心に響く永遠のニューミュージック名曲集

ALL STAR EVERGREEN BEST


ソニー・ミュージックダイレクトの主力商品のひとつ、コンピレーションCD。
数々のヒット作、話題作を制作するチーフプロデューサー、後藤達也を直撃!
そこには収録される楽曲の数だけ愛があった――?

話題作を制作するチーフプロデューサー後藤達也

アーティストの選抜曲で構成される性質上、コンピレーションCDは売れないと意味がない!

―― 3枚組コンピレーションCD『オールスター・エバーグリーン・ベスト』が発売から2か月経ちましたがセールスが好調ですね。「心に響く永遠のニューミュージック」というテーマですが、リスナーの心に着実に響き始めているということですね。

後藤  ありがとうございます。うれしいですね! そもそも‘80年代、‘90年代コンピはたくさんリリースしてきたなかで次は何?と考えていました。そこで意外と出していなかった自分の世代に素直に目を向けてみようと思い、歌謡曲? アイドル? ロック? いや僕らが音楽に目覚めたのは’70年代後半から’80年代前半のニューミュージックだ!と確信し選曲を始めたんです。本作では手にしてくれるリスナーが絶対に好きそうな曲を意識しています。久保田早紀さんだったら「異邦人」、村下孝蔵さんだったら「初恋」っていうある種の鉄則は破らずに曲を並べています。心のどこかでは、久保田早紀さんだったら「九月の色」「オレンジエアメールスペシャル」も入れたいなぁとか、村下孝蔵さんだったら「ゆうこ」「踊り子」、あー「少女」も入れたいなっていう願望はあるけれど僕が作っているのは自分が聴きたいコンピではなく、当然お客さんが聴きたいコンピだという自覚を保って制作しています。あたりまえのことですけど(笑)。

―― 後藤さん個人的コンピも興味はありますが(笑)。

後藤  実はアーティストのそれぞれ5番手くらいの曲ばっかりを集めたコンピは制作したことがあるんですよ。それはもう選曲から楽しいし、Amazonレビューで「渋くて良い選曲」って褒められたりするんだけど、残念ながら売上枚数に反映されないんですね。アーティストの選抜曲で構成される性質上、コンピは売れないと意味がない!ということを再認識しましたね。だからアーティストの代表曲、ヒット曲を入れることで95%のお客様は満足して頂けるんです。ただ僕は、そんな中でも3曲くらいはテーマから少しだけはずれた曲をあえて選曲しています。『オールスター・エバーグリーン・ベスト』でいえば、榊原まさとしさん「不良少女白書」、谷山浩子さん「カントリーガール」、茶木みやこさんの「まぼろしの人」。この3曲はソニーミュージックのコンピに入ったのは初めてでした。48分の3の冒険といえば聞こえはいいのですが、これには理由があります。

―― その理由をお伺いする前に、後藤さんの音楽生い立ちを教えてもらえませんか。ご出身は?

後藤  赤羽です……と言いたいのですが、そこには2年しかいなくて。オヤジの仕事の影響でわりと東京近郊を転々としていましたからね。ん~~だからいわゆる地元がないんですね。地元どこなの? って尋ねられると、あ、その辺だよって(笑)。休みは故郷くにに帰るの?って聞かれても、どこの国かなって。だから出身地ないということで会話が膨らまないことが多々ありますね。

―― 家の中ではいつも音楽が鳴っていたのですか?

後藤  あんまり鳴ってない家でした……いや、違うな(笑)。ピアノは鳴っていましたね。正確に言うとポップスが好き、歌謡曲がすごく好きという家庭ではなかったんですけど、うちのオヤジがトリッキーなことにピアノを弾く人だったので。金持ちでも上流階級でもない貧乏家庭のくせに釣り合わない趣味として単に家で小さなピアノを弾いてた。僕ら兄弟も鍵盤に向かわせられましたがアニキは1年、僕は1か月くらいでギブアップした。2人そろってまったく興味なし!みたいな。

―― お兄さんとは仲が良かったのですか。

後藤  1学年上に兄。歳もすごく近いから、もうお兄ちゃんっていうよりもライバルに近い感じですね。新しいことをスタートする時はいつも一緒みたいな。野球を見るにしろ相撲を見るにしろ、だいたい同時にイン!という感じだから、あんまり差はなかったですね。実際に2人とも巨人と貴乃花(初代)を応援していましたから。

―― やはりテレビの影響は大きかった?

