Sony Music Direct Presents otonano

『THE BARN DELUXE EDITION』
THE HOBO KING BAND special interview vol.4

小田原豊
ODAWARA YUTAKA(Drums)

THE HEARTLAND解散後、佐野元春が新しいバンド、THE HOBO KING BANDのリズムを任させたのは小田原豊。80年代、REBECCAのドラマーとしてパワフルな8ビートを鳴らした名手の向こうに透ける音楽ルーツは、北米大陸だった。ロックシーンのフロントでリズムを刻み続ける男が見た『THE BARN』の風景とは──

インタビュー・文/大谷隆之

「ウッドストックでリヴォン・ヘルムさんと過ごした時間は、僕のドラマー人生にとっては大きな体験でした。一緒に吸った煙草の吸い殻は捨てずにこっそり持ち帰りました(笑)。日本に帰った後で、綿を敷いた缶に飾って。まだ大事に保管していますよ」

── 今回、『THE BARN』デラックス・エディションに収録されたドキュメント映像のDVD「THE WOODSTOCK DAYS」を見ますと、メンバーが口々に環境のすばらしさを讃える中で、小田原さんが「一刻も早く日本に帰りたい」と仰っていて可笑しかったです。

小田原 ははは(笑)。俺、そんなこと喋ってました?

── はい。「楽しいこともいっぱいあったけど、何せ田舎なので」と(笑)。西本明さんと掛け合い漫才みたいな感じで。

小田原 たぶん言ってたでしょうね(笑)。ウッドストックという名前だけあって、文字どおり“森”。それ以外は何もなかったので。しかもドラマーって、最初にリズムトラックを録ってしまうと、けっこうやることないでしょ。コテージの部屋に1人でいても暇なので、2回か3回、ベアズヴィル・スタジオを抜け出してマンハッタンに遊びにいった記憶がありますよ。

── それは、都会の空気を吸いに?

小田原 そんな感じ(笑)。たしか当時のEPICのディレクターの滝瀬(茂)さんに車を出してもらったんじゃないかな。楽しかったですよ。僕はREBECCA時代も、レコーディングで何度かニューヨークは行ってたんですけど。日本から海外旅行だとまずJFK国際空港に着いて、そこからタクシーでマンハッタンに移動するじゃないですか。

── そうですね。手順としては。

小田原 でもウッドストックからだったら、自分の家から車で直接マンハッタンに行けちゃう感覚なんですね。片道で3時間半なんだけど、それがいい気分で(笑)。僕は埼玉出身なので、何か、地元から東京の距離感に近いなと思ったり。

── なるほど(笑)。

小田原 よく覚えてるいのは、夜中に車でウッドストックに戻る途中、すごい雷雨に遭ったことがある。マンハッタンを出て少し走ると、辺りにはもう何もなくて。ほぼ360度ぐるりと平原が見渡せるんです。そんなオープンな場所で、空じゅうに稲妻が光って。まるでホラー映画のワンシーンみたいな感じでした。これはやっぱり、埼玉とはスケールが違うなと(笑)。

── 小田原さんは1995年から始まった『FRUITS』のレコーディング・セッションで、初めて佐野さんと出会われたんですね。

小田原 はい。そのときはまだ参加ミュージシャンが流動的で。西本さんとはいろんな現場でご一緒してましたが、佐橋さんやKYONさんとはスタジオではまだ顔を合わせてなかったんじゃないかな。アーティストの佐野さんを含めて、バンドのメンバーとして本当に親しくなったのは1996年1月からスタートした「INTERNATIONAL HOBO KING TOUR」以降です。

── 最初のツアーについては、どういう印象が強かったですか?

小田原 まだ新しいバンドが始動したばかりだったので、最初のライヴではTHE HEARTLAND時代の楽曲をたくさん演奏したんですね。それを自分なりにどう叩こうかと、苦労したイメージが強い。それまで古田たかしさんがずっとドラムを担当してきて、佐野さんとぴたりと呼吸が合っている曲ばかりですからね。新参者として、それをどうフォローするかが一番課題だった。

── 音楽的な苦労はともかく、メンバーとはすぐ親密に?

