落語 みちの駅

第百六回 「今年最後の朝日名人会」
 第195回の朝日名人会が12月21日に行われました。

 まずは気鋭の二ツ目入船亭小辰さん「代脈」。駕籠で行く場面を省略したコンパクト・バージョン。おもしろい噺ですが、あんな与太郎に医者の代理が務まるわけがない、などと言い出されては困る噺。あまり主人公の奇態を重ね押しせずに病家に場面を絞るのは賢い選択です。老先生がいかにも老練に描かれていて噺がふざけ過ぎにならないよう自然のブレーキがかかって結構でした。

 三遊亭萬橘さん「しの字嫌い」。1950年代にはラジオや寄席でよく演じられたこの噺が近頃では珍品扱い。現代の落語家が職人気質を失った何よりの証拠です。「し抜き」で会話をするバトルはおもしろいけれど、「し」は日本語には重用されている音ですから、うっかりしていると口から出てしまう。この噺はアドリブが命取りになりかねない。だからといって噺を丸暗記して「し抜き」に没頭したのではマシン同士がしゃべっているようになっておもしろくもなんともない。

 こんなリスキーな噺なのに聴き手は「文七元結」のように尊重してくれない。つまりいつの間にか損な噺に定着して半世紀、というわけだったのです。萬橘さん、ご苦労さま。

 結果、萬橘さんの「しの字嫌い」はウケました。私にとって今年の落語界最大の快挙、慶事です。最初はとまどっていたお客様も後半は大喜び、アンケートにも礼賛の声があふれていました。

 今の落語界で芸人の意気地とフラに生きる三遊亭萬橘の今後に期待するところ大です。

 桂文治さん「掛取り」。題名の通りで「万才」はなし。つまり先代文治ゆずりの型で、フィナーレも「喧嘩」です。「芝居」のくだりが少々名優気取りだった先代とはちがい楽しそうに演じていました。これが時代というものなのでしょう。

 柳家花緑さん「刀屋(おせつ徳三郎・下)」。一途な若者の表現が似合う演者ですが、刀屋の老主人もだいぶ“らしく”なってきました。この両人がセリフの八割以上をこなす噺ですから花緑さんの持ちネタとしてさらに成熟していくに違いありません。

 トリは柳亭市馬さん「御慶」。長いけれど楽しくめでたい噺。暮れと正月を第一幕、第二幕とする、ありそうで珍しい噺。五代目小さんの十八番でしたが、一時期、三代目古今亭志ん朝がやっていたことがありました。近年は演者が少なくてさびしい思いをしましたが、近頃は市馬さんの十八番。先輩両師匠のおもかげがダブルでばれる名品に仕上がってきました。「芝浜」「富久」ばかりでなく、年末にもっと演じてほしい噺です。




第百六回 「今年最後の朝日名人会」
入船亭小辰「代脈」


第百六回 「今年最後の朝日名人会」
三遊亭萬橘「しの字嫌い」


第百六回 「今年最後の朝日名人会」
桂文治「掛取り」


第百六回 「今年最後の朝日名人会」
柳家花緑「刀屋(おせつ徳三郎・下)」

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。