『THE BARN DELUXE EDITION』
THE HOBO KING BAND special interview vol.1

佐橋佳幸
SAHASHI YOSHIYUKI(Guitar)

THE HOBO KING BANDの絶対的ギタリストとして、佐野元春の音楽的サポーターとして『THE BARN』レコーディングの要となった佐橋佳幸。輝かしい音楽キャリアのなかでも忘れられない日々だったと回想する。20年前のウッドストック・セッションを“日本一忙しいギタリスト”が語ってくれた。

インタビュー・文/大谷隆之

「昨夜久しぶりに『THE BARN』をじっくり聴き直してみたんです。で、強く感じたことがあって。僕は30年以上この仕事をやってますが、一番ギターを弾きまくってるのはこのアルバムだと思う」

── 佐橋さんは1980年代から、ギタリストとして数え切れないほど多くのアーティストを支えてこられましたが、佐野元春さんとのお仕事は1996年7月リリースの『FRUITS』が初めてですか?

佐橋 ご本人のアルバムに参加させていただいたのは『FRUITS』が最初ですね。レコーディングのセッション自体は、前の年(1995年)だったのかな。でも実は、その前に一度、僕の方が佐野さんにプロデュースしてもらったことがあるんですよ。

── へええ。

佐橋 80年代の最後くらいですかね。当時佐野さんのラジオ番組で、新しいアーティストを定期的に紹介するコーナーがありまして。そこでなぜか僕がピックアップされたんです。

── そうだったんですね。

佐橋 僕はその頃、同じレコード会社(EPICソニー)所属の渡辺美里の仕事をずっとしていたので。たぶん佐野さんは、それをご存じだったんじゃないかな。一緒にFM局のスタジオに入って、佐野さんのプロデュースのもと“1日完パケ”でレコーディングしたのを覚えています。僕がギターとヴォーカル。それ以外の演奏はTHE HEARTLANDのメンバーが務めてくれたんですよ。

── 今にして思うと貴重な音源ですね。

佐橋 「僕にはわからない」という楽曲で、エムズ・ファクトリーから出た『mf Various Artists Vol.1』(1989年)というコンピレーション盤に収録されました。佐野さんとの本当の初対面となると、これはさらに過去にさかのぼって⋯⋯。

── いつ頃のことでしょう?

佐橋 出会いは十代の前半(笑)。僕が中学時代に組んでいたバンドが「ヤマハポピュラーソングコンテスト」に出まして、そのときの僕らは特別賞みたいなものを頂いたんですが、優勝したのが当時大学生だった佐野さんだったんです。そこで知り合って、「面白い中学生がいる」と覚えてもらった。以来、ことあるごとにライブを観にいってたし。自分がプロになってからも、佐野さんが同じスタジオに入っている日は「こんちは!」みたいな感じで顔を出して(笑)。作業を見学させてもらったりしていたので。

── じゃあ70年代から顔見知りではあったと。

佐橋 そうなんですよ。そういう繋がりがあって、佐野さんがTHE HEARTLANDを解散し、さまざまなミュージシャンとセッションを重ねて『FRUITS』を制作した際に、ギタリストの1人として呼んでもらった。そのまま96年1月からの「THE INTERNATIONAL HOBO KING TOUR」に参加して、現在に至るという流れですね。

── 正式なメンバーになられた際は、どんな気持ちでした?

佐橋 やっぱり感慨深かったですよ。中学からの記憶を思いだして、「ついに一緒にやれるのか」と(笑)。佐野さんの活動はつねに気にしていましたし。もちろん作品もぜんぶ聴いていたので。僕たちと結成した新しいバンドで、今度はどんな方向にシフトしていくんだろうというワクワク感がありました。

── 最初のツアーにはTHE HEARTLAND時代からのサックス奏者、ダディ柴田さんやスカパラ・ホーンズも加わっていて⋯⋯。

佐橋 けっこうな大所帯でしたよね。当初はレパートリーも、まだTHE HEARTLAND時代の曲が多くて。その意味では、過渡期的な側面も強かった気がします。で、その年の7月に『FRUITS』が発売されて、秋からはレコ発の全国ツアーが始まった。そうやってライブを重ねていくうちに、おそらく佐野さんの中で「この新しいバンドによるスタジオ・アルバムを早く出したい」という気持ちが高まっていったんだと思う。それが結実したのが、翌年の『THE BARN』というアルバムなんですよね。

──「Fruits Tour」の途中でレコーディングの機運が高まっていくプロセスは、覚えておられますか?

