Loading

バービーボーイズ「暗闇日砲デジタル」WEB

BARBEE BOYS 40周年版 第3号

  • 令和6年12月8日日曜日

  • 令和6年

  • 12

  • 8

  • (日)

SCROLL

バービーボーイズ40周年、紅白は“夢”なのか?

音楽ファンにとって年末になると気になるのが大晦日の紅白歌合戦。毎年視聴率が上がったの下がったの、今年は誰が出るのと話題にもなり、音楽ファンのみならず、これを観て年を越す人は未だに多い。
懐かしいアーティストの登場は気にはなるが、我々が全く知らない歌手が出演することもあり、どんな基準で選ばれているかは、大体予想はつくが謎である。
『バービーボーイズ!紅白決定!!』こんな見出しで号外を出したい欲望は今でもスタッフ全員持っているが、バービーボーイズ がデビューして以来40年、紅白に出たためしはない。そもそもオファーがあっても出演していたのかどうか怪しいものではある。
84年にデビューして数年でブレイクしたバービーボーイズ 。年末、特に大晦日は各地のイベントに積極的に出演していた。紅白のためにこの日スケジュールを空けておくことなどなかったようにも思える。
紅白歌合戦はその年を象徴するヒット曲だったり話題になった歌手が登場するお祭り番組。
バービーボーイズ で言えば『目を閉じておいでよ』のヒットが89年だったのだが、この曲がリリースされたのが89年1月1日。曲のヒットと共にバービーボーイズ の知名度も上がり、出場できるとしたらこの年の暮れかと思えたが、資生堂のCM曲であることや、NHK向きとは到底言えない歌詞の内容を考えると、ヒットしたとは言えノミネートもされなかった可能性は高い。ちなみにかのヒロシ&キーボーの『3年目の浮気』は82年に80万枚の大ヒットだったのだが歌詞の内容がひっかかり、紅白出場は逃している。
あと出演のためにはNHKへの貢献度が重要ということをよく聞くが、『ソングス』に出演した2010年は可能性が高いと思われたが、残念ながら声はかからなかったようだ。
当時のエピックも事務所のキティも番組出演のためにNHKへ積極的に働きかけた様子はなかったように思われるが、もし出演のオファーがあればキティは前向きに出演を検討したと思うし、エピックも然りだったと思う。事務所の意向がアーティストの意志よりも強い時代だった。
(同じ)エピックで言えば渡辺美里が初めて紅白に出たのが2005年で、ここで初めて『My Revolution』を歌った。バービーボーイズも解散していなければチャンスがあったのかもしれないと少し妄想してしまう、、、。さらに、バービーボーイズ の同期のレベッカは2016年に再結成したタイミングで出演し『フレンズ』を歌った。なおBOØWYの単独での出演は無く、2006年に布袋がギタリストとして今井美樹のバックで出演した。いずれもヒットした時期からかなり時間が経過したタイミングで出演している。80年代にリアルタイムで活躍したアーティスト、特にバンドはほとんど紅白には出ていない。小田和正などは初めから紅白とは距離を置いているそうだ。
ただ昨年の紅白で同級生コーナーという別枠で佐野元春が出演した。こういう出方もあるのか。
今後バンド単独で出演することはまず無いだろうが昨年のような形でオファーされることはあるかもしれないし、個々での出演は充分考えられる(と我々は思いたい)。
ぐずぐずと未練たらしいが80年代後半のバービーボーイズ であれば、たとえ一曲であっても、最高のパフォーマンス、インパクトを残せたことは間違いない。
ファンの間で賛否両論巻き起こったとは思うが、でもやっぱり観たかったな、『バービーボーイズ!紅白決定!!』

ニ度あることは三度あるんだね、、、
恒例の最新リリース情報!

「1st OPTION」「Freebee」の告知ときて、この流れで「3rd. BREAK」がこないハズはない!と賢明なる本紙読者はお気づきのことだろう。(ホント、それ!である)
「3rd. BREAK」といえば、まさにタイトル通りBARBEE BOYSがブレイクへの階段をのぼることになる象徴的なアルバムだが、今回“暗闇砲談”にご登場いただいたカメラマンの大川直人氏とデザイナーの植田敬治氏によってジャケット写真撮影時の秘話があかされた。コンセプトは、昨今の小学校の運動会から消えつつある“組体操”。写真は合成ではなく実際に組体操を潰したところを撮影したとのこと(一番下になった、コンタ氏とエンリケ氏からは『重い!』とのクレームがあったとか無かったとか)。表4はその模様を背後から撮影した、というコンセプトらしい。購入された暁にはそのあたりにもぜひ注目してみて欲しい。仕様は前2作同様、お約束の最新リマスター音源からのBlu-specCD2 *1とアナログLP(12inch)重量盤 *2で発売決定の次第となった。
*1 ソニー・ミュージックエンタテインメントがBlu-ray Disc®の素材と製造技術を応用して開発した高品質CD。普通のCDプレーヤーで再生可能 *2 通常約140gのレコード盤を180gにすることにより回転が安定し、音の再現性が上がるため、音が良いとされている

