キーワードで振りかえる80’s 洋楽パラダイス

1970年生まれ(昭和45年生まれ)のotonano編集部員が語る80年代洋楽体験記

80年代洋楽メガヒット!PARADISE - MEGA HITS '80s連載企画●番外編:ディスコ・ラヴァーズ × パラダイス MEGA HITS ‘80s[前編]

80年代洋楽メガヒット!PARADISE - MEGA HITS '80s連載企画●番外編:ディスコ・ラヴァーズ × パラダイス MEGA HITS ‘80s[前編]
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僕は今年でコンピレーション制作を本格的に始めてちょうど20年。これまで36作品を制作させてもらってきました。そのなかで一番売れたのは……。(DJ OSSHY)



安川  さて。OSSHYさん。今回は連載対談の番外編としてお届けしたいと思います。題して、対談・番外編! ディスコ・ラヴァーズ × パラダイス MEGA HITS ‘80s!! 


OSSHY  いつもは取材に立ち会ってもらっているotonano編集長の鮎澤さんと連載担当編集者の安川さんが対談相手として目の前にいる。これは、新鮮ですね。(笑)


鮎澤  すみません! こんなメンツで(笑)。安川くん、あらためて説明してください。


安川  はい。ソニー・ミュージックダイレクトが誇るロングセラー洋楽コンピレーションCDボックス『ディスコ・ラヴァーズ』と『PARADISE - MEGA HITS ‘80s』。それぞれの監修・選曲者でもあるDJ OSSHYと鮎澤編集長に向かいあってもらいます。私は『80sパラダイス』のライナー解説を書かせてもらったので、今日は80sパラダイスチームとしての参戦です。おふたりからコンピ制作の楽しさを教えてもらえたらなぁって。



OSSHY  僕は今年でコンピレーション制作を本格的に始めてちょうど20年。これまで36作品を制作させてもらってきました。楽しいのはもちろんなんですが、同時に苦しみも味わってきたんです。自分が選曲した曲のすべてがそのまま収録できるということはなく、残念ながら使用許諾が下りなかったり、みんなが知っているヒット曲を入れてほしいというリクエストがあったりして、そのせめぎあいの中で、コンピを編んできました。


鮎澤  そのあたりの気苦労は理解できます。


OSSHY  そこで、今日はレコード会社のディレクターという立場でコンピを制作している鮎澤さん、そしてそのコンピの魅力を音楽ファンに伝える立場である安川さんにコンピの裏側について聞きたいとお願いして、この鼎談が実現しました。鮎澤さんは80年代の洋楽ヒットを詰め込んだ5枚組『PARADISE』を制作されましたが、何曲くらい候補曲を挙げていたんでしょう?


鮎澤  『PARADISE』は弊社ソニー以外にもワーナー、EMIの音源も入っていて、各ディスクにつき18曲、計90曲収録されていますが、予備曲も含めて130曲くらいはリストアップしたと思いますね。コンピの種類によりけりなんですが、80年代のヒット曲をまとめたものだと、許諾が下りやすい、下りづらい曲というのはある程度わかっているんです。このコンピを制作した10年前くらいだと、類似したコンピが各レコード会社から通販限定のものも含めて、10数枚出ていました。


OSSHY  80sコンピの需要は長いですよね。



鮎澤  はい。どれも収録曲が違うかというと、そうではなくて、どのコンピも重複していて似たような内容になっている。ですので、発表済みのコンピに収められている曲は許諾が下りて収録されているわけですから、コンピに収録しやすいというわけです。その中からある程度を選んで、さらに難しいかもしれないけれど挑戦してみようという曲も織り交ぜて、予定曲のリストを組んでいくんです。


OSSHY  なるほど。ある程度は使用できる楽曲は見えているということですね。『PARADISE』にはマイケル・ジャクソン単体で2曲、ファミリーのジャクソンズ1曲。そしてなんといってもプリンス「レッツ・ゴー・クレイジー」も入っていますが、彼らも使えるとわかっていたんですか?


