DJ OSSHY TOKYOの未来に恋してる!

安心・安全・健康的なディスコ・カルチャーを伝達することを使命とするDJ OSSHYのインタビュー連載

第50回【対談⑭ SAM ×DJ OSSHY[中編]】
第50回【対談⑭ SAM ×DJ OSSHY[中編]】

最終の新幹線にひとりで大阪まで行ってうまいダンサーがいるというディスコで踊って、朝方に帰ってくるということも。(SAM)


すごい! 道場破りだ(笑)(DJ OSSHY)


歌舞伎町を背負っている。勝手にそんな気持ちになって踊っていましたね。(SAM)



SAM [前編]からの続き)江守(藹)さんがネッシー・ギャングで、(ドン)勝本さんがスペースクラフト。その他に後々、トシちゃん(田原俊彦)のバックダンサーをやるジャPAニーズの前身となったインフォメーション・ブラザーズ、新宿にあった<SOUL HOUSE GO>にはラブ・トゥゲザー・ギャング、LTGというチームがいた。僕は17歳の時に勝本さんにスカウトされる前に憧れていた先輩がいたTGIFっていうチームがあって、新宿のシンデレラで毎週火曜日にショータイムがあったんです。僕らはそこの練習生みたいな感じで、毎週水曜日に赤坂の<MUGEN>の営業が終わった後の練習会にも行っていたんですよね。

DJ OSSHY そんな名立たる先輩方がいらっしゃって、今もSAMさんのように現役で活動されている方はいらっしゃるんですか?

SAM 江守さんくらいですね。今、73、4歳くらいですがダンサー界の長老です。江守さんがなぜ勝本さんと仲が良かったかというと、不良じゃなかったからなんですよね。江守さんはインテリな感じのソウル好きだったので、勝本さんも一目置いていたそうです。

DJ OSSHY 江守さんはダンサーとしてもすばらしいキャリアをお持ちながら、イラストレーターとしても著名な方で、70年代のディスコの日本盤ジャケットを多く描かれていて、アフロヘアーのイラストが印象的でした。DJもすごくうまいんですよね。当時、ダンスチーム同士で交流とかはあったんですか?

SAM Mickey MouseのときにLTGとは一緒になったことがありますね。渋谷の<Star Woods>の楽屋では子供扱いされていましたが(笑)。

DJ OSSHY 当時、SAMさんのチームのテーマ曲というか、一番よく踊られていた曲は何でしたか?

SAM ダン・ハートマンの「インスタント・リプレイ」や「リライト・マイ・ファイア」、あとグロリア・ゲイナーの「恋のサバイバル」とか好きでしたね。当時、ブラック・ミュージックのことをファンキーって言っていたじゃないですか。ディスコに行くと、ファンキーかけてくださいみたいな。


ダン・ハートマン
『リライト・マイ・ファイア』
1979年発表


DJ OSSHY そのあたりが定番だったんですね。ダンスは見せるということがいちばん重要なわけですから、ファッションにもこだわりがあったんじゃないですか。

SAM ありました。ある時、新宿のサブナードにGジャンのベストやファーラーのパンツを買いに行っていたお店の店長が今度こんなパンツが新しく入ってきたんだけど、みんなで履いてくれないって頼まれたことがあったんです。それがエンジェルズ・フライトっていうパンツで。後にサーファー御用達になるという。それを最初に履いていたのが僕たちのチームでした。履いていると、みんなそれどこで買ったんですかってよく聞かれましたよ。そこの店を紹介して、みんな買いに行くという。

DJ OSSHY エンジェルズ・フライトやファーラーのホップサックなど、後のサーファーファッションの走りですね。今で言うインフルエンサーのような存在でもあったと。

SAM まさにそんな感じでしたね。初期のエンジェルズ・フライトってけっこうなフレアー具合だったんですが、サーファーファッションになってからはマイルドになった(笑)。

DJ OSSHY ヘアスタイルもアフロで?

SAM 僕はショートアフロというか、パーマで膨らましてました。アフロではなかったです、学校で怒られちゃうんです。

DJ OSSHY まだ高校生だったらさすがにアフロはまずいですよね(笑)。ちなみにダンスのスタイル、振り付けなんかも地域ごとに特徴はあったんでしょうか?