小田原 だったと思います。みんな若かったしね。これは『THE BARN』より後の話ですけど、佐野さんの「20th Anniversary Tour」で、KYONさんの知り合いのBBBB(ブラック・ボトム・ブラス・バンド)と一緒に回ったことがあるんですよ。あんな大掛かりなホーン・セクションと一緒に演奏したことはなかったので、すごく新鮮で楽しかった。ウッドストック録音だけではなく、THE HOBO KING BANDでは面白い経験がいろいろできました。

── 小田原さんも“ウッドストック系”と呼ばれるような、アメリカのルーツ・ロックはよく聴かれていましたか?

小田原 ザ・バンドは大好きでしたね。僕は1963年生まれなので、リアルタイムではなく後追い世代なんですけど。有名な『イージー・ライダー』(1969年、日本公開は1970年)という映画があるでしょう。

── はい。デニス・ホッパーが監督したアメリカン・ニューシネマの代表作。

小田原 僕、あのサントラ盤が大好きで。そこにザ・バンドの「ザ・ウェイト」という名曲が入ってたんですよ。アルバムでは映画と違い、権利関係でスミスという人たちが演奏してるんですけれど。そこを入り口に、ザ・バンドの他のオリジナルのアルバムも掘り下げていって。やがてリヴォン・ヘルム(ドラマー)が大好きになった。

── ザ・バンドのドラムって、いわゆる“タメ”が利いていて、どっしりしてますよね。一方、小田原さんが1985年から参加されたREBECCAは、むしろリズムが前のめりというか⋯⋯。つねに“走っている”イメージがありましたが、実はそれだけではなかったと。

小田原 うん。REBECCAみたいなアップテンポで、突っかけるビートはもちろん好きだけど、一方ではリヴォン・ヘルムに代表されるような土くさいビートも聴き込んで⋯⋯。その影響も自分の中に入ってると思います。決してキレキレじゃなく、アメリカの田舎のホコリっぽさと密着した⋯⋯それこそマーチング(行進)のドラムにも似た感じだったり。あと、リトル・フィートというバンドが採り入れていた「セカンドライン」というニューオリンズ独特のリズムとか。“♪ツッカ、ツッカツカ、ツカタッタ”みたいなね。

── “縦ノリ”のパンクとは正反対の、いわゆる“横ノリ”のリズムですね。

小田原 だから『THE BARN』レコーディングでウッドストックを訪れた際、リヴォンさんがスタジオまで遊びに来てくれたときは感動しましたよ。まさか本人に会えるなんてね(笑)。

── 彼も当時、ウッドストックに住んでいた?

小田原 みたいですね。ザ・バンドのメンバーは基本カナダ人だけど、リヴォンさんだけはアメリカ南部のアーカンソー州出身なんですけどね。そういえば僕、80年代に現地に行ってみたことがあるんですよ。

── へええ、わざわざアーカンソーまで?

小田原 はい。1986年かな。お隣のテネシー州で毎年「メンフィス・イン・メイ」という大きな国際フェスティバルがあって。そのオープニングアクトでREBECCAが演奏したんです。ミシシッピー側の河川敷に野外ステージが設けられていて。観客は2万5000人、みんなアメリカ人。でも、めちゃくちゃ盛り上がってくれてね。

── それは強烈すぎる体験ですね。

小田原 僕にとってはそれが初の渡米だったんですけど(笑)。で、合間の時間にレンタカーでアーカンソーまで行ったのかな。メンフィスはわりと都会なんですけど、ハイウェイで少し走るともう田舎っぷりがすごいのね。砂利道を走ってると、小さな小屋の庭に太った黒人のおばさんが出てきて。木の枝にロープを張って洗濯物を干し始めて⋯⋯。その周りを子どもたちが走り回っていたり。それこそ映画みたいな風景だなと。

── まさに“ディープ・サウス”な風景。

小田原 そう、夜の闇がどっぷり深い感じです。それくらい思い入れも強かったので。『THE BARN』のレコーディングでリヴォン・ヘルムさんに会えたのは、僕の人生にとっては大きな体験でした。まさにレジェンドですから。


『THE BARN DELUXE EDITION』 写真集より

── ご本人とはどういうお話をされましたか?

