『THE BARN DELUXE EDITION』
THE HOBO KING BAND special interview vol.5

Dr.kyOn
(Piano/Guitars)

『THE BARN』にまつわるTHE HOBO KING BAND のリレーインタビューのラストを飾るのはバンマス的な存在感を放つDr.kyOn。ボ・ガンボス時代からずっと一貫してアメリカのルーツ・ミュージックを追求してきたマルチミュージシャンが、20年前の夏に到達したウッドストックのベアズヴィル・スタジオ。佐野元春と共にそこで見たものは──

インタビュー・文/大谷隆之

「リリース当時『THE BARN』というアルバムはわりとトラディショナルな文脈で評価されていたんですけど。実は90年代後半に、こんなプログレッシブな作品を出したミュージシャンは“棟梁”以外にいなかったんじゃないかと思う。表面をさっと撫でただけでは、見えにくいかもしれないけれど(笑)」

── 今日はよろしくお願いします。

kyOn (『THE BARN DELUXE EDITION』付属の写真集を捲りながら)懐かしいですね。もう20年かあ。棟梁も若い!

── そういえばkyOnさん、よくステージの上でも佐野さんのことを“棟梁”と呼んでいますよね。あれはどういう経緯で?

kyOn 気が付いたら、僕がそう呼んでたんです。本来は「大工の親方」という意味ですけど。僕的にはむしろ、「火消の頭」の方がしっくりくるかもしれない。何やろう、江戸時代に「め組」とかを率いてた、いなせで鉄火肌のリーダーみたいな感じかな? 要は、関西人の僕が思う「てやんでえ!」のイメージ(笑)。

── ははは(笑)。佐野さんが「てやんでえ」ですか。

kyOn 僕自身は天王寺という、大阪でディープな下町の出身なんですけどね。佐野さんは神田生まれの江戸っ子でしょう。実際、ああ見えてせっかちで(笑)。血気盛んなところもいっぱいお持ちですし。ある種、親分肌というのかな。単純な話、「この人に付いていこう!」と思わせてくれる部分は、やっぱり強くあるんですよね。そういう人柄が僕の中で、自然と“棟梁”っていう語感と重なったんじゃないかと。「BARN TOUR '98」の終わり頃には、もうそう呼んでいた気がします。

── 面白いですね。佐野さんには「インディビジュアリスト」という名曲もありますし。実際、誰よりも“個人の自由”について表現してきたアーティストであるわけですが⋯⋯。

kyOn うん。表現者としての強い自我と、個性的なメンバーを束ねるバンドリーダー的な側面の両方が、たぶん佐野さんの中に共存してるんでしょうね。だからこそTHE HOBO KING BANDの活動は、これだけ幅広いものになったと思うんですよ。近年は「Smoke & Blue」といって、小規模なアコースティック編成のライブも定期的に続けていますが、自分で言うのも変ですけど、これもめっちゃええんですよ(笑)。普通のバンドのあり方ではなかなか得られない種類の、豊かな果実がみのった手応えがあって。

── 「Smoke & Blue」シリーズ。楽曲のアレンジはジャズ、ブルースなどルーツ音楽的な傾向が強いけれど、サウンドはむしろ都会的でスタイリッシュですよね。佐野さんも、kyOnさんたちTHE HOBO KING BANDのメンバーも、このライブではビシッとスーツを着こなして。

kyOn そうそう(笑)。

── kyOnさんも、ボ・ガンボス時代(1987〜1995年)からずっと一貫してアメリカのルーツ・ミュージックを追求してこられました。

kyOn そうですね。アメリカの音楽もイギリスの音楽も大好きで、ザ・バンドとロキシー・ミュージックのアルバムを一緒に買ってきて聴く、みたいな感じでしたけど⋯⋯。自分にとってでかかったのは、大学に入って京都に住みだした頃、「プー横丁」というレコードショップでバイトを始めたこと。このお店は今でもありますけど⋯⋯。

── 「プー横丁」、佐橋(佳幸)さんのお話にも出てきました。南青山にあった「パイドパイパーハウス」と東西の“両横綱”と呼ばれていたという。

kyOn 佐橋君も学生時代にそこで、いろんな音楽を吸収したんだよね。僕もプー横丁で働きながら、ロックやブルースはもちろん、それこそブルーグラスからカントリー・ミュージックまで、アメリカのルーツ・ミュージックを聴きまくりました。イギリスの音楽でも、伝統音楽系のギターものが特に充実していてね。ビル・モンロー(ブルーグラスのスタイルを確立させた歌手、マンドリン奏者)とブリティッシュ・トラッドを同時に知る、みたいな。