SAM ありましたね。横浜はハマチャチャだったり。高校生の時、たまに六本木のスタワン(<Studio One>)やとかに行くと、かっこいい大人なダンスしているわけですよ。女の子と一緒に。ブラック・シー・ファミリーっていう、チームというよりはダンス好きの仲間たちで、その人たちは僕らが来ると冷ややかな目で見ていましたね。新宿のガキが来たよ、みたいな。六本木はちょっと敷居が高かったですね。ちょっと気合い入れて行く感じで。渋谷はあまりうまいダンサーがいない印象でしたね。

DJ OSSHY 横浜に遠征はしなかった?




SAM 横浜は行かなかったんですよ。横浜は勝本さんや、後に僕のダンスの師匠になる福岡のYOSHIBOWさんからもよく聞いていたハマチャチャの創始者のひとりである、KENJI君というのがすごいと聞いていました。勝本さんも一目置いていたほどで、KENちゃん、KENちゃんってよく言っていましたね。お会いしたことはないんですが。

DJ OSSHY それなら地方にもすごいダンサーがいたんじゃないですか?

SAM 勝本さんの仕事でディスコ巡業をしている時に……ひどいんですよ(笑)。

DJ OSSHY やっぱりひどいんですか(笑)。

SAM いちおうCHAMPというグループでデビューしていて、各地のディスコで歌うわけなんですが、マイクスタンドやPAも自分たちで持って、それでお盆の時期とか移動するわけですよ。もちろん指定席なんか取ってくれませんから、自由席でぎゅうぎゅうになりながら移動したりとか。それで四国とかまで行くんですよ。

DJ OSSHY 遠征だ。

SAM 四国のあるディスコで、ショータイムの出番前にフロントにあるモニターを見ていたら、すごくかっこいいダンスチームが踊っていて、最初は外国人だと思ったんです。店長に聞いたら、ああ、この人たちね、福岡のCAEZERっていうチームだよって教えてくれて。え、日本人ですか? って思わず聞き返したほどで。のちに知るYOSHIBOWのチームだとはそのとき知らなかったんですけど、その前に大阪でお名前を聞いていたんです。当時、大阪のダンス・シーンがかっこいいと東京まで話題になっていて、最終の新幹線にひとりで大阪まで行ってうまいダンサーがいるというディスコで踊って、朝方に帰ってくるということをやったことあるんですけど……。




DJ OSSHY すごい、道場破りだ(笑)。

SAM フォーカルポイントというディスコに行ったら、どんどん踊れるやつらが集まってくるわけですよ。みんな鏡の前で踊って。うわ、すげえな大阪って、と思っていたところに男の人から自分、どっから来たん? って声をかけてくれて。東京から来ましたと返したら、そうか、うまいやついっぱいおるやろと。声をかけてくれたのは今も活躍されているREIさんというダンサーで、うまいダンサーってほかにどこにいるんですか? と逆に聞いたら、九州にYOSHIBOWっていうのがいるらしいねって教えてくれたんです。

DJ OSSHY 名前が出てきましたね。

SAM そうなんです。そこで初めてYOSHIBOWさんのお名前を聞いたんですよ。その後に、さっき言った四国のディスコでCAEZERのYOSHIBOWさんというのを知ったんです。そして、CHAMPが福岡で仕事があったときにYOSHIBOWさんが見に来てくれたんですよ。そのときは、話はしなかったんです。CAEZERが来ているって言われたんですが、ビビってしまって、お前行ってこいよってメンバー同士がもじもじしちゃっているうちにYOSHIBOWさんたちは帰ってしまって。その後に、当時のディスコ仲間で国会議員にもなった菅原一秀がひとりで福岡に行ってYOSHIBOWさんと仲良くなったんですよ。それで僕と繋いでくれたんです。

DJ OSSHY そんなエピソードがあったとは!

SAM 一秀が、YOSHIBOWさんが今度東京に来るから一緒に会おうよって言ってくれて、新宿で初めて対面したんです。そうやって東京、大阪、福岡のシーンが繋がっていった。それまではバラバラでしたから。当時は繋がる術もなかったので。インターネットも携帯もないし。僕らが東京から巡業で色んなところを周るから、各地のダンサーやDJと知り合いになることができた。それでだんだん繋がっていったんです。でも後々、REIさんと話せるようになって大阪の夜の話をしたら、全然おぼえてないって言われましたが(笑)。

DJ OSSHY あるあるですね(笑)。

SAM YOSHIBOWさんと仲良くさせてもらうようになって、その技術のすごさに驚かされっぱなしでした。そこでダンサーの基礎的なダウンとかアップのリズムも全部習って、それから自分たちのダンスも飛躍的に変わったなという気がします。YOSHIBOWさんなくして、今の自分はありませんから。

DJ OSSHY 勝本さんじゃなく(笑)?