佐橋 鮮明に記憶していますよ。これは佐野さん自身もよく話されているエピソードですが、「Fruits Tour」の楽屋では、メンバーが好きなアルバムを取っ替え引っ替えかけていたんですね。ちょっと自己紹介っぽい感じも含めて。

── 各自の好みやバックグラウンドを披露するわけですね。

佐橋 そうそう。そもそもホーボー・キング・バンドというのは、音楽オタクの集まりですし。ツアー先にいい中古レコード屋さんがあるって知ると、誰かがすかさず“掘り”にいったりするわけ(笑)。で、そのうち自然と「せっかくアナログ盤を買っても、聴けないとつまらないよね」という話になりまして。大阪でライブがあった日、地元出身のKYONさんの案内で、日本橋(にっぽんばし)という秋葉原みたいな場所まで出かけて、ポータブルのレコードプレーヤーまで買ってきたんですよ。

── 本体にスピーカーが付いたやつを、わざわざ買って?

佐橋 すごいでしょ(笑)。最初はCDラジカセだったのが、ついにアナログ・プレーヤーまで登場しちゃった。で、会場入りして、リハーサルを終え、本番が始まるまでの空き時間。その土地でゲットした“お皿”をみんなで楽屋で大音量で聴いていたわけです。当時、僕らは“楽屋DJ祭り”とか、“部室レコード大会”とか言ってましたけど。

── “楽屋DJ祭”、めっちゃ楽しそうですね(笑)。

佐橋 そうこうしているうちに、盤の傾向がだんだんと、いわゆるウッドストック・サウンドに寄っていったんです。

── 有名なところでいうと60年代後半のボブ・ディランだったり、初期のザ・バンドだったり。あるいは、名プロデューサーとしても知られるジョン・サイモンであったり⋯⋯。

佐橋 うん、まさに。実際には、もっともっとマニアックな名盤も含めてね。で、メンバー同士で「やっぱりこの頃のベアズヴィル・レコードは最高だね!」みたいな会話をよくしていた。佐野さんもたまに自分の楽屋からバンドの楽屋に顔を出して「お、懐かしいの聴いてるね」と会話に加わったりして⋯⋯。その楽屋の盛り上がりが、そのまま『THE BARN』のプロジェクトに繋がったんです。「せっかくならジョン・サイモン本人にプロデュースを依頼して、このメンバーでウッドストックに行ってレコーディングしようよ」って。

── そういえばベースの井上富雄さんは「この時期、KYONさんと佐橋さんとしょっちゅう飲みにいって、ウッドストック系の音楽について教えてもらった」と話していました。

佐橋 トミーはルースターズ出身で、どちらかというとブリティッシュ系に強かったんですよね。アメリカのルーツ・ミュージック、近年では“アメリカーナ”と呼ばれるようなジャンルについては、たしかに僕とKYONさんの方がよく聴いていたと思う。僕らの頃は、長門芳郎さんが店主をされていた東京・南青山の「パイドパイパーハウス」と、京都の「プー横丁」というレコード屋さんが、東西の両横綱として有名で。僕はパイドパイパーの方によく通ってました。KYONさんに至っては、何とプー横丁の店員だったというね。

── へええ、実際に働いておられたんですか!