鮎澤  いえいえ、その2組は挑戦でした。このコンピは絶対に需要があると自信がありましたので、ここにマイケルが加われば無敵だと考えたんです。『PARADISE』を制作していた当時、マイケルは年に数曲だけコンピ使用が許されていたんですが、日本の権利元であるソニー・ミュージックインターナショナルもマイケルを入れた売れるコンピを作りたいから、なかなか収録の機会がない。そこで絶対に売れるコンピになるからということで上司も連れて交渉したんです。その熱意が通じて、2曲収録させてもらえることになりました。


OSSHY  その結果が「スリラー」と「今夜はビート・イット」ですね。ジャクソンズの「ステイト・オブ・ショック」を加えると3曲だ。……あれ、ちょっと待ってください、『PARADISE』がリリースされたのは2009年の8月ですよね? マイケルが急逝したのが同じ年の6月。もしかして、このコンピの制作期間中にマイケルは亡くなったということですか?


鮎澤  そうなんです。ちょうど亡くなる直前にマイケル側から許諾が下りて収録が決定して、制作作業が終わったくらいの時期で肩の荷が下りるなというタイミングで驚愕のニュースが飛び込んできて。慌ててライナーノーツを執筆していた安川くんに連絡したんです。



安川  びっくりしましたね。書き終えていたライナーノーツを変更なり、追記した方がいいですかと確認しましたよね? 亡くなったことは事実だし、触れていないのは不自然だから何とか間に合わせて、追記しようということになったんです。あまりに衝撃的なニュースだったので、今でも鮮明に思い出せますね。一方、プリンスはその時点ではまだ存命中だったから収録できたんでしょうね。


OSSHY  なるほど。やはり、プリンスも厳しかった?


鮎澤  厳しかったですね。許諾が下りたらラッキー、くらいの気持ちで臨んでいましたから。ワーナー盤とEMI盤に関しては、こちらでだいたいの選曲を決めて、ソニー盤よりは予備曲を増やしました。この選曲リストを元に許諾申請をお願いできますかと各社にお願いするんです。この曲は挑戦したいんで、もし万が一許諾が下りたら、この曲の許諾申請は取り下げてもらえますかというように状況とバランスを見ながら進めていきました。例えば全18曲中15曲くらい許諾がもらえたら、いったん挑戦曲だけ交渉してもらうようにしたり。他社とはそういうやりとりで進めていくんです。


OSSHY  その挑戦曲で入れられた曲は?


鮎澤  やはりプリンスの「レッツ・ゴー・クレイジー」とデヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」ですかね。ふたりとも今は亡くなってしまいましたが、コンピ制作中は存命でした。大物はおしなべて許諾が下りづらいですね。そのほかだと、意外だと思われるでしょうが、ヘヴィ・メタルが難しいんですよ。オジー・オズボーンとかジューダス・プリーストとか。あとは現役でがんばっているU2やボン・ジョヴィもほぼ不可能ですね。



OSSHY  メタルは意外! そうなんですね。メタルは難しいんだ、今後のためにおぼえておこう(笑)。


安川  でも、挑戦曲なのに、ボウイの「レッツ・ダンス」は、Disc4の2曲目。オープニングはデュラン・デュランの「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」。この1、2曲目に鮎澤さんの苦悩が見えます。曲順を決めるものディレクターの仕事ですが、選曲と同じくらい悩みませんか?


鮎澤  悩む(笑)。それはコンピを作るたびに悩みます。どの曲順が正解というのはないんだけれど、正解を求めて悩み尽くすというふうに。でも、曲順を決めている瞬間こそがコンピのディレクターが一番至福を感じている時間だと思いますよ。うまく前後の曲がつながると、なんて気持ちがいいんだ、俺、神かも、と思っちゃたり(笑)。


OSSHY  うんうん。ですよね。


鮎澤  だから、「レッツ・ダンス」もあえて2曲目に収まっていたりする。そこはDJと通じるところがあると思う。コード感のつながりや、タメのリズムからかクレッシェンド気味のリズムから入ってくるのか。感覚的な気持ちよさを頼りに曲順を組み立てていく。CD1枚でストーリーを描いていく作業なわけで、悩みもしますが、楽しさの方が勝る。それはOSSHYさんも同じなんじゃないですか?