後藤  大きかったですね! 家の中に1台しかないテレビで、当然同じ番組を家族全員で見る普通のお茶の間。土曜日の夜は『クイズダービー』を観て、チャンネルそのまま『8時だヨ!全員集合』して、『Gメン』に突入という感じでしょうかね。いま振りかえりながら思ったのは、我が家はあまりNHK番組を観ていなかったんですよね。だから昔から朝ドラや大河ドラマの想い出はあまりないんです。その影響からか今でもNHKはあまり観ないですね……あ、でも受信料はしっかり払っていますよ。

―― 音楽番組は?

後藤  音楽番組は“レコ大”や“紅白”は毎年大晦日には観ていたけれど、それ以外の平日の番組には、小学校4年の時に“ある番組”に出会うまではまったく触れていなかったですね。もちろん山口百恵さんやキャンディーズは学校では話題にはなっていましたが、昨日テレビで観た?までには至っていなかったですね。“あるグループ”の出現によって教室の全員が口にする社会現象が生まれ、その“あるグループ”が“ある番組”の第1回目の放送の第1位……

―― “ある”を言ってください(笑)。

後藤  はい(笑)。番組は『ザ・ベストテン』。グループはピンク・レディーです。僕がエンタメに目覚めた瞬間ですね。『ザ・ベストテン』の第1回放送(1978年1月19日放送)の第1位がピンク・レディーの最大のヒット「UFO」でした。あの番組はランキング形式だったので最初にミラーゲートをくぐったのは10位の「風の駅」を歌った野口五郎さんなんですけどね(笑)。ピンク・レディーの登場じたいは番組よりも2年早く、子供ながらにカルチャーショックでしたし、僕の周りもピンク・レディーは全員が好きだったんじゃないかな?と思うくらいみんな真似して踊ってたし、歌ってた。当時は手ごろなカラオケ文化ではなかったので、とにかく歌う、アカペラでも何でも歌う。そんな時代でしたね。ピンク・レディーがあまりにも好きで、小学校5年ぐらいだっかな、オフクロとアニキと3人で神宮外苑の野外コンサートを観に行った。あれが僕の初めてのコンサート体験でした。

話題作を制作するチーフプロデューサー後藤達也

『ザ・ベストテン』などのランキング番組を独自集計してマイチャートを作っていました。

―― レコード初体験もピンク・レディーですか?

後藤  不思議なことに、ピンク・レディーのレコードは持ってなかったですね。もっぱらテレビのスピーカー前でラジカセに録音するっていう楽しみ方ですね。なぜ買ってなかったかというと……今にして思えば、小学校高学年の男の子が好きなアイドルのレコードを買ってもらっていることがちょっと恥ずかしかったんでしょうね。実際初めに買ってもらったレコードは、狩人の「コスモス街道」(’77年)。そのあとに沢田研二さんの「サムライ」(’78年)、ゴダイゴ「モンキー・マジック」(’78年)、甲斐バンド「HERO(ヒーローになる時、それは今)」(’78年)……男性ヴォーカルばっかりなんですよ。やっぱり照れていたんでしょうね。女性アイドルのレコードを買うことに(笑)。