小田原 ええと⋯⋯ですね。彼がくる前夜、マンハッタンでDJをしていた友人がたまたま遊びに来ていて。スタジオでセッションをしていたんです。ヒップホップっぽい曲が多かったので僕もスネアドラムのピッチを上げて。そのまま放置してあった。で、翌日リヴォンさんが遊びにきたとき「僕のドラムセットを叩いてくれませんか」ってお願いしたら快く叩いてくれたんですけど。そしたら「なんでスネアのピッチがこんなに高いんだ?」って(笑)。

── なるほど。音が“カンカン”高く響きすぎると。

小田原 リヴォンさんはほら、“ドスン! ドルルゥゥゥゥ”ってどっしり叩く人ですからね。でも僕の英語では、「いや、実は昨夜、DJの友だちとセッションしていまして」とか、事情を伝えるのもむずかしくて(笑)。

── ははは(笑)。

小田原 そんな他愛ない話をしつつ。でもセッション中に目が合ったときに、彼が「ちょっと外にでないか?」と誘ってくれて。スタジオの入り口の脇で、2人してタバコを吸ったのを覚えています。

── へええ、それもまたいい話ですね。

小田原 この写真集にも載っている場所ですよ。リヴォンさんが僕に1本くれて。たしか、ラッキーストライクだったかな。そこでちょっと世間話なんかして、またスタジオに戻ったんですけど⋯⋯。そのときの吸い殻は捨てずにこっそり持ち帰りました(笑)。日本に帰った後で、綿を敷いた缶に飾って。まだ大事に保管していますよ。

── 間近で見たリヴォンさんのドラミングはいかがでしたか?

小田原 映画『ラスト・ワルツ』(1978年)の映像で見ていたような、あの叩き方のままでした。簡単に言っちゃうと“タメ”の利いた、いわゆる後ノリのビートってことになるんだろうけど⋯⋯。そういう技術的なことだけじゃなく、やっぱりベースの部分に、さっき言ったようなアメリカ南部の音楽が流れてるんでしょうね。特に意識しなくても、そのタイム感が滲んでくる。

── どういうことでしょう?

小田原 たとえば(机を指で叩きながら)“♪ツカ、ツカ、ツカ、ツカ”みたいな、基本のエイトビートがあるとするじゃないですか。でも彼の場合、いつのまにかそれが、“♪ダッ、ツカ、ダッ、ツカ、ダッ、チャッ、チャッ”みたいに倍遅いテンポになっているとか、極端に言うとそういう感じかな。その独特のニュアンスが、ザ・バンドというグループのキャラクターになっている部分は大きいですよね。その辺はむしろ、ギターの佐橋(佳幸)さんがめちゃめちゃ詳しいです。僕としては、それより何よりリヴォンさんが自分のドラムセットを叩いてくれているのが、とにかく嬉しかった(笑)。

── 『THE BARN』本編での共演は、実現しませんでしたが⋯⋯。

小田原 当初はそういう話もあったんですけどね。ツインドラムで録音するというプランも。でも、リヴォンさんの日程が合わなかったらしくて。

── かえすがえすも残念ですね。

小田原 そりゃ残念ですよ(笑)。ぜひ一緒に叩きたかったので。でもまあ、一緒にタバコを吸っただけで、ちょっと心が通じる部分はあったような気が、僕はしてるんです。そういえばリヴォンさん、その晩はビュイックのセダンに乗ってきていたんですよ。でも俺は「これは絶対よそいきの車だ」と思って。ご本人に「他にも車、持っていませんか?」って聞いたんです。そしたら「オフコース!」と(笑)。「フォードのピックアップトラックも持ってるぜ」と。ああ、やっぱりなぁと思いました。


『THE BARN DELUXE EDITION』 写真集より

── いかにも南部男って感じですね(笑)。『THE BARN』を改めて聴くと、小田原さんのドラミングにもある種、余裕があるというか。それこそウッドストック系の“タメ”があるように感じられます。意識されていましたか?