OSSHY  いや、まさにそうですよ。コンピ作りの醍醐味と言っていいでしょうね。しかし、その裏では毎回苦労があるわけで。コンピ制作を始めた頃から今に至るまで許諾には悩まされ続けています。社員ディレクターでもある鮎澤さんと違って、私は外部のフリーランスの立場ですので、許諾に関する裏事情がわからない。このアーティストが取りやすい、難しいというのは担当のディレクターに聞いてみないとわからないんです。ですので、いつも100曲くらい候補曲を提出します。


安川  『ディスコ・ラヴァーズ』でいうと能勢ディレクターですね。


OSSHY  担当ディレクターが許諾交渉を進めてくれて、制作スケジュールとにらめっこしながらギリギリまで交渉してもらってOKになった曲から曲順を決めていく。最初から許諾に関することがわかっていたらある意味、楽なんですよね。私の場合はプロトタイプとなる選曲はしても、予定していた7曲目がNGでしたとなると、別の曲に差し替えればいいかというと、そうじゃない。コンピ全体でストーリーを描いていくパターンがほとんどなので、またイチからやりなおしということになる。だから自分の中では許諾確認の期間がいちばんしんどい作業と言っていいかもしれません。


鮎澤  いつもご苦労おかけしてすいません……。選曲の話に戻ると、コンピを選曲するにあたって、会社の先輩から口を酸っぱくして言われたのがマーキングはするなということ。犬のマーキングですね。つまり、自分の好みやこだわりの痕跡を残すな、データに基づいた選曲をしろということなんです。ヒット曲の中に、自分だけが知っているような名曲を入れようとすると全体がダメになることがあるからやめなさい、私情を挟むなということはよく言われましたね。ヒット曲のコンピならば、すべてヒット曲でまとめろ、と。


安川  ぼくはこのコンピに限らず、洋楽の場合は全米・全英チャートのデータを調べてライナーノーツに記載することが多いんですが、『PARADISE』は本当にどの曲も見事に上位にランクインしているんですよね。でも、その一方で、どうしてこの曲が!? というのがある……。



鮎澤  なんだよ(笑)。


安川  Disc5の7曲目のデッド・オア・アライヴの「マイ・ハート・ゴーズ・バング」なんです。知名度が高いヒット曲ではない。ある意味、最強のディスコ・フロア・ソングのひとつ。『ディスコ・ラヴァーズ』OSSHYさんが選んだんならば納得なんですが、『PARADISE』鮎澤さんはなぜ選んだんですか? 全英23位としか書けなかったんですよ。説明してください(笑)。


鮎澤  今となっては記憶に全然ない(笑)。チャートアクションを気にしつつも、自分の皮膚感の大事にして選曲しているから、自然と選んじゃったんだろうね。ダリル・ホール&ジョン・オーツならば「プライベート・アイズ」に「マンイーター」「ワン・オン・ワン」というように。


OSSHY  それはヒット有無の事実も大事だけれど、実際にCDとして商品化するときの前後の曲の関係とかリズムやテンポも考えての上での選曲だからでしょ。


鮎澤  OSSHYさんありがとうございます。でも、「マイ・ハート・ゴーズ・バング」はまったく関係なく、ぱっと浮かんだんですよね。学生時代にミュージック・ビデオをよく観ていて印象に残っていたからかもしれません。


OSSHY  そういう記憶も大切なことですよ。


安川  でも「今夜はビート・イット」はわかるんですが、「ビリー・ジーン」じゃなくてアルバム表題曲の「スリラー」が入れているのは珍しいし、面白い。あの大作のエンディング曲であまりコンピ向きの曲じゃないんですよね。あれはどういう経緯で?


鮎澤  なに。さっきからオレをディスってるの(笑)?