SAM あの人はなんですかね(苦笑)。憎めないんですけどね。




DJ OSSHY DJ的にダンサーの方にお伺いしたかったことがずっとあるんですが、踊りやすいテンポのBPMはどのぐらいなんですか?

SAM 今、自分はハウスダンサーなので、BPM125とか130くらいまでのテンポ感ですかね。

DJ OSSHY けっこう速いですね。

SAM BPM130は速いかもしれませんね。ハウスでならBPM115ぐらいからありかもしれないですね。ロービートでも気持ち良く乗れるので。

DJ OSSHY じゃあBPM115から125ぐらいがいちばん気持ちよく踊れるんですね。あとは踊り続ける時間としてはどのくらいの分数がちょうどいいんでしょうか。言ってみればDJとしては持ち時間ずっと踊ってほしいわけですよ。ダンスフロアからずっと引いて欲しくないという思いで、起承転結を作ってくるわけですよ。でも、ダンサーの立場からすると疲れたら当然休むでしょうし、どのくらいの時間が踊り続けるのに適しているのかなと気になっているわけです。そこがバトルなんですよ。それを参考にしたいなと思っていたんですよ。

SAM 若い頃はフロアに出たら1時間は踊っていましたね。今の方がDJの選曲を意識して踊っていますね。ダンスがわかるようになってきてからの方が選曲に左右されているんで。若い頃って選曲というよりは、ファンキーがかかったら踊るみたいな感じだったんですよね。でも、<シンデレラ>とかで踊っている時はどんな曲でも踊っていましたし、それこそ<ノック・オン・ウッド>でも。今も1時間はいけるんじゃないですかね。

DJ OSSHY さすが。

SAM フロアにゆらゆら揺れる感じで。激しく踊って、ちょっとスローダウンしたりとか。音とハマると1時間はいけちゃいますね。そういえば僕、TRFになってからも色んなクラブにひとりで行っていたんですよ。仲間と行くと酒飲んだりしちゃうじゃないですか。なので、ひとりでストイックにスピーカーの前でずっと踊るということをよくやっていましたね。そのときもだいたい1時間くらいでしたかね。

DJ OSSHY DJ的な立場とさっき言いましたが、ノンストップミックスでずっと踊ってほしいという思いと、ダンサーの思いはずれが絶対あると思っていたんです。曲で踊るという考え方かもしれませんが、僕の場合は曲で踊らせるって意識じゃないんですよ。いろんなDJのスタイルがあるから、1曲1曲ジュークボックス的にリクエストを対応しながら踊らせるというDJもいるかもしれないけど、僕の場合はグルーヴで踊らせるので、知らない曲とかアルバムの3曲目とかB面の2曲目とか、みんな知らないような曲でもリズムとかグルーヴ感でミックスして、知らず知らずのうちに踊らせちゃうぞということに勝負を賭けている感じなんですね。そういうところで、みんな1曲1曲で知っている曲で踊るのか、グルーヴで踊ってくれるのかっていう戦いですね、いつも。

SAM 僕も今、グルーヴで踊りたいですね。ハウスだけでなく、ソウルでも、ヒップホップでも。

DJ OSSHY そういう方々が増えてほしいという思いで、僕は今DJしているんです。1 曲1曲でフロアを出たり、入ったりというような動きがではなく、ずっとグルーヴに身体を委ねていてほしいんです。

SAM 逆にOSSHYさんのようなDJの立場からはダンサーはどのように見えているんですか? ダンサーって、けっこう煙たがられていたんですよね。ダンサーはダンス禁止とかって言われたり(笑)。

DJ OSSHY ダンサーがダンス禁止って、ディスコで何をすればいいのかって話ですよね(笑)。激しいダンスを踊って、周りの人に影響を及ぼすようなダンサーに禁止していたと思うんですけど。あとは円陣禁止というのも当時ありましたね。どうしても乗ってくると輪ができて、その輪が広がっていくので「輪になって踊らないで~」とかはアナウンスしたことはありますね。でも、基本的にフロアを盛り上げてくれるので大歓迎でした。ちなみにSAMさんは歌舞伎町を本拠にしながら、渋谷や赤坂、六本木などのディスコでも踊られていたわけですが、やはり歌舞伎町以外だとアウェー感みたいなものはあったんですか?