小田原 佐野さんがウッドストックでレコーディングすると決めたときから、当然それは考えますよね。ただ、あまりにベアズヴィル風の叩き方になってしまうのも、僕としてはちょっと癪なので(笑)。現地にはわざと、まったく違うドラムセットを持参したんですよ。

── へええ。と言いますと?

小田原 それこそリヴォンさんが叩いている映像を見ると、ドラムはほとんど最小限のものしか使ってないんですね。基本となるのはスネアとバスドラムとハイハットという、いわゆる3点セットで。ビートルズのリンゴ・スターとかローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツなんかもそうですけど、余計なものはほとんど入っていない。だけど僕は、わざとタムとかフロアタムとかを並べた、それなりに大掛かりなセットを持っていって。

── 天の邪鬼ですね(笑)。

小田原 ははは、まあ、若かったので。でも実際、ベアズヴィル・スタジオに入ってドラムセットを組んでみると、その場の空気にそぐわないというか⋯⋯。違和感があるわけです。で、「これは無駄な抵抗だったな」と悟った(笑)。大きめのドラムセットは組んだものの、あまり派手に使うことはなく。結局は手数が少なく、ちょっと泥臭い叩き方になってますよね。

── 楽器のチューニングも変わりました?

小田原 うん。ボルトを緩めたり、曲によってはスネアに布を被せたり裏側にガムテープを貼ったりして音をミュートさせたり⋯⋯。やっぱり場の空気とドラムってすごく連動しているので。そこは影響を受けたと思います。

── 佐野さんから「今回のアルバムはこういう感じで叩いてほしい」というようなオーダーは?

小田原 それはなかったと思いますね。これは他のメンバーも同じだと思うんですが、佐野さんが書いた曲を聴いて自分なりに演奏すると、自然とああいう土っぽい感じになったんじゃないかな。特にこのアルバムの場合、ルーツ・ロックの“聖地”と呼ばれる場所に出かけていってレコーディングするという、ある種のストーリーもありましたしね。

── レコーディング期間中、印象に残っているエピソードはありますか?

小田原 プロデューサーのジョン・サイモンさんが、とにかく明るいキャラクターで。僕が拙い英語でジョークを言うと、よく笑ってくれたのを覚えてますね。あとガース・ハドソンさんに自己紹介したとき。アメリカ人は「ユタカ」と発音するのが難しいようだったので、「プリーズ・コール・ミー・ユタ」と言ったんですね。そしたら間髪入れずに「ハロー、ペンシルベニア!」という挨拶が返ってきて(笑)。さすがだなと、変なところで感心したという。

── レジェンドの親父ギャグですね(笑)。実際にドラムを叩いてみて、ベアズヴィル・スタジオの音の響きはいかがでした?

小田原 柔らかくて、いい感じでしたよ。都会のスタジオでも、吸音のために壁面を木にしている場所はありますが、材質的にはけっこう硬いんです。でもBARNスタジオは本当に納屋みたいな場所なので。音が“パーン!”と跳ね返らず、むしろ包み込まれる感覚がありました。エンジニア的にはおそらく、音の分離が大変だと思うんですけど⋯⋯。無駄な音の反射がなくて、僕は叩いていてとっても気持ちよかった。何というか、楽器同士で親密にお喋りしている感覚がありましたね。同じリズム隊のトミー(井上富雄)もすごくナイスガイですしね。


『THE BARN DELUXE EDITION』 写真集より

── 小田原さんからご覧になったジョン・サイモンさんは、どういうタイプのプロデューサーでしたか?