―― 洋楽だったらちょっとおませでカッコいいとか。

後藤  あ、それこそ僕は神宮のコンサートでピンク・レディーがビージーズの「ステイン・アライブ」とかアラベスクの「ハロー・ミスター・モンキー」のカヴァーしていたこと感化されて洋楽を知ったんです。当時は西城秀樹さんもキャンディーズも良くステージで洋楽ヒット曲をカヴァーしていましたね。で、必然的に最初に買った洋楽のドーナツ盤はアラベスクの「ハロー・ミスター・モンキー」。あのEPジャケットって女性の裸体がイラストで描かれていて、よっぽどそっちのほうが恥ずかしいじゃんって(笑)。でもホラ洋楽だから!というエクスキューズで。その流れでアバ、ノーランズ、ザ・ドゥーリーズのキャンディ・ポップに傾倒していきましたね。それからディスコですかね。

―― あ、なんか小学生から“コンピ職人”の片鱗をのぞかせはじめていませんか?

後藤  いやいや全然。まだまだですよ。小学校の高学年になった時に歌謡曲と洋楽を並行して聴くようになって。そこから同級生と明らかに違うのは、当時のテレビやラジオ音楽番組のランキングをノートに付けて、独自の計算方法で自分だけの総合ランキングを出し始めたんです。

―― なんでそんなことをわざわざ(笑)。

後藤  『ザ・ベストテン』は、番組スタート時はランキング基礎データがハガキ40%、レコード30%、ラジオ20%、有線放送10%だったと思います。途中から一極集中するハガキ殺到を懸念してハガキ30%、レコード30%、ラジオ30%、有線放送10%に是正したじゃないですか。それでもやはりハガキのリクエストパワーが強かったことは上位の顔ぶれを見れば一目瞭然でした。でもやっぱりレコード売り上げを軸にしないとカッコいいチャートにはならないんですよ。私見ですが(笑)。でもレコードのランキングだけだと番組開始時はいつまで経ってもピンク・レディーが1位になっちゃうから、これがすごく難しいんですよね。ある日ここにラジオ番組のチャートを混ぜ込むとちょうどいい具合になることに気がついたんです。だったら毎週、マイチャートを作っちゃおうって。

―― なるほど。具体的な番組は?

後藤  テレビは『ザ・ベストテン』『ザ・トップテン』、ラジオは『不二家歌謡ベストテン』『森田公一の青春ベストテン』『決定!全日本歌謡選抜』など。全番組のランキングをノートにつけて、その数字に自分のポイントを加算して、マイ統合ランキングを作っていました。じつは洋楽でもBillboardを軸に同じようなことをしてマイチャートをつけていました。中学3年までは続けていましたが、80年代に入ってからしばらくしてアイドルの曲がマイチャートでもどうしてもオリコンと同じように初登場1位になっちゃうもんだから(笑)、だんだんチャート作りがつまらなくなって、やめました。でもノートはきっといまでも探せば出てくるはずです……探してきますか?

―― 探さなくて大丈夫です(笑)。まだロックが出てきませんね。

後藤  僕の中ではもう出てきています(笑)。アニキは、僕と同じようなテレビ番組を観て、聴いて、マイチャートこそ付けていなかったけれど先に好きだ!宣言しちゃうんです。ここはまた男同士の複雑なところで、アニキがレコードを買い始めたら、自分はもう好きとは言えないんですよ。実際一家に2枚も同じシングルはいらないから、僕は好きじゃないってことにする。アニキという立場を利用して中森明菜さんまで好きだ!と宣言された日には、僕だって人間ですからちょっと道を外れていきますよ。ノーランズ、アラベスクを聴きながら、アニキ未踏の地ハードロック、ヘヴィメタルに足を踏み入れていくんです。レインボーとかマイケル・シェンカーですよ。最初は背伸びしてレッド・ツェッペリンを聴いてみたけれど、ちょっとメロディがとらえにくい。当時はまだリフの美学がよく分からないから、ヴォーカルのメロディラインを探してしまうんですね。そうすると同じ欧州でもロバート・プラントより、ジョー・リン・ターナー……レインボーの「アイ・サレンダー」のほうがいい!みたいな。当時12歳の聴き方としては歌謡曲の延長を求めていますから、メロディ豊かな様式美なハードロックの曲にビンビンきちゃうわけです。