SAM ありましたね、アウェー感。俺たちは歌舞伎町を背負っているって、勝手にそんな気持ちになって踊っていました。

[後編]に続く

対談進行・文/油納将志 写真/島田香


●SAM(サム)

15歳でダンスの面白さを知り、10代でディスコダンス、ブレイクダンスに出会う。単身ニューヨークへ。帰国後、TRFコンサートの振り付け、構成、演出はもちろんV6、浜崎あゆみ、BoA、東方神起、郷ひろみ他アーティストの舞台もダンスクリエイターとして手掛ける。2018年に行われた日産スタジアムでの東方神起ライブは、史上初3日連続計22万人を動員。総合演出で観客を魅了する。

近年、次世代ダンサー育成、リサーチの為、多くのダンサーオーディションを手がけ、自ら主宰するダンススタジオ「SOUL AND MOTION」でレッスンも行っている。

2016年、一般社団法人ダレデモダンスを設立、代表理事に就任。この団体での活動を通じて、誰もがダンスに親しみやすい環境を創出し、子供から高齢者まで幅広い年代へのダンスの普及と質の高い指導者の育成、ダンサーの活躍の場の拡大を目指す活動を始めている。最近では、日本最古の伝統芸能「能」の舞台にダンサーとして初めて出演した。

南カリフォルニア大学デイビススクールジェロントロジー学科通信教育課程修了
ダンサー・ダンスクリエイター・演出家・ジェロントロジスト。

ダレデモダンス www.daredemodance.or.jp


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クロスメディア・パブリッシング
2022年4月1日発売


DVD+CD
『リバイバルダンス』
TRF(SAM、CHIHARU、ETSU)考案
エイベックス・エンタテインメント
2022年3月14日発売


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www.bmw.com/ja/events/joymovesme


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DJ OSSHY 出演スケジュール
5月27日(金) 《EVENT》DJ OSSHY ワンマン DJ NIGHT@アロフト東京銀座
5月28日(土) 《RADIO》interfm RADIO DISCO
5月29日(日) 《EVENT》サンデーディスコ@六本木マハラジャ
5月29日(日) 《RADIO》Fm yokohama 横浜Disco Train
5月30日(月) 《TV》BSフジ DJ OSSHY DISCO TV 再放送
6月3日(金) 《EVENT》ナバーナマンスリーパーティ@渋谷キャメロットB2
6月6日(月) 《TV》BSフジ DJ OSSHY DISCO TV

▲諸事情によりイベントは変更になることもございます。 詳しくはDJ OSSHY公式サイト(www.osshy.com) をご参考ください。

プロフィール

DJ OSSHY
DJ OSSHY (公式サイト www.osshy.com)
7月22日「ディスコの日」制定者。80′s ディスコ伝道師。
MCとミキシングを両方こなす、DISCO DJのスペシャリスト。
安心・安全・健康的でクリーンなディスコの魅力を全国に伝えている。
テレビ司会者の第一人者「押阪 忍」の長男。

親子で楽しめる「ファミリーディスコ」、高齢者向け「シルバーディスコ」など、 世代を超えて楽しめるイベントを開催。
東京スカイツリー、東京タワー、羽田空港、大型客船シンフォニー、 小金井カントリー倶楽部などでのディスコイベントのメインDJを務め、郷ひろみ、鈴木雅之、角松敏生との共演イベントも大きな話題を呼んだ。
売野雅勇 作詞活動35周年記念コンサートでは、総合司会を務めた。

民放テレビ初のディスコTV番組「DISCO TRAIN」(TOKYO-MX)を始めとした、ディスコ放送番組DJのパイオニアでもある。

【レギュラー番組】

●「DJ OSSHY DISCO TV」(BSフジ)毎月第1・第3月曜日 24:00~24:25
●「DJ OSSHY × まつきりな 推しナイト!」(BSフジ)アーカイブ配信中!
●「Family Disco」(JFN系列)全国FMラジオ放送
●「RADIO DISCO」(InterFM897)毎週土曜日15:00~17:45
●「横浜DiscoTrain」(FMヨコハマ)毎週日曜日15:20~15:30

他、2018年6月4日 テレビ朝日「徹子の部屋」など様々な番組に出演。

2021年9月22日には最新mix CD『 SURF DISCO 2 -NO SURF, NO LIFE.- mixed by DJ OSSHY 』をリリース。
2016年10月には、初の書き下ろし・エッセイ『ディスコの力』(PHP出版)を出版した。

今、日本で一番集客力のある、ディスコ世代に支持されているDJタレント。

DJ OSSHY公式サイト
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