佐橋 そう。学生時代にバイトしてたんだって。ロックやブルースだけじゃなく、カントリーミュージックやブルーグラスまでそこで身体に染みこんだって、彼は言ってました。その話を聞いたときは、さすがの俺も「おお、マジか〜!」と思った(笑)。

── 2人とも筋金入りのルーツ・ミュージック愛好家ですね。

佐橋 まあたしかに、ホーボー・キング・バンドの“オタク度”をアップさせていた中心は、僕とKYONさんだったかもしれませんね。あと「Fruits Tour」には、アメリカ音楽に詳しい評論家の能地祐子さんが、ライターとしてずっと同行されていたので。それで一層、ルーツ音楽志向に拍車がかかったんでしょうね(笑)。彼女が書いた『フルーツ・ダイアリー』というツアー・ドキュメンタリー本には、僕らが日々楽屋で聴いていたアルバムのタイトルも、いろいろ記載されてたんじゃないかな。

── 佐野さんご本人も、いわゆる“ウッドストック・サウンド”はよく聴かれていたんでしょうか?

佐橋 もちろん。僕はかなり後追いの部分も多いけど、佐野さんはより同時代的に聴いていたでしょうし。楽屋でも「このアルバムは実は、こういうミュージシャンが参加していて⋯⋯」とか、いろいろ教えてもらったりしました。そもそも、最初にお話しした「僕にはわからない」という僕のソロ曲をプロデュースしてもらったときも、実は隠れテーマは“ベアズヴィル・サウンド”だったんです。

── へええ! 「ベアズヴィル・レコード」というのは1969年に、ニューヨーク州ウッドストックの近くに設立されたインディペンデント・レーベル。その本拠地の「ベアズヴィル・スタジオ」からは数多くの名盤が世に送り出されています。

佐橋 ウッドストックというのは、マンハッタンから車で2時間半くらいの場所にある小さな田舎町なんですけど。60年代の後半からボブ・ディランやザ・バンドのメンバーをはじめルーツ志向の強いミュージシャンたちがたくさん移住してきて⋯⋯。ある種の音楽家のコミュニティができていたんですね。僕が一番好きなギタリストに、ジョン・ホールという人がいまして。彼が在籍したオーリアンズというバンドも、まさにウッドストックで結成されたんですよ。

── なるほど。

佐橋 「ダンス・ウィズ・ミー」という彼らのヒット曲は、ロスアンジェルス録音でしたが、いずれにせよ佐野さんは、そういった僕の好みを分かってくれていて⋯⋯。楽曲をプロデュースする際も、そのテイストを全面的に押し出してくれた。何年か前にソニーからリリースした僕のアンソロジー(『佐橋佳幸の仕事(1983-2015)〜Time Passes On〜』)にも、この楽曲は収録しています。だから僕にとって、佐野さんと一緒にベアズヴィルに行くのはごく自然というかね。まったく違和感がなかった。

── オーリアンズの結成は1972年、佐橋さんはまだ小学生ですね。ちなみにジョン・ホール以外のウッドストック人脈だと、どういうアーティストがお好きでした?

佐橋 そりゃあもう、大勢いますよ! ポール・バターフィールズ・ベター・デイズのアルバムは、たしか中3のときに買ってますね。このバンドにいたエイモス・ギャレットというギタリストに、また“ガツン”とやられて。『イット・オール・カムズ・バック』という彼らのセカンド・アルバムに、「スモール・タウン・トーク」という有名な曲が入っているんですね。そのギターソロを完コピしようと頑張ったなぁ。途中で挫折しちゃいましたけど。

── 佐橋さんでも!?「スモール・タウン・トーク」って、わりあいレイドバックした雰囲気のある、スローな曲ですよね。

佐橋 うん。シンプルなので、音は取れるんですよ。でも弾き方がかなり特殊というか、エイモスじゃないと出せないサウンドなの。

── ああ、なるほど。

佐橋 あとね、話がどんどんマニアックに逸れていきますが(笑)、その昔CBS・ソニーに、黒田日出良さんという有名なディレクターがおられたんですよ。現在は「渚十吾」の名義でアーティスト活動をされてますが、僕が学生の頃、この黒田さんが洋楽の再発シリーズを手がけておられて。それこそ中古レコード屋さんでは手が出せなかった“幻の名盤”を廉価版でたくさん出してくれたのね。