―― ディスコのイメージから遠のいた印象ですが。

後藤  大丈夫です、僕の中では遠くに行ってませんから(笑)。貸しレコードが高校生の時に登場して大人気になって、’85年に実際大学に入ってからお金に余裕も出来て相当レコードを借りまくり、音楽的な素養を育み、吸収して週に3回渋谷の、ラ・スカラっていう1500円で入れるディスコに通い昇華というか、発散というか、勉強というか。‘86年にドラマ『男女7人夏物語』が始まり、’87年に映画『私をスキーに連れてって』が公開、就職活動は‘88年ですから俗に言うバブル男ですよ、はい(笑)。ビッグコミックスピリッツに連載していた“私スキ”ホイチョイ・プロダクションズの『気まぐれコンセプト』が僕のバイブルで、それこそ広告代理店に就職したかったぐらい。当時のバブル少年の憧れですから。

話題作を制作するチーフプロデューサー後藤達也

女の子にモテたくてギターを弾いていたって言われてもこっちはナンパしたくてディスコに行っていたわけだし。

―― 広告代理店ではなくCBS・ソニーグループ(当時)に就職しました。

後藤  そうなんです。広告代理店をメインに気になっていた職種も合わせて20社くらい受けました。そしたら2社しか採用されなかった。1社が当時業界3位と言われていた大阪の代理店で、もう1社がココ。音楽は大好き。でも特別に音楽の仕事をしたい!っていう思いは正直強くなかった。どちらかというと僕は根っからの関東だから関西のノリとはちょっと合わない気がしていて、だったら名前も知られている東京のCBS・ソニーで……あれ、なんか言葉にするとすごく軽く感じるなぁ(笑)。

―― 残念ながら文字にしても軽く伝わると思います(笑)。同期は音楽マニアばっかり?

後藤  まぁそうですね。あるジャンルに特化して詳しいとか、このアーティストのことは任せておけ、音楽専門誌をこんなに読んでいます、という同期はたくさんいました。あ、これは正直かなわんなぁと思いましたね。自分の音楽知識なんてお山の大将だって。一方で僕みたいに全般的なチャートやディスコの愛好家タイプはあんまりいなかったです。それは入社式で自己紹介しながら話しをしていて分かりました。あれ、なんか自分違うなって(笑)? 女の子にモテたくてギターを弾いていたって言われても、僕は女の子をナンパしたくてディスコに行っていたわけだし。曲を作っていると自慢されても、僕は好きな曲ばっかりダビングするマイカセットテープをたくさん作っていたわけだし (笑)。

―― マイカセットはどのくらい作ったのですか?

後藤  100本以上は作りましたね。マイケル・ジャクソンやジャーニーなど分かりやすいヒットものもたくさん作りましたが、楽しかったのは渋谷ラ・スカラの店員にいま流れているこの曲は何ですか?って尋ねてその場ですぐにメモ! その紙を貸しレコに持っていきレコードを借りてマイディスコテープを作るんだけど、当時日本発売もしていなかったようなアナログ12インチもいっぱいレンタルしてね。FMではオンエアされないけれどフロアではいつもかかっているような正体不明な曲もたくさん詰め込んで。それって大学のサークルのドライブとかに持って行くとけっこう重宝されるんですよ。新しいテープが出来たよって持っていくと本当に喜ばれました。ピート・バーンズの訃報が届いたばかりですが、’80年代後半のディスコシーンはデッド・オア・アライヴを産み出したストック・エイトキン・ウォーターマンに代表されるユーロビート全盛でそのまま流行音楽として全米や全英ヒットチャートともシンクロしているんですね。だから当時のカセットへのダビング作業はマニア向けでありながらもどこかでヒット王道をおさえている一面もありましたね。ディスコでナンパした女の子は当然踊れる曲が好きだから、そのテープを渡すとすごく喜ぶし、誰かの部屋で集まって呑む時のBGMっていういのは、だいたい自分が担当していましたからね。喜んでもらえる顔を観るのも楽しかった。