小田原 音楽的な知識や素養もすごかったけど、同時に、すごく雰囲気作りのうまい人だなと。曲によっては譜面に、わざわざドラム用のリズムパターンを書き込んでくれたりもしましたけど。でも基本的には、言葉のディレクションより全体の空気感でバンドのグルーヴを導いていくタイプだと思うんですね。たとえば「7日じゃたりない」とか、ドラムもザ・バンド風の、ゆったりしたノリになっているじゃないですか。あれなんかも、意識してグルーヴを作ったというより、気が付くとああいう叩き方になっていた感覚が強い。

── 『THE BARN』を聴き返すと、ご自分でもそう感じます?

小田原 ええ。(アルバムを聴き返しながら)自分で言うのも変だけど、ドラムもいい(笑)。カントリー・ロック風の「マナサス」にしても「ヘイ・ラ・ラ」「ドクター」にしてもそう。ああいう音って、やっぱり日本では録れないですよ。親密で、硬い響きがまったくなくて。でも天井が高いので、どん詰まりな感じもしないという。あとは、時代の変化もありますよね。

── と言いますと?

小田原 今は何事につけて、スピード感が重視されますし。レコーディングのスケジュールもタイトで、こんなに余裕を持って音楽と向き合えることって、ほとんどないんですよ。そうすると『THE BARN』みたいに“間”とか“余白”のあるドラミングって、なかなかできない。このアルバムの独特のサウンドは、もちろんスタジオ設備やサウンド・プロダクションの技術もあるんですけど、メンバーのメンタルも大きかったんじゃないかな。何しろ、何もない場所で心ゆくまで音楽に専念できたので。その余裕が、ビートにも出ている。

── なるほど。

小田原 「ドライブ」なんてドラムの音数こそ少ないけど、自分でもけっこういい感じで叩けてますもんね。音にもビートにも余裕がある上に、佐野元春の独特なエイトビート感もごく自然に出ていますし。特に難易度の高いフィルを入れてるわけじゃないけど、こういうのは今やれと言われても、なかなか叩けない気がするなあ⋯⋯(スマホで聴きながら)これはもう、最高のプレイじゃないですか?(笑)。

── メイキング映像では「帰りたい」とぼやいてみせていましたが(笑)、小田原さんのミュージシャン人生にとってウッドストック録音というのは、やはり大きな出来事だったと。

小田原 それはもう。リヴォン・ヘルムと一緒にタバコを吸ったとか、リック・ダンコと冗談を言いあったとか。それだけで人に自慢できるし。写真集に載っているウッドストックの風景と同じですよね。ちょっとホコリっぽくて、でも温かい。そういうアルバムに参加できてよかったと、今にして思いますね。

小田原豊(おだわら・ゆたか)
1963年2月6日生まれ。埼玉県出身。’82年、平井豊、根岸孝旨とロックバンド「POW!」を結成。’85年、REBECCAのドラマーとして加入。REBECCA在籍時に自身のリーダーを務めたバンド「TRAUMA」を始動。以降もロック界屈指のドラマーとして、佐野元春、桑田佳祐、浜田省吾、ゆず、斉藤和義らのレコーディングやライヴに参加する。

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インタビュー・文/大谷隆之

写真/佐々木理趣(otonano編集部)

次回THE HOBO KING BANDリレーインタビュー(vol.5=最終回)はDr.kyOn(Keyboards)の登場です。

THE BARN
 DELUXE EDITION

■発売日 :
 2018328

■規格 :
 BOXセット
(アナログレコードBlu-rayDVD写真集)

■価格 : ¥14,000+税

■品番 : MHXL 43-46

■完全生産限定盤

■発売元 :
 ソニー・ミュージックダイレクト