス『ライヴ・アット・ザ・LAフォーラム』

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
『ライヴ・アット・ザ・LAフォーラム』


SICP6490/¥2,640(税込)

★英文解説(ビリー・ギボンズ、ランディ・ルイス)の完全翻訳、歌詞&語り・対訳付

《収録曲》
  1. イントロダクション
  2. タックス・フリー
  3. フォクシー・レディ
  4. レッド・ハウス
  5. スパニッシュ・キャッスル・マジック
  6. 星条旗
  7. 紫のけむり
  8. 今日を生きられない
  9. メドレー
  10. ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)
  11. サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ
  12. ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)

1969年4月26日、ロサンゼルス・フォーラムでの超満員の熱狂的な観客を前に、オリジナル・ラインナップ(V, G:ジミ・ヘンドリックス、Dr:ミッチ・ミッチェル、B:ノエル・レディング)が聞かせた素晴らしいパフォーマンスをとらえたもので、この音源が完全な形で発表されるのは、はじめてのこと。また今作は、ジミ・ヘンドリックスの生誕80周年(11月27日)にタイミングをあわせてリリースされる。

1967年から’68年にかけて発表された3枚の傑出したアルバム(『アー・ユー・エクスペリエンスト』、『アクシス : ボールド・アズ・ラヴ』、『エレクトリック・レディランド』)の驚異的な成功もあり、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは、ロックの世界を代表するライヴ・アクトとしての地位を確かなものとしていた。バンドへの関心や興味が急速な勢いで高まっていた、そんな時期のライヴ録音だ。

▼『ライヴ・アット・ザ・LAフォーラム』からの第一弾「今日を生きられない」はこちら

エクスペリエンスは、その卓越したインプロヴィゼーション能力を
お気に入りの「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」で示した!

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスがロサンゼルス・フォーラムで強烈なライヴを聞かせたその日までに、コンサート会場での音響は、ビートルズが野球場を回っていた時期と比べると、劇的に進化していた。ところが、観客のコントロールに関してはまだ問題山積だった。実際ジミは、曲間で、ステージに駆け寄らないようオーディエンスに訴えかけているのだ。警察官の数も半端ではなかったようで、ジミは「紫のけむり」の歌詞を“Scuse me while I kiss the policeman !”と変えて歌ったりしている。

また「スパニッシュ・キャッスル・マジック」は“そのあたりにいる私服警官と間抜けども”に捧げられたものだった。彼はそれぞれの曲を、意味のあるイベントにまで高めていたのだ。また彼は、ヒットした曲だけでセットをまとめるようなことはしなかった。LAフォーラムでのアプローチはそういった姿勢の典型的な例で、「フォクシー・レディ」などのよく知られた曲と、『アー・ユー・エクスペリエンスト』収録の「今日を生きられない」や、この時点ではアメリカでは未発表だったオリジナル・ブルース「レッド・ハウス」をブレンドさせたりしている。そのブルースに関して彼はこう語っていた。「なにがアメリカのソウルなのかと、みんな知りたがっている。モータウンと答える人も多いだろう。でも、アメリカのソウルは、こういうものなんじゃないかな」。

それだけではなく、彼らは、「タックス・フリー」という、まったく知られていない曲のカヴァーでコンサートをスタートさせているのだ。スウェーデンのデュオ、ハンソン&カールソン(ボ・ハンソンとヤン・カールソン)が1967年に発表したインストゥルメンタル曲で、エクスペリエンスはLAフォーラムの前年、ストックホルムでのコンサートで彼らと知りあっていた。このLAフォーラムでの、ヘンドリックスらしさを強く感じさせるもう一つのハイライトが、独自の解釈によるアメリカ国家「星条旗」。4ヶ月後のウッドストックでロックの正典となるあの曲の、初期のヴァージョンをここで演奏していたのだ。「我々をずっと洗脳してきた曲だ」。アメリカが政治的混乱状態にあったあの時期に、ジミは痛烈なメッセージを投げかけていたのである。

LAフォーラムでのパフォーマンスを締めくくるのは、「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」と「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」の圧倒的なメドレー。クリームの「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」はエクスペリエンスが気にいっていた曲で、彼らの卓越したインプロヴィゼーション能力をライヴで示す、完璧な素材ともなっている。

▼『ライヴ・アット・ザ・LAフォーラム』からの第二弾「紫のけむり」はこちら

このライヴを観ていたZZトップのビリー・ギボンズが序文を寄稿。

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのLAフォーラム公演は、ウォーリー・ハイダーとビル・ハルヴァーソンによってライヴ録音され、長くヘンドリックス作品のプロデュースとエンジニアリングを手がけてきたエディ・クレイマーが、今、最高の音質でリミックスを完成させた。プロデューサーは、エクスペリエンス・ヘンドリックスL.L.C.のCEOで、ジミの妹でもあるジェイニー・ヘンドリックス、クレイマー、そして、エクスペリエンス・ヘンドリックスの依頼を受けてヘドリックス作品に管理に携わってきたジョン・マクダーモット。ライナーノーツを執筆したのは、LAタイムズの元スタッフ・ライターで評論家としても活躍するランディ・ルイス。序文は、ZZトップの前身バンド、ムーヴィング・サイドウォークスの時代にエクスペリエンスのツアーに参加した経験があり、実際にLAフォーラムのライヴも観ていたビリー・ギボンズが書いている。

THE JIMI HENDRIX EXPERIENCE

● 1942年11月27日にアメリカ・シアトルで生まれた、不世出のギタリスト、ジミ・ヘンドリックス。1966年にロンドンへ渡り、ノエル・レディング(b)、ミッチ・ミッチェル(ds)とともにザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成。第一弾シングル「ヘイ・ジョー」は全英6位を記録するという華々しいデビューを飾り、1967年作アルバム『アー・ユー・エクスペリエンスト?』は最高2位を記録、英国中が注目するロックスターとなったジミは、アメリカに凱旋帰国しモンタレー・ポップ・フェスティヴァルに出演を果たす。その後もエクスペリエンスとして『アクシス:ボールド・アズ・ラヴ』『エレクトリック・レディランド』(全米1位)の計3作を発表し、1969年ウッドストック・フェスティバルではトリを務め伝説的なライヴを残した。1970年にはワイト島フェスティヴァルに参加。そのワイト島に出演してからおよそ3週後の9月18日、ロンドンのホテルで昏睡状態に陥り急死。享年27才。その短いキャリアながら、ギターという楽器の可能性を拡大しながら創造した作品の数々は、ロックとは何かを提示し、世代を越えて数多くのアーティストに影響を与え続けている。2003年のローリング・ストーン誌では《歴史上最も偉大なギタリスト》の第1位に選ばれるなど、最高のロックギタリストとして評価されている。

●日本オフィシャル・サイト → http://www.sonymusic.co.jp/artist/jimihendrix/
●海外オフィシャル・サイト → https://www.jimihendrix.com/


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