―― いま後藤さんが手がけているコンピレーションCD制作はその頃のコンピカセット作りと基本一緒ですよね。昔は彼女や友達、いまはお客さんに満足してもらうため。

後藤  そうかもしれません。言われてみれば、マイチャート作りだったりマイテープ作りだったりとかはどこかでいまの仕事に活きているのかもしれませんね。音楽を愛している心はちっとも変わっていませんから、コンピレーションのテーマに沿ったロマンがある内容を目指していきます。だけれど不思議なことにコンピを買うリスナーの方は、実のところあまりロマンを求めてはいないんですよね。さっき『オールスター・エバーグリーン・ベスト』でもお話ししたように好きな曲の含有率が高いのが購買意欲を喚起するけど、知らない曲の含有率が買わない意欲までを喚起させちゃう。それはそうです。だってリスナーの数だけ曲には想い出があり、すでに個々のロマンはあるわけですから。僕が身勝手に完結してはダメなんですよ。プロとしては自分の感情だけには流されないコンピ作りを目指しています。

―― コンピは一個一個のパズルの許諾を取りながら埋めていくという作業ですか?

後藤  まずは大前提として知っていてもらいたいのが……あ、いや別に知らなくてもいいのですが(笑)、洋楽にせよ邦楽にせよコンピに収録することができる楽曲というのはこの世の中の既発曲のだいたい半分くらいなんですよ。これが多いとみるか少ないと見るかは正直僕も分かりません。それとこれは目に見えないルールと言ったほうがいいのかもしれませんが、自社権利曲で収録の半分を埋めないとダメなんです。だからまずは自社曲を申請して曲数をカウントしてから、他社から借りるための申請。この初動を間違えるとテーマから大きくはずれた企画になってしまうんです。例えばクリスマスコンピを作る時に、一般の方にインタビューするとユーミンさんとサザンと達郎さんとB’zが入っていればいいでしょうって答えが返ってくることが多いのですが、この4曲がコンピに入ることはほとんどないわけで。と、言いきれるのもコンピCDを作るうえでのマナーを知っているからで、これはもう場数からくる知識というしかないでしょうね。

―― 今まで失敗したコンピもあるのですか?

後藤  制作の立場上関わって頂いた方のためにも「失敗」という言葉は使いたくはないですが、665枚しか売れなかった「まあまあ」はありますね(笑)。僕は2003年から本格的にコンピ制作の仕事をしていますが、おかげさまで打率はそれなりに高くなりましたね。それでもスタート時は企画を20個くらい浮かべて、現実的に許諾がとれるかどうかの知識もないまま見切り発車。結局全然許諾が下りずいろんな方に迷惑をかけたこともありました。いまは経験と勘を頼りに選曲しながら収録曲を構成していきます。コンピCDはそれこそマイカセットテープではありませんから(笑)、こだわりも大事なのですが優先すべきはリスナーの需要です。どうしても収録したいがために根性論を持ち出しても決して勝負にはなりません。あと、大切なのは良い意味でのあきらめです。次に進むための経験値にすればいいだけのことですから。

―― 普段から意識していることはありますか。

後藤  例えばCDが一番売れた90年代コンピを作る時に注意しているのは、収録したい曲のアーティストのベストアルバムが最近出ているかどうか。ビジネスである以上ベスト盤が発売される前後というのはそのアルバムに収録されている楽曲のコンピレーション許諾はほぼ降りません。だから普段から自社他社とわず主要アーティストのベスト盤情報には気をつけていますね。それとコンピにも流行りがあって、ちょっと昔だったら「ウェディングで聴きたい」とかテーマのみで勝負が出来た時代もあったのですが、いまはリスナーもしっかりと中身を吟味する。別手段で試し聴きもできますからね。であれば「永遠のラブソング」くらい間口を拡げて、その分人気曲をたくさん入れた方がいい。大人のラブソングを集めた『熟恋歌 ~Sentimental~/オムニバス』、福岡営業所発の『沖縄時間 -OKINAWA BEST SELECTION-/オムニバス』もテーマは一応あるけど、基本的にはヒット曲コンピ。