── そういう企画って、ありがたいですよね。

佐橋 本当に。お金がなかった身としては、すごく助かりました。そこにベアズヴィル・レコードのアルバムもかなり含まれていて。たしか首吊りロープが写ったトッド・ラングレンの有名なアルバム(『ラント: ザ・バラッド・オブ・トッド・ラングレン』)なんかも、そのシリーズで買ったと思うな。そうやって次第にウッドストックという町の成り立ちとか、ベアズヴィル・レコードというレーベルの特徴を知っていったんだよね。今にして思うと。

── じゃあ、“憧れの聖地”とも言うべきベアズヴィル・スタジオでレコーディングすると決まったときは⋯⋯。

佐橋 超ワクワクしましたよ。実際行ってみると、想像をはるかに超えて何もないところで(笑)。ちょっと驚きましたけど。

── でも、ウッドストックってニューヨーク州でしょう?

佐橋 一応そうなんだけど、なにせJFK国際空港から車で2時間半かかるので(笑)。ゆうに東京〜静岡間くらいの距離はあるわけです。町の作りもかなりこぢんまりしていて⋯⋯。日本で言うと、軽井沢に近いイメージかもしれないです。自然豊かで、ドロップアウトしたインテリや芸術家によるコミュニティみたいなものがあって。要は60年代のヒッピー、フラワー・ムーブメントの名残を濃厚に留めた、いわゆる“ピース”な町でした。


『THE BARN DELUXE EDITION』 写真集より

── そういう落ち着いた環境のもと、佐野さんとバンドメンバーを合わせた6人が、ベアズヴィル・スタジオの敷地内に泊まり込んで。“THE BARN(納屋)”と呼ばれるリハーサル・スタジオの小屋で21日間、レコーディングに打ち込んだわけですね。

佐橋 うん。スタジオのすぐ近くにあるコテージみたいな建物で、みんなで共同生活。夜は焚き火を囲んだりしてね。気の合うメンツばかりだったし。「大人の合宿っていうのも、それはそれでいいもんですなと思いました。一緒に時間を過ごして、メンバーの素顔も垣間見えたしね。井上富雄が、実は凄腕の料理人だったり(笑)。

── へええ、そうなんですか?

佐橋 あの人、ルースターズを解散した後、料亭みたいなところでバイトしていた時期があるんだって。で、そこの親方から「今すぐ調理師免許を取って、こっちの世界で働け」って奨められたくらい、料理センスがあって。夜、みんなで飲んでいてお腹減ったりすると、サッとつまみとか作ってくれるわけ。途中からは当たり前のように、「トミー、今日のご飯なに?」って聞いたりして(笑)。そういったことすべてが、僕にはすごく楽しかった。

── 今回、『THE BARN』のデラックス・エディションに付属するドキュメント映像のDVD(「THE WOODSTOCK DAYS」)には、そういう日常風景も収められていますね。晴れた日にはスタジオの庭でバーペキューをして、ソフトボールに興じたり⋯⋯。

佐橋 そうそう。あれで、僕が元野球少年だってことがメンバーにばれてしまったというね(笑)。

── レコーディング自体はどんな雰囲気でした?

佐橋 まさにドキュメント映像を見たとおり、終始リラックスした雰囲気でしたね。もちろん、まったく白紙状態でウッドストックに行ったわけではなくて⋯⋯。出発前に、東京の一口坂スタジオという場所にメンバーが集まって、ある程度アレンジは固めてあったんです。いわゆるプリプロというか、レコーディング・リハ的な感じで。プロデューサーのジョン・サイモンさんも来日して付き合ってくれて。だけど、実際ベアズヴィル・スタジオに入ってレコーディングを始めるとアレンジはどんどん変わっていきました。たとえば「風の手のひらの上」なんて、日本を出る前とはほとんど別の楽曲になってましたから。

── え、そうだったんですか? アルバム収録バージョンはまさにザ・バンドの楽曲を想起させるような⋯⋯。『THE BARN』の中でも特にウッドストック色が強く滲んだナンバーですね。