── 後にボ・ガンボスを結成するどんとさんと同じサークルで活動されていた時期ですね。

kyOn そう。「バタードッグス」というセッションバンドをやってました。

── アメリカのルーツ・ミュージックには地域的特徴も強くありますが、そのお店はいわゆるウッドストック系の作品も充実していたんですか?

kyOn めちゃくちゃありましたね。で、いろんな名盤を漁っているうちに、音楽的傾向だけじゃなく、ウッドストックという町の成り立ちみたいなものもだんだん分かってきて。アメリカ東海岸ニューヨーク州の、マンハッタンから車で3時間半くらいのところにある田舎町なんですけど、要は1960年代からそこにルーツ・ミュージック好きの音楽家たちがいっぱい移り住んできて⋯⋯。コミュニティが生まれたんですよね。

── その代表がボブ・ディランであり、ザ・バンドのメンバーだったと。

kyOn うん。他にもワールド・フェイマスなミュージシャンたちがたくさん住んでいて。その中心となったのが「ベアズヴィル・レコード」という独立系レーベル。彼らはもちろん、個別でもアルバムを作ったし。一堂に会して作品を吹き込むこともよくあった。

── そう言えば“シカゴ・ブルースの父”と言われるマディ・ウォーターズにも『The Muddy Waters Woodstock Album』(1975年)という、そのものずばりのアルバムがありました。

kyOn あ、あのジャケットの背景に写っているのがまさに「THE BARN」の建物なんですよ。たしか『THE BARN』アルバムにゲストで参加してくれたガース・ハドソン(ザ・バンド)さんも、マディのバックで演奏していたはずです。学生時代、プー横丁でバイトをしながら、そういう名盤をいっぱい買いました。その一方ではニューオリンズなど、南部の音楽にも思いきりハマッてたんですけどね(笑)。

── アメリカの南北のルーツ・ミュージックを同時に掘っていたわけですね。ウッドストック系ではどういうものがお好きでしたか?

kyOn ザ・バンドは別格として、個人的に外せないのはハッピー・アンド・アーティ・トラウムという兄弟のギター・デュオ。『ダブル・バック』という2枚目のアルバムが特に大好きで。カントリーやフォーク・ロックを思わせる演奏なんだけど、ギターもハモりも本当に素晴らしい。「プー横丁」で最初に聴いたときは衝撃でね。ウッドストックにのめり込むきっかけになりました。弟のアーティさんは、『THE BARN』アルバムのレコーディングにも遊びにきてくれはりました。ギターのチューニングをいろいろ教えてもらったり。

── へええ! kyOnさん、さぞ驚かれたのでは?

kyOn いや、ウッドストックで録音するという話が決まったとき、嬉しくてすぐ「プー横丁」オーナーの松岡(秀明)さんに話したんですね。そうしたら松岡さんが、さっそく「昔、俺の店で働いていたやつがそっちに行くぞ」って手紙を送ってくれはって(笑)。彼はウッドストック在住のミュージシャンを何度も日本に招聘したり自分のレーベルから名盤を再発したりしていたので、ハッピーとアーティ兄弟からエリック・ジェスティン・カズまで、みんな直接つながってるんです。

── 佐野さんとバンドが行くという情報は、事前に伝わっていたと。

kyOn そうなんです。あと、これは行ってみて分かったんだけど、町自体も狭いんですよ。スーパーに買い出しに寄ると、「あ、リヴォン・ヘルムが晩のおかず買ってる」みたいな感じなので(笑)。向こうのミュージシャンたちにしてみたら「今、ベアズヴィル・スタジオは誰が使てんの?」「何や、日本のバンドがレコーディングしてるみたいやで」という感じだったんでしょうね。

── なるほど。

kyOn 収録はされなかったけれど、リヴォン(ザ・バンドのドラマー)とはスタジオでセッション演奏をしましたし。リック・ダンコ(同ベーシスト)も遊びにきてくれました。ちなみに「THE BARN」スタジオの裏には、かつてロビー・ロバートソン(同ギタリスト)が住んでたという邸宅があって。彼はもうウッドストックを去っていましたが、僕らは毎日そこのプールで泳がせてもらったり、居間でくつろがしてもらったりしてました(笑)。