話題作を制作するチーフプロデューサー後藤達也

好きなものしか入手しない便利なデジタル時代だからこそ僕はフィジカルなコンピCDで冒険をしています。

―― 配信時代のなかでコンピCDの価値観も変わってきていますよね。

後藤  サブスク(配信定額サービス)が始まった時にコンピCDは終わるだろうなというか、必要なくなるかもしれないって思いましたよ。リスナーそれぞれが好きな曲をリストに入れていく作業に権利許諾なんてものは必要ありませんからね。CDでいう78分という収録時間も気にしなくていいわけで。僕も手元のiTunesではマイリストを作っていますよ。比較対象があるだけサブスクの便利さはある意味でだれよりも実感しています(笑)。

―― そんななかで配信コンピレーションアルバムも発売されましたよね。

後藤  はい、『アニソンLOVE!蒼組』という配信コンピもチャレンジしました。おかげさまで配信ヒット商品と言われるまで好評を頂きました。制作の過程上、偶然の賜物であったにせよ結果的にちょっと珍しい選曲になったんですね。だから「超有名曲が入ってないじゃん」という声が多いかなと思っていたのですが、SNSでは「じゃないほうの曲が入ってるね!」と好意的な意見が多かったんです。漫才コンビとかでもいわゆる面白くない方の人を集めると「じゃないほう芸人」みたいな感じで言われることもあると思うのですが、「じゃない方のコンピ」って言われたときはいままでにないちょっとした快感でしたよね(笑)。発表時点でまだiTunesとかにリスト入りしていなかった曲もあったようで「じゃない方の曲をまとめてリッピングできるというのが非常に便利」という声には思わずニヤリでした。正直にいうとアニメにはあまり詳しくないので、『アニソンLOVE!蒼組』は客観的に制作することが出来た僕のなかでは珍しい作品なんですね。肩に力が入っていなかった分だけ良かったのかもしれません。

―― マイリストには弱点がありますよね。リストから外された曲との出会いがなくなってしまう。特にいまはは好きなモノしか取りにいかない時代。一方でCDの収録曲は盤面から削除は出来ない。新しいコンピの役割が期待されていると思います。

後藤  そうだと思います。本当はサブスクには何万という新しい出会いがあるはずなのに、とりわけ年配のリスナーの方はどちらかといえば再会を求めているのかもしれません。それもよく知っている特定の再会を。昔は再生時間を調べてカセットテープを選んで、レコード針を落として、レベルを合わせてからダビングした想い出の曲をいまはワンクリックで会える、と。だからこそ僕はコンピCDにはいつも隠し味を3曲くらい加えます。最初に述べた48分の3の冒険です。 多くのリスナーに親しまれた大ヒット曲、有名曲のなかにまぎれこませた3曲が世に放たれた時にどういう反応がかえってくるのかが楽しみなんです。「自分たちの時代にあんな良い曲があったことをこのコンピで知りました」なんて書きこまれたら、この仕事をやっていて本当に良かったと思うわけですよ。

インタビュー・文/安川達也

話題作を制作するチーフプロデューサー後藤達也

後藤達也(ごとう・たつや)

株式会社ソニー・ミュージックダイレクト
ストラテジック制作グループ 制作2部 次長

●1989年、CBS・ソニーグループ(現Sony Music)入社。営業、宣伝を経て、2003年よりコンピレーションCD制作を担当。洋楽では『MAX』『WOMAN』、邦楽では『クライマックス』『歌姫』『オールスター』等のシリーズ物を主に手がける。


↓↓オールスターevergreen best TOPへもどる↓↓
オールスターevergreen best



【関連リンク】
コンピレーションパラダイス