佐橋 僕の記憶が正しければ、たしか佐野さんが現地に入ってから書き直したんじゃなかったかな。歌詞の世界観は変わってないのに、メロディーはまったく別ものだったので。当初「おお!」と驚いた記憶があります(笑)。たぶん佐野さんはベアズヴィル・スタジオの雰囲気を敏感に受け取り、その場でインスピレーションが湧いたんじゃないかなと。あくまでこれは、僕の想像ですけど。

── ぜひ確かめてみたいですね。佐橋さんご自身の演奏についてはいかがでしょう? 特に印象に残ったことなどは?

佐橋 それなんだけどね。今日この取材を受けるにあたって、昨夜久しぶりに『THE BARN』をじっくり聴き直してみたんです。で、強く感じたことがあって。僕は30年以上この仕事をやってますが、一番ギターを弾きまくってるのはこのアルバムだと思う。

── おお!

佐橋 それも、特に意図したわけじゃなくてね。ウッドストックのスタジオに入って、ほぼ一発録りに近いやり方でレコーディングを重ねているうちに、自然とそうなっていったんですよね。あとは、プロデューサーのジョン・サイモンさんが僕のギターを気に入ってくれたのも大きかったと思う。「コロ、この部分にちょっとギターのソロフレーズを足してくれないかなとか、しょっちゅう言われてましたから。その記憶が強いから、久しぶりに聴き直すと、自分の耳にはギターを弾きまくってる印象になるのかもしれない。


『THE BARN DELUXE EDITION』 写真集より

── アレンジ的には、特にギターだけ前面に出ているわけではないですからね。でも、サイモンさんの信頼は確実に厚かった。

佐橋 やっぱり、自分が好きなアメリカン・ロックの名盤を数多く手掛けてきたプロデューサーですからね。その人に認めてもらえたのは素直に嬉しかったですね。実際、ウッドストック滞在最終日にジョンさんが僕を呼んで、「コロがこっちに来たときに、もし都合があえば仕事を頼んでもいいかな?」と言ってくれたんですよ。

── へええ、それは信頼の証ですね。

佐橋 それで彼のアドレス帳に連絡先を書いたんですけど、そこに載っていた名前がまた豪華で⋯⋯。とりあえず佐橋の「S」欄を見てみたら、スティーヴ・ガッドの名前とかが普通に書いてあった(笑)。それ以外の人も、みんな超有名ミュージシャンばかりで。あのまま向こうに残っていたら、僕も売れっ子プレーヤーになっていたかもしれない⋯⋯というのは冗談ですけど(笑)。

── そういえば『THE BARN』の演奏クレジットを見ると、なぜか佐橋さんは「Koro」名義になっています。これは一体?

佐橋 アメリカ人には“Sahashi”という名前が発音しにくかったらしくて、ジョンさんに「何かニックネームとかないのか?」って聞かれたんですよ。そしたら佐野さんが、僕が中学時代“コロ”と呼ばれていたと主張して。実際にはそんなあだ名、一切なかったんだけどね(笑)。ウッドストックではそれが定着していた。

── ははは(笑)。久々に『THE BARN』アルバムを聴き直して、特にギターが印象に残っている曲を挙げるとすると?

佐橋 やっぱり「風の手のひらの上」と、あとは「ヘイ・ラ・ラ」かな。この2曲のギター・ソロは、我ながら何か“降りてきてる”感じがしました。スタジオで即興的に弾いたはずなのに、どうしてああいうフレーズが出せたんだろうって。不思議に思えるくらい。

── いわゆる手癖で弾いているのとは、まるで違うと。

佐橋 うん。「ヘイ・ラ・ラ」とか、自分1人ではまず思い付かないようなノートを使ってたりする。やっぱりジョンさんと佐野さんのディレクションがあったんでしょうね。「ここ、もっと別の弾き方はできないかな?」とか、いろいろ言われていたはずなので。