── ところでkyOnさんは現在、ステージ上ではTHE HOBO KING BANDの“バンマス”的ポジションにも見えますが、当初はどうだったんですか?

kyOn 当時も今も、実際はそんな風でもないですよ。“棟梁”もよく言ってるように、THE HOBO KING BANDというのは1人ひとりプレイヤビリティの高いミュージシャンの集団なので。ただ、ライヴでもスタジオでも、僕と佐橋君が自然と“棟梁”を挟んでカミシモに立つことが多いので。佐野さんがアイデアを出すと、どちらかが自然とメモを取って譜面に起こしたりしている。で、「今の書きました」「ああ、どうもありがとう」「じゃあ、ちょっとコピーを取ってきますんで」みたいな流れになる(笑)。

── バンマスというよりは、作業効率化担当に近そうですね。

kyOn 「BARN TOUR '98」以降も、何度もツアーに出てるでしょう。そのリハーサルでまず最初に“棟梁”が「今回はこれを演奏したい」という候補曲を提示するんですけど⋯⋯。普通、ライブのセットリストが20曲としたら、どれだけ多くても候補は30曲以内なんですね。だけどTHE HOBO KING BANDの場合、それが60曲だったりするので。そのチャートを用意したり。

── すごい(笑)。

kyOn 面白いですよ。たとえば“棟梁”がサックスの山本拓夫に「この部分はこんなメロディで」と話すとするでしょう。バンドのメンバーはそれを聞いていて。「じゃあ、ここのコード感はこうしようか」という発想が自ずと浮かんでくる。そうやって“棟梁”とメンバーでキャッチボールを重ねながら、曲をリアレンジしていくイメージですね。『THE BARN』アルバムを作ってツアーに出たあたりからは、その流れがどんどんできていって。そこで自然と手が動いてメモってるのが、主に俺と佐橋君だと(笑)。(古田)たかし君や(西本)明に聞くと、THE HEARTLANDの時代はそういうやりかたは基本、なかったらしい。でもそれはそれで1つの考え方というか、それぞれのバンドに合った手法ということだと思います。


『THE BARN DELUXE EDITION』 写真集より

── では、kyOnさんが思う“第一期”THE HOBO KING BANDのサウンドの特徴はどういうことでしょう?

kyOn 『THE BARN』アルバムをレコーディングして、ツアーに出たときの5人編成ですよね。自分がキーボーディストって事情もありますが、やっぱり鍵盤が2つ入ってることじゃないかな。先日久しぶりに、『THE BARN』のツアー最終公演だった大阪フェスティバルホールのライブ映像を観ましたが、あれなんてガースさんと(プロデューサーの)ジョン・サイモンさんがゲスト参加しているので。曲によっては鍵盤楽器が4人もいますもんね!

── それでいて曲がベタッと塗りつぶされず、ちゃんと音の隙間を残しているのに、あらためて感心しました。

kyOn もう1つ忘れたらあかんのは、“棟梁”自身もすばらしい鍵盤奏者ですからね。ピアノ弾き語りで、えげつない名曲がいっぱいあるでしょう。それもポイントとしては絶対あるんですよ。鍵盤の使い方を熟知している点で。

── 実際に“鍵盤2人体制”でレコーディングに臨まれて、kyOnさんご自身の感想はいかがでしたか?

kyOn 初の経験だったので、新鮮でしたね。僕はよく、生ピアノとエレピとハモンドオルガンを合わせて“鍵盤の三種の神器”って言うんですけど(笑)。それこそ僕が大好きなアメリカのルーツ・ロックとかソウルの名曲には、この3つが同時に鳴ってるものがめちゃくちゃたくさんあるわけ。だけどバンドにキーボード奏者が1人だと、欲張っても2つまでしか演奏できないでしょう。

── そうですね。2つの鍵盤楽器を同時に演奏したとしても。

kyOn でも明と僕がいれば、余裕で3つ鳴らせる(笑)。ウッドストックに行ってTHE HOBO KING BANDの実質的ファーストアルバムを録音した際、いよいよそういう音楽ができるんだとワクワクしたのを覚えています。それはプレーヤーにとっては、鍵盤という楽器の可能性をより深く追求できるということでもある。それこそ、ザ・バンドが良いお手本ですけど。