安川  違いますよ! 前から気になってたから質問してるだけですよ(笑)。


OSSHY  (笑)



安川  いやスゴイと思ってるんですよ。2009年にリリースされた時はそうではなかったんですが、この『PARADISE』は今となっては故人の曲が多くなりました。マイケル、プリンス、ボウイ、ジョージ・マイケルもホイットニー・ヒューストン、デッド・オア・アライヴだってピート・バーンズもいない。存命の時よりも許諾のハードルが上がってしまっているので、これから『PARADISE』のようなコンピを作ろうとしても実現は難しいと思うんですよね。このコンピが売れ続けているのは、今となっては実現不可能なラインナップというのも無関係ではないと思うんですよね。


OSSHY  いや、まさに。『MEGA HITS ’80's』というサブタイトルに偽りなしで、みごとに時代を飾ったヒット曲が網羅されている。ヒット曲を生む、ヒット曲を広める。それがレコード会社の命題ですから正論ですよね。でも、私の場合はその正論との戦いでもあったんです。


鮎澤  なるほど。



OSSHY  DJとしての立場で選曲を依頼されますので、やはりディスコでの現場感や自分のアイデンティティが先行してしまいがちなんですが、レコード会社側からはデータやマーケティングに基づいた選曲をしてほしいというリクエストをもらうことが多い。コンピを作り始めてから20年、そことのせめぎあいの繰り返しでした。ようやく最近では自分のカラーを出すことが認められるようになってきましたが。でも、最初の頃はこの曲は現場では絶大な人気を誇っているという話をしてもわかってもらえないことが多かったですね。


鮎澤  現場に居合わせてないと、そうした温度感のズレがどうしても出ちゃいますよね。


OSSHY  そうなんですよ。私は1曲1曲選曲してコンパイルするというパターンのコンピと、楽曲をミックスするコンピパターンのふたつがあって、どちらも制作方法がまったく違う。これまで手がけたコンピ36作品の中のセールスにおけるベスト3は、1位が『TOKYO AOR mixed by DJ OSSHY』、2位が『レッツ・グルーヴ ~SUPER DISCO HITS~』、3位が『ディスコ・チーク80's selected by DJ OSSHY』。この3作品はすべてソニーからのリリースです。


鮎澤  ありがとうございます!


OSSHY  ディスコのコンピが再び人気を呼び始めたのが2014年くらいで、ちょうど私がパーソナリティを務めるラジオ『RADIO DISCO』とテレビ『DISCO TRAIN』が始まったタイミング。ミックスCDはディスコの魅力をダイレクトに伝えられるのでニーズがあったんですが、ソニーはミックスCDが規定で出せないことになっていて。


安川  そうなんですね。


OSSHY  制作の担当者は忸怩たる思いがあって、苦肉の策で企画したのが『TOKYO AOR』でした。ゆったりとしたAORは1曲1曲をフル尺で聴くのが前提としてあるわけですが、そこを逆手に取って、フェイドアウト~フェイドインという感じで擬似ミックス仕立てで収録したんです。そのシームレスなテンポ感が受けて、ヒットした。70年代の音源が主体のディスコのボックス・セット『DISCO FREAK』というロングセラーがソニーからリリースされていたんですが、『TOKYO AOR』のヒットがきっかけとなって、その80年代版となる『ディスコ・ラヴァーズ』を制作させてもらうことになったんです。


鮎澤  『PARADISE』と同じ通販限定商品で、ディスコカルチャーを凝縮したCD5枚+DVD1枚のボックス・セット。5000セットを超えるロング・ヒットとなりました。ありがとうございます。このあとは逆に私が『ディスコ・ラヴァーズ』についてじっくりとお聞きしていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします! [後編に続く]



鼎談進行・文/油納将志 写真/島田香




鮎澤裕之(あゆさわ・ひろゆき)●1968年生まれ。ソニー・ミュージックダイレクト プロモーション部デジタルプロモーション課 課長。『PARADISE』等の多くのコンピレーションCD制作を経て現職。実は筋金入りのプログレ・マニア。[写真右]

安川達也(やすかわ・たつや)●1970年生まれ。otonano編集部在籍。ライター、編集者、個人事業主、痛風。ライフワークはブライアン・アダムス。でもロックもコーヒーも思いきりアメリカン。いつでも心はニュージャージー!



BSフジ DJ OSSHY DISCO TV 毎月第3木曜日23:30〜O.A.


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