重要作『3rd. BREAK』復刻で改めて、1985年から1986年を振り返ってみようじゃないか

バービーボーイズ の3枚目のアルバム『3rd. BREAK』 は1986年10月5日に発売された。
1984年9月21日にシングル『暗闇でDANCE』でデビューして2年。シングル5枚、アルバム2枚をリリース。その間、ライブを活動の軸としながら、MVを使ったプロモーションやエピックのビデオコンサートBeeなどによりファンを着実に増やしていった。1984年に創刊したパチパチ(『PATi-PATi』)などの雑誌媒体での露出も追い風となり、マスメディアからの評価も高まっていった。
まさにそんな彼らがブレイク寸前にリリースされたアルバムが『3rd. BREAK』だ。
それまで積み上げてきたメンバーの自信と手応えがアルバムタイトルにも込められている。
同アルバムからは「なんだったんだ? 7DAYS」が10月1日に直前に先行シングルカット。
デビュー1年後の1985年9月29日に無謀と言われた渋谷公会堂公演を挙行し、『3rd. BREAK』発売直後の86年11月4日には日本武道館公演を成功させている。
この1986年はバブル景気が始まった年であり、ファッションではディスコでボディコンが流行り任天堂のファミコンのドラクエが社会現象となった。北野武監督ならぬビートたけしがフライデー襲撃事件を起こした年でもある。 この年の音楽シーンは、フジテレビの番組から誕生したおニャン子クラブの大ブーム。聖子、明菜は盤石で、石井明美「CHA-CHA-CHA」、荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」、小林明子「恋に落ちて〜Fall in love〜」、デビュー間もない渡辺美里の「My Revolution」、レベッカ「フレンズ」などがヒット。久保田利伸、岡村靖幸がデビューしたのもこの年。
それまでのアイドル、歌謡曲を中心にしてきた音楽シーンに加えニューミュージックやシティポップといわれるジャンルが定着し、バンドを中心にしたロックが台頭してきた時期でもある。テレ朝のミュージックステーションが始まり、TBS系「ザ・ベストテン」やCX系「夜のヒットスタジオ」にもこの手のアーティストが次々と登場した。
そして我らがバービーボーイズ は2年後の1988年8月22日、ついに東京ドームのステージに立つことになる!

2nd『Freebee』続報!
「Freebee」特典ビジュアルも公開!

現在「1st OPTION」実物サンプルの監修中の担当者に話を聞いたところ『かなりいい出来!』とのこと。これはコレクターズアイテムとしても中々期待できるグッズになりそうだ。BARBEEグッズのコレクションに「チャンス到来」?!

舌好調「暗闇砲弾」いよいよ本丸登場?!
濃密#5、#6公開!

5桁台の再生回数に感謝!「暗闇日砲デジタル」YouTube動画「暗闇砲弾」、濃すぎると言っても過言ではない内容で今回はお届けするぞ。バービーボーイズの歴史をアーカイヴとして残していくこの連載動画企画も軌道に乗りつつ、バービーボーイズのメンバーからも毎回開くのを躊躇うほどのインパクト?!で当時を振り返ってきているが、今回も我々は手を緩めるどころかどんどん深く深くメスを入れていく次第。前回からの流れでここでは『Freebee』から『3rd. BREAK』への流れをテーマにしているが、改めてデビューからここまでの1985年から1986年あたりの動きを中心に、いつも通り当時の記憶があちこちに散らばっている内容になっているが、対談濃度はこれまでで一番かも!?な濃密な時間になったと我々は自負している。さて、今号も当時を知る裏方を厳選、2本立てでお届け。内容は、「暗闇日報」編集部員と当時のビジュアルワークの屋台骨を担当したというべき重鎮が登場。まず、フォトグラファー、大川直人写真事務所の大川直人氏、そして、アートワーク、ビジュアル面のキーパーソン、アフター・アワーズ・スタジオ 植田敬治氏との豪華鼎談に加え、さらに植田氏には一人残っていただいての対談。ぜひバービーボーイズのアナログレコードやCDジャケットなどビジュアル素材をご用意しつつ、ご覧いただきたい、今明かされるアレコレ、これは本当に今回も今回こそ見逃せません!

11/13ビルボード東京は最新形杏子で魅了!
“BEE & ME”公演、暗闇からのレポート!