── ザ・バンドにもガース・ハドソンとリチャード・マニュエルという2人の鍵盤奏者がいて、独特の厚みのあるサウンドを創っています。

kyOn うん。基本的にはリチャードが、歌いながら生ピアノでベーシックなコードワークを担当して。そこに対してガースさんが、オルガンやアコーディオン、シンセサイザーなどでえげつない旋律を弾きまくり、いろんな立体感を付け加えている。特に初期の代表曲はそういう構成が多いですね。しかも今になってじっくり聴くと、非常にプログレッシブなことを試してたりする。

── といいますと?

kyOn ガースさんに特に顕著ですけど、「普通、この楽器でこんなフレーズ弾くかね?」というような難しい運指だったり、音の組み合わせ方をしたたりするんです。もちろん、ルーツ・ミュージックに対する敬意はあるんですよ。でも、伝統を踏み越える革新性も持っていた。ルーツ・ロックであると同時にプログレッシブ・ロックでもあったところが、ザ・バンドの真にすごいところだと、僕自身は思っていて⋯⋯。

── それって、THE HOBO KING BANDの方向性とも重なるような⋯⋯。

kyOn まさにそう! つまり、プレーヤー的に言うならば、楽器というのは新しい演奏方法を自分なりに編み出すためにあるんだ、と。僕はそう解釈しているので。その意味ではガースさん、ジョン・サイモンさんみたいなロック史に残る偉人も、やっぱり同じ仲間ですし⋯⋯。ウッドストックに行って、それが肌で実感できたのは本当によかったと思いますね。


『THE BARN DELUXE EDITION』 写真集より

── 『THE BARN』アルバムのレコーディングで、西本さんとの分担はどのように決めていったのですか?

kyOn いろいろでした。“棟梁”も交えて「こんな風にしようか」と相談した曲もありましたし。明と僕の2人で話し合ったパターンもあっただろうし⋯⋯。でも大抵は、佐野さんが最初に提示したイメージを受けて自然に決まっていくことが多かったんじゃないかな。で、どうしても音が重なる部分とか「ここにちょっと変わった音がほしいな」という場合は、アイコンタクトで「どっちが演る?」って探り合うみたいな。

── 基本的にはkyOnさんが生ピアノを弾き、西本さんがオルガンを担当することが多かった?

kyOn そうですね。でも「ヘイ・ラ・ラ」とか「ロックンロール・ハート」では僕がオルガン、明がピアノを弾いてますし。必ずしも固定したポジションではなかった。1曲ずつベストな選択を見つけていった感じでした。個人的な思い出でいうと、このアルバムでは僕、ピアノ以外もわりといろいろ担当してまして。たしか「ヤング・フォーエバー」では12弦のエレキギターを弾いていますし。オープニング曲「逃亡アルマジロのテーマ」と「ドクター」では、アコーディオンも弾いてます。そういうのも嬉しかったな。

── kyOnさんのマルチプレイヤー的な側面も、しっかり発揮されているわけですね。

kyOn あと、面白かったのは「マナサス」。僕はエレキギターを弾いてるんですけど、大阪フェスティバルホールのライブ映像を見直すとアコギでソロを弾いたりしてるんですよ。もうこの段階でアレンジがめちゃくちゃ変わってるのが分かって、興味深かったです。

── ステージでジャム演奏を重ねる中で、曲が育っていった。

kyOn うん(笑)。先日、Zepp Tokyoのプレミア上映で登壇したときにも話題になりましたが、ほとんどの曲がどんどん長尺になっていって。たとえば「ドクター」や「ロックンロール・ハート」とか、えげつない長さになってた記憶があります。みんな、楽器演奏の面白さに改めて目覚めたというか⋯⋯。

── 演奏が10分を超えるたび、70年代のジャム・バンド「トラフィック」の名前を単位に「この曲は1トラフィック演奏した」「これは2トラフィック」みたいな言い方をしていたとそうですね。ちなみにアルバムの収録曲で、特に思い入れの強い曲を挙げるとすると?