── なるほど。

佐橋 数年前、僕のデビュー30周年コンサートを企画してもらったんですね。いろんな方が入れ替わり立ち替わり出演してくださって、佐野さんとザ・ホーボー・キング・バンドの仲間も参加してくれた。その際、せっかくなので「風と手のひらの上」は『THE BARN』に収録されたオリジナル・バージョンをそのまま再現しようと思ったんですけど⋯⋯。いざやってみると、自分のギターソロを完コピするのがかなり大変だった。譜面が真っ黒になるくらい書き込みをしたのを、改めて思い出しました(笑)。

── ギターの音色についてはいかがでしょう? 『THE BARN』を聴き直すと、どの曲も響きに温かみがあって⋯⋯。

佐橋 ああ、なるほど。

── いわば音色自体が“ウッドストック・サウンド”になっているように感じられます。

佐橋 それはやっぱり、プロデューサーのジョン・サイモンさんとエンジニアのジョン・ホルブルックさん。この2人のジョンさんの手腕が大きかったですね。それこそマイクの立て方だったり、音の組み立てだったり⋯⋯。セッションっぽい空気感をそのまま切り取るノウハウに長けていたし。何より“THE BARN”と呼ばれる建物の使いこなし方を実によく知ってるんですよ。

── ドキュメント映像を見ると、本当に納屋(BARN)を思わせるだだっ広い空間で、ほぼ全員で一緒に演奏していますよね。都会のスタジオではなかなか見られない光景というか。

佐橋 そもそもあの建物って、単なる木製の小屋ですからね(笑)。本来はレコーディング用のスタジオではなく、バンドがツアー前に練習したりする、いわゆるリハスタなんですよ。すぐ近くにはより設備の整った「ベアズヴィル・スタジオ」本体もあったんですけど。おそらくジョン・サイモンさんが、佐野さんが求めているサウンドにはそっちの方が向いているって判断したんじゃないかな。実際、現地に入った初日はほぼ、大工仕事だったし。

──メンバーみずから、小屋の中に機材を運び入れて。

佐橋 そうそう(笑)。楽器をずらっと並べて、音の大きいものだけ簡単な衝立で囲って⋯⋯。多少の音カブリは気にせず、「せーの!」でレコーディングするいうね。あのスタイルがすごく気持ちよかった。今でも鮮明に覚えてますけど、初日にセッティングを終えて試しに何か録ってみて。「うわ、これ音いいわ」って感動しましたもん。

── へええ。

佐橋 これは絶対いいアルバムになると確信した。おそらく2人のジョンさんには最初から、「こういう音で録ろう」というイメージが明確にあったんでしょうね。現場にはドラムの下に絨毯を敷いたり、細かい作業をいろいろされてましたけど(笑)。

── 木の納屋を使いこなすノウハウですね。

佐橋 あと、ギターの音色ということで言うと、エンジニアの方のジョンさんが、私物のヴィンテージ機材をかなりたくさん持ってきてくれてたんですね。その中に「マグナトーン」というメーカーの古いギター・アンプがあって、それがすごくよかったの。実は僕、このアルバムはほぼそれで弾いてるんです。自分のアンプも持っていったけれど、ケースに入れたままほとんど出さなかった。

── どんなタイプのアンプだったんですか?

佐橋 高級モデルでは全然なくて。むしろ通販で売っているような、スチューデントモデルに近い機材でしたね。でも、何とも言えない味わいがあった。トレモロ・エフェクターという機能が付いているんですけど、それを利かせて“♪ジャーン”ってコードを鳴らすと、少しだけピッチが揺れるんです。それが気持ちよくてね。ほとんど全曲で使ってると思います。たしか、今回の写真集にも写ってたんじゃないかな? えーと⋯⋯ほら、これこれ。


『THE BARN DELUXE EDITION』(p56)写真集より

── 写真集の56ページに写っているこの小さい機材ですか?

佐橋 そう。すごく欲しかったんですけど、ジョン・ホルブルックさんの私物だったので(笑)。以来アメリカに行くたび同じモデルを探してるんだけど、なかなか見つからないんですよね。あ、でも、別のヴィンテージ・アンプは手に入れましたよ。

── と言いますと?