5年連続で開催された杏子の東阪Billboard Liveツアー。昨年に続く“JUST TODAY”のvol.2と題されるとともに、今回は“BEE & ME”という洒落たサブタイトル付で、前半は最新形・杏子ソロに照準を定めたメニューを吉川理(g)、坂本暁良(ds)と、後半は盟友・いまみちともたか、ENRIQUEをスペシャル・ゲストに迎えた二部構成だった。客席にはコシノジュンコ氏も見えたが、前半の黒と赤を基調とした衣装は彼女が手がけたもの。ヴォーカルアプローチと楽曲双方で新境地を開拓した最新ソロアルバム『VIOLET』のタイトルチューンで幕が上がり、続く「Silly Scandals」ではアウターのマント部分がロングスカートに様変わりするサプライズで驚かせた。「あの日から遥か遠く」ではさらにアウターを脱ぎスカーフを翻し歌い、「“Hell, it’s me”」ではリッケンバッカーでジャリジャリなトーンを自らかき鳴らし歌うなど、楽曲ごとに様変わりする装いも観どころに。「30minutes」でも顕著だった独自のポルタメントを駆使したヴォーカルスタイルは、近年の音楽シーンの要素を昇華させた武器である。「幕末wasshoi」ではバンドメンバー含めて、コシノジュンコ氏の浴衣を羽織ったジャパネスクムードで、オーディエンスは両手を挙げての大合唱!
そして後半、坂本暁良にいまみちともたか、ENRIQUEという組み合わせで、まずはデビュー40周年記念盤としてリイシューが発表された『Freebee』から「タイムリミット」を披露。ブラックのノースリーブ・ワンピースにスカーフというセクシーな杏子が登場だ。後半は衣装チェンジもMCもないハイテンションな勇姿で前半と対照的。80年代当時のピッキングではなく、指弾きで一層ファットにボトムを支えるENRIQUEのベースに、シャープさ、華麗さ、エネルギッシュさが増す一方のいまみちともたかによるストラトプレイで、「あなたにアディクション」(いまみちともたか with OKAMOTO’Sのコラボレーションでも話題となった2016年作)も間髪を容れず聴かせる。さらにはいつ見ても惚れ惚れするイントロが痛快な「目を閉じておいでよ」は場内も大合唱。間奏、アウトロではステージ前に出てくるいまみちともたか、ENRIQUEの縦の線のステージングもクール! 本編最後は「負けるもんか」で、サビのコーラスはいまみちともたか、ENRIQUE、そして観衆が担うかたち。普段のBillboard Liveよりも熱度は随分と高かった気がするのもこの面子ならでは。アンコールではバックスクリーンが開き、六本木の街並を背に全メンバーが登場。最後は当時吉川理が衝撃を受けたという「なんだったんだ? 7DAYS」で、吉川理はカポタスト付けてのギタープレイで、原曲へのリスペクトを強く感じさせた。そしていまみちともたかは当時トレードマークだったイエローのダンカンSTを弾き、杏子はタンバリンを高く放り上げるステージで(最後落としていたけれど…)、言わずもがなの場内大合唱。あまりのハイテンションさに第一部ではあった記念撮影が吹っ飛んでしまったそうだが、お約束通りに行かない二部構成がこのメンバーらしいではないか。単なるデビュー40周年の歩みで魅了するだけじゃない、杏子のこれからを感じさせる内容が実に見事だった。 文:北村和孝 Photo:福政 良治

なんだったんだ???40年って

BARBEE BOYS PROFILE

メンバーは、KONTA(Vo.&Sax)、杏子(Vo.)、いまみちともたか(Gt.)、エンリケ(Ba.)、小沼俊明(Dr.)による5人組バンド。1984年9月21日男女のツインボーカル、ギタートリオにサックスを乗せたバンドサウンドで、シングル「暗闇でDANCE」でレコードデビュー。1992年1月ファイナルライヴを最後に解散。約8年ほどの活動期間中に、シングル16枚、オリジナルアルバム6枚を発表。解散から11年後の2003年2月「LIVE EPIC 25」への出演依頼を受け再結集。2008年4月、テレビ番組への出演をきっかけに再々結集。この流れに乗り、2009年、翌2010年にツアーを行い千秋楽の日本武道館ではすでにデビューから25年が経っていた。2018年10月、またもテレビ番組出演をきっかけに三度結集。2019年4月よりバンド活動を再開。同年12月にインディーズレーベルより29年ぶりの新譜「PlanBee」を発表。翌2020年1月に、代々木第一体育館、LINE CUBE SHIBUYAでのワンマンライヴを行ったのは、たまたまデビューから35年だった。2024年9月21日、デビュー40年を迎えた。

何度も買わせて
ごめんなさい…
3rd. BREAK
バービーボーイズ
「3rd. BREAK」

2025年2月26日
CD・LP同時発売

BUY