kyOn うーん⋯⋯すごく難しいけれど、アルバムの実質ラストに入っている「ロックンロール・ハート」。この曲は他のナンバーにも増して、コーラスが入ってまして。弱すぎず強すぎずという絶妙なボリュームで、“棟梁”の歌メロのちょっと下のラインを支えている。出だしの「♪壊れた翼に載って/明日へと向かってみる」というリリックは、実は僕らのことで⋯⋯。

── あ、そうだったんですか! 全然気づかなかった。

kyOn いや、僕がそう思ってるだけなんだけどね(笑)。いかにも“棟梁”らしい言葉づかいで、THE HOBO KING BANDの出発を綴っている気がするんですよ。それをメンバーがコーラスで支えてる感じが、このアルバムをすごく象徴してるなと。ジョン・セバスチャンさん(元ラヴィン・スプーンフル)のハーモニカは言うまでもなく素晴らしいですし。彼はバッキングボーカルにも入ってくれてるんですよ。当初はハープだけの参加だと聴いていたので、僕的には「え? 歌ってくれるの?」みたいな。そういう驚きもあって。


『THE BARN DELUXE EDITION』 写真集より

── 先ほどkyOnさんは「ウッドストックを訪れ、ロック史に残る偉人と共にレコーディングをして。リスペクトの気持ちと同時に、彼らも音楽の仲間なんだと心から思えた」と仰いました。そこにも通じる感覚ですか?

kyOn だと思います。もちろんジョン・サイモンにせよガース・ハドソンにせよ、ジョン・セバスチャンにせよ、自分とは比較にならない凄い人たちではあるんですよ。世代的にも大先輩と言っていい。でも、先人たちが積み重ねた豊かな資産に、何とか自分なりにプログレッシブな要素を入れようと苦心したという意味では、明らかに同じ地平にいるんですよ。それは間違いない。

── なるほど。

kyOn 僕はボ・ディドリー(アメリカの黒人ロックンロール・シンガー)とレコーディングする機会にも恵まれたし、B.B.キングが来日した際には一緒にステージにも立ちました。でも、こういうオリジネーターたちは僕から見ると「お父さん」という感じがするんですよ。一方で、ウッドストックで出会った素晴らしいミュージシャンたちはむしろ同志というか、同じことをやっている仲間という感じがする。仲間は1人でも増えた方が嬉しいし。自分も彼らに楽しんでもらえるアイデアを、もっともっと出していきたいなと。

── ウッドストックというアメリカン・ルーツ・ロックの“聖地”をただ訪れただけじゃなく、その実感が得られたことがkyOnさんには大きかった?

kyOn まさにそうです。(バッグから古びたバインダーを取り出しながら)実はこれ、取材に持ってきたのは初めてなんですけれど⋯⋯。

── これは一体、何ですか?

kyOn ウッドストックを去るときにガース・ハドソンが僕にくれた、自筆の譜面のコピーなんです。ほら、ここ。“Best Wishes Kyon”と。

── おお! 本当だ。これはまた、貴重な。

kyOn レコーディングがすべて終わって、帰国前に“さよならパーティー”か何かを開いていたとき。部屋の中央に「THE BARN」スタジオに備え付けのアップライトピアノが置いてあったんですけど。ガースさんがこのバインダを片手に僕のところにすっと寄ってきて。「ちょっとピアノのところに行こう」と言うんですね。

── なるほど。

kyOn で、ピアノのある場所まで行って。ガースさんは普段からよく「タバコ1本くれないか?」って言うんですけど、そのときもこうやって指を顔の前に差し出してね。僕がそこに挟んであげると「サンキュー」と笑って、お礼にこのバインダを手渡してくれました。もちろん実際には、前夜から用意してはったんでしょうけど(笑)。あのときは感動しましたね。

── つまり伝統を受け継ぎ進化させる仲間として、kyOnさんと認めたということですね。すごい。譜面のコピーにカセットテープが2本付いていますが、こちらはどういう内容なんですか?

kyOn 譜面の内容を実際に演奏したものが入ってます。こちらはコラール。パイプオルガンの伴奏が付いた、いわゆる賛美歌集です。で、こっちの1本はポルカなんですよ。

── ポルカって、あの陽気なダンス音楽のポルカですか?

kyOn ええ。ガースさんレコーディングのとき「POLKA FOREVER」というキャップをかぶってたり。ポルカは民族的にすごく重要なアイデンティティだったりするんですよ。長年、書き溜めていたいろんなポルカの譜面をぜんぶコピーして僕に渡してくれた。ほら、すごい律儀な字で書き込みがあるでしょう。