佐橋 合宿中、スタジオにはいろんなミュージシャンが遊びにきてくれたんですよね。その中に、当時(再結成)ザ・バンドでギターを弾いていたジム・ウィーダーさんという方がいて。世間話みたいな感じで、そのギター・アンプの話をしてたんです。そうしたら彼が、「実は俺も、買うかどうか迷ってるアンプがあるんだ。よかったら一緒に見にいかないか」って誘ってくれて。

──「こいつは話が分かる」と思われたんでしょうね。

佐橋 そうなのかな? ともかく、ジムさんの車に乗せてもらって。ウッドストックからさらに遠い町の楽器屋さんまで、一緒にアンプを見にいったんです。KYONさん、トミーも一緒じゃなかったかな。FENDER DELUXE REVERBという60年代のヴィンテージ・アンプでしたが、見てるうちに僕の方がムラムラきちゃって(笑)。「すみません! 俺、これ買っていいですか?」って。

── ははは(笑)。横から獲物をさらわれてしまったと。

佐橋 ジムさん、微妙な表情をされてましたけど(笑)。「うーん、まあしょうがない。お前なら許す!」みたいな感じで。そのアンプ、僕、いまだに大切に使っていますよ。

── そうやって現地ミュージシャンとの交流も多かった。

佐橋 そうですね。元オーリアンズのジョン・ホールさんもウッドストック在住で。彼は1994年に出した『TRUST ME』という僕のソロ・アルバムにもゲスト参加してくれてましたので。スタジオにふらっと遊びにきて、目の前で新曲を披露してくれました。あと、ご自分のコンサートに誘ってくれたりね。

── へええ。それはウッドストックの地元で?

佐橋 うん、近所の公園の野外ステージみたいな場所で。「ライブをやるから、よかったら来ない?」って。それでバンドの仲間と観に出かけたら、そこでまたジョンさんのご家族とか、友人でシンガー・ソングライターのロビー・デュプリーを紹介してくれて⋯⋯。しかもその日のステージで、ソロ・アルバムでお世話になったときに僕がプレゼントしたギターを弾いてくれたんです。

── うわあ、メチャいい人だなあ。

佐橋 僕の方が興奮しちゃって。横にいたメンバーに、「見て見て、 あのギター、俺が贈ったやつだから!」みたいなね(笑)。他にも、アルバムの「ロックンロール・ハート」という曲で、ハモニカを吹いている元ラヴィン・スプーンフルのジョン・セバスチャンさんから、直接「デイドリーム」のギターの弾き方を教えてもらったり。

── それもすごい体験ですね。

佐橋 僕も、まさか本人から習うことになるとは想像もしなかった。何でも言ってみるもんだなと思いました(笑)。あとはザ・バンドのリック・ダンコさんとレヴォン・ヘルムさんね。ガース・ハドソンさんは「7日じゃ足りない」でアコーディオンを演奏していますが、この2人もふらっとスタジオに遊びにきてくれて。レヴォンさんはたしか、ホーボー・キング・バンドとセッションもしたんですよ。

── え、そうだったんですか?

佐橋 レヴォンさんが小田ちゃん(小田原豊)のドラムを何となく叩いていたら、佐野さんがすっと入ってきて。たしか「僕は大人になった」を演奏したと思う。みんなでプレイバックを聴いた覚えがあるんですけど⋯⋯もし、あの音源が残っていたらすごいよね。

── 佐橋さんはギタリストだけではなく、プロデューサーとしても多くの作品に関わっておられます。その意味で、『THE BARN』のジョン・サイモンさんから影響を受けた部分はありました?

佐橋 今になって思うと、いろいろ吸収させてもらった気はします。一番大きかったのは個別のノウハウよりむしろ、スタジオのムード作り。ミュージシャンへの接し方ですね。彼はとにかく意思疎通が上手なんですよ。僕はあまり英語が堪能な方じゃないけど、合宿中に言葉の壁を感じたことはほとんどなかった。僕の持ち味を絶妙に引き出してくれる一方で、自分が何を求められているのかも、常にクリアに感じ取っていました。

── ドキュメント映像を見ると、ジョンさんは広い部屋の真ん中にいて。ご機嫌で鉛筆を振っておられました。

佐橋 そうそう、思いだした、指揮者が棒を振るみたいにね(笑)。演奏が固まってくるまでは、ああやって全員が見える場所で細かい指示を出して。バンドが温まって「さあ今だ!」ってタイミングになると、すーっとコントロール・ルームの方に行ってコンダクターからプロデューサーに戻る。その後はせいぜい2〜3テイクでガッと録っちゃう。今、話していて気付きましたけど⋯⋯今の僕のやり方も、ほぼ同じだな(笑)。

── それはジョンさんの影響で?

佐橋 だと思いますね。特にバンドものをプロデュースするときは顕著かもしれない。ただ、ジョンさんがムード作りに長けた明るいオジサンかというと、もちろんそんなことは全然なくて。ジャズやクラシックの技法にもめちゃめちゃ詳しいし、管や弦のアレンジも完璧にできる。ギターを弾く際、僕がこっそり混ぜていた和音上の細かい工夫も、彼にはぜんぶ見えてましたから。本当にいい勉強をさせてもらったと思います。

── 佐橋さんにとっても、特別な21日間だったと。

佐橋 はい。いい大人なのに、レコーディングを終えて日本に帰るのが寂しくてね(笑)。楽器をすべて梱包した後、みんなで集まって飲んでたんですね。そしたらジョン・サイモンさんが、スタジオにある古いアップライトピアノの前に座って⋯⋯。「モナリザ」っていう古いスタンダード曲があるでしょ。あれを、普通とはちょっと違うコードチェンジで弾き始めたんです。

── おお!

佐橋 それを見ながら、みんなで「どうやってるんですか?」とかワイワイやってるうちに、気が付けばアコースティック・ギターを入れた梱包のガムテを剥がしてました(笑)。で、最後の最後でまたセッションになってしまったというね。ほんと、あの合宿が楽しくなかった人はいないんじゃないかな。朝から晩まで音楽のことだけ考えていられた、本当に幸せな3週間でした。

── 素敵ですね。最後に1つ。“ミュージシャン佐橋佳幸”にとってザ・ホーボー・キング・バンドとは、どういう存在でしょう?

佐橋 音楽家としての自分が、何でできているか。どういう音楽を吸収して育ったのかというバックグラウンドに、改めて気付かせてくれたバンドですかね。メンバー全員が、プレーヤーとしても人としても尊敬し合っているし⋯⋯。僕にとっては“素の自分”になれる、いわばホーム的な存在かもしれません。最近はみんな多忙すぎて、なかなかステージ上で再会を果たせてませんけど(笑)。せっかくのいい機会なので、近々ぜひ『THE BARN』の再現ライブができたら嬉しいなって思いますね。

佐橋佳幸(さはし・よしゆき)
1961年9月7日生まれ。東京都出身。ギタリスト、音楽プロデューサー。1983年「UGUISS」のメンバーとしてEPICソニーからデビュー。バンド解散後は数多くのミュージシャンのセッション・ギタリストとしてレコーディング、ライヴで活躍を続けている。おもな共演、参加ミュージシャン:小田和正、山下達郎、竹内まりや、佐野元春、桑田佳祐、坂本龍一ら。

インタビュー・文/大谷隆之

写真/佐々木理趣(otonano編集部)

THE HOBO KING BANDリレーインタビュー次回(vol.2)は 井上富雄(ベース)の登場です。

THE BARN
 DELUXE EDITION

■発売日 :
 2018328

■規格 :
 BOXセット
(アナログレコードBlu-rayDVD写真集)

■価格 : ¥14,000+税

■品番 : MHXL 43-46

■完全生産限定盤

■発売元 :
 ソニー・ミュージックダイレクト