── ちょっと泣けてくるようなエピソードです。ザ・バンドの楽曲というと、どっしりして土くさいイメージがありますが、実はベースの部分にはこういう要素も入っていたのでしょうか?

kyOn そうですね。たとえばコラールというのは、バッハが特徴的ですが、要は1つの同じメロディーをさまざまに展開させ、いろんなバリエーションを提示していくんです。ガースさんの譜面にはそのパターンが膨大に記録されている。言い換えると、こういうクラシカルな技法も研究しつくしたところに、ザ・バンドの豊かなアレンジの秘密がある。要は、「右手が奏でるこの旋律に対して、左手にはこんなパターンも、こういうパターンもあるんだよ。それを研究するのは、すごく大事なことなんだよ」と。ガースさんは言いたかったんじゃないかなと。実際、このスコアを見てからザ・バンドの楽曲をあらためて聴き直すと、いろんな秘密が見えてくるんですね。

── ザ・バンドの1作目に収録されている「チェスト・フィーバー」「火の車(This Wheel's on Fire)」のイントロ部分には、たしかにキーボーロによるコラール風の演奏が入っていますね。でも、ガースさんが伝えたかったのは、そういう表面的なことだけではなくて⋯⋯。

kyOn まさに。単にバロック風、コラール風の旋律が入っているというだけじゃなくてね。いかにもルーツ・ミュージック的な楽曲も含めて、ザ・バンドのオルガン全般でガースさんの右手と左手がどんな表現をしているかという、より根源的な話ですね。おそらくそれは、リック・ダンコが弾くめちゃめちゃユニークなベースラインとも深く関わってくるでしょうし⋯⋯。要は、ルーツを追求しながらも、ときに怖ろしいほど伝統を破壊してもいる。

── 何か、とても大事なスピリットを受け継いだ感じがします。

kyOn 今まで黙っていたんですけど。もう20年も経つことだし、ちょっとは喋ってもいいかなと(笑)。でもやっぱり、ウッドストックというメンバーの音楽的な交差点を察知し、そこでレコーディングを企画した“棟梁”の嗅覚が、改めてすごいですよね。しかも単なる懐古趣味にひたるのではなくて。実際にそこで、これぞTHE HOBO KING BANDという新しいサウンドを生み出したわけですから。

── 伝統を受け継ぎつつ、それを普段にアップデートしていくという姿勢は、佐野元春というアーティストのあり方にも通じます。

kyOn もう、まさしくそんな気がしますね。リリース当時、『THE BARN』というアルバムはわりとトラディショナルな文脈で評価してもらったりしたと思うんですけど。実は90年代後半に、こんなプログレッシブな作品を出したミュージシャンは“棟梁”以外にいなかったんじゃないかと思う。表面をさっと撫でただけでは、見えにくいかもしれないけれど(笑)。繰り返し味わえば、その意味がどんどん感じとれるようになる。そういう作品だと、僕は思っています。

Dr.kyOn(ドクター・キョン)
1957年12月23日熊本県生まれ大阪育ち。1987年、ボ・ガンボスのメンバーとして本格なミュージシャン・デビュー。1995年にバンドを解散した後はジャンルを越えたプロデューサー兼マルチミュージシャンとして活動。ピアノ、オルガン等の鍵盤楽器奏者として有名だが、ギター、アコーディオン、マンドリンなど様々な楽器を演奏。おもな共演、参加ミュージシャン:佐野元春、山崎まさよし、高橋幸宏、ウルフルズ、山下久美子、キリンジ、ORIGINAL LOVE、仲井戸“CHABO”麗市、福山雅治、RIP SLYME、ケツメイシ、松たか子、元ちとせ、ゆず、中島美嘉、エレファントカシマシ、藤井フミヤ、OKAMOTO’Sら。

インタビュー・文/大谷隆之

写真/安川達也(otonano編集部)

THE BARN
 DELUXE EDITION

■発売日 :
 2018328

■規格 :
 BOXセット
(アナログレコードBlu-rayDVD写真集)

■価格 : ¥14,000+税

■品番 : MHXL 43-46

■完全生産限定盤

■発売元 :
 ソニー・ミュージックダイレクト