Sony Music Direct Presents otonano

太田裕美アルバム23タイトル配信記念
CD BOX『太田裕美 オール・ソングス・コレクション』アンコール発売記念
スペシャル・ノーカット・ロング対談~30年ぶりの再会~

太田裕美 × 秋本治

太田裕美 × 秋本治

太田裕美のアルバム23タイトル配信とCD BOX『太田裕美 オール・ソングス・コレクション』アンコール発売を記念して、漫画家・秋本治とのスペシャル対談が実現しました。昨秋惜しまれながら連載終了した国民的人気マンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に、主人公・両津勘吉が大ファンという設定で何度も登場していた太田裕美。自身もデビュー時から応援していたという秋本治の照れ笑いから始まった撮影。そして、30年ぶりの再会対談は、やはり“こち亀”トークからスタートしました。

―― 今日は約30年ぶりの再会という事で伺っていますが。

太田    はい。確かそれくらいになると思います。

秋本    はい。そのくらいになると思いますよ(笑)。

―― 秋本さんは 「テレビでは太田さんを観ているのでそんなに時間が経っていると思えない」とおっしゃっていましたが。

秋本    ご本人が全く変わっていなくて、声も全く変わらないですし。いつも曲を聴いているので全然時間の経過は感じないです。

太田    前になごみーず(伊勢正三[元かぐや姫]、太田裕美、大野真澄[元ガロ])のコンサートをかつしかシンフォニーヒルズでやった時に秋本さんをご招待したのですが、お忙しくて来る事ができなくなってしまって、わざわざお花をいただいたんですよね。

秋本    地元に来てもらうのはとても嬉しいので(笑)。

太田    観ていただきたかったので残念でした。でも綺麗なお花をありがとうございました。

秋本    とんでもないです(笑)。

太田裕美

私が歌手だとかテレビに出ているとかそういう事はどうでもよくて(笑)、“こち亀”に出ている事がすごい!と初めて子供に褒められたんです。

―― 太田さんが昨年某紙のインタビューの中で“こち亀”の思い出を語っていらっしゃって。

秋本    そうだったんですよね。あれで逆に驚いて、“こち亀”のことを覚えてくれていた事が嬉しかったです。今日お会いできる機会を作っていただいたので、是非そのお礼を言いたかったんです。

太田    いえいえこちらこそ、ありがとうございます。

―― 太田さんの息子さんが“こち亀”の大ファンなんですよね。

太田    きっとどこかで洗脳していたので(笑)。子供が7歳と5歳の時にテレビでアニメがスタートして、長男が大ファンになっちゃって、毎週欠かさず観ていました。そうしたらある時、わが家に“こち亀”のコミックがある事に息子が気づいたようで。他の同級生と一緒に1巻から遡って読んでいたら、「お前のお母さんコミックに出てたぞ!」という情報が入ってきたようで。「お母さん“こち亀”に出てたの!?」って大騒ぎになって(笑)。母親になって初めて息子に褒められたんですよ。私が歌手だとかテレビに出ているとかそういう事はどうでもよくて(笑)。とにかく“こち亀”に出ている事がすごい!と。子供に初めて褒められたので、それがすごく印象に残っています。それにしても両さんの影響力はやっぱりすごいですね。

―― 子供から大人まで本当にたくさんの人の心に残っていますよね。

秋本    連載も本当に長かったですし、少年誌だったので、まず子供の頃から読み始めるということも影響していて、そういう声が多いです。

―― 親子2代、3代に渡って読み継がれているという事ですよね。

太田    そうですよね~、40年ですもんね。

秋本治

“都会の絵の具に染まらないで帰って”。「木綿のハンカチーフ」は漫画家デビュー前後の自分が置かれている状況と重なるんです。

―― そもそも秋本さんが最初に太田さんの声、歌を聴かれたのはいつ頃だったのでしょうか?

秋本    最初はラジオでした。太田さんはデビューしてからラジオにけっこう出られていて、すごくかわいい声だなと思っていました(照)。レコードも出していると聞き、早速レコード屋さんに行って1stアルバム『まごころ』(‘75年2月)を買いました。特にアルバムの冒頭を飾ったデビュー曲の「雨だれ」(’74年11月)が本当に好きでした。綺麗で優しい曲なので、ずっと聴いていましたので。そのあと2ndアルバム『短編集』(‘75年6月)を買って、またすぐに3rdアルバム『心が風邪をひいた日』(‘75年12月)を買って……。

太田    ありがとうございます!(笑)

『心が風邪をひいた日』
太田裕美 3rdアルバム
『心が風邪をひいた日』
オリジナル発売日:1975年12月5日
mora レコチョク e-onkyo
通常配信
itune mora レコチョク

秋本    とくに『心が風邪をひいた日』は印象深いですね。名曲揃いの名盤だと思うのですが、中でも2曲目の「袋小路」(作詞・松本隆/作曲・荒井由実)が好きでした。“ビルの狭間の硝子窓から アイビー越しにタワーが見えた”という歌詞があって、僕はその頃まだ漫画家デビュー前で、アルバイトで新橋や虎ノ門に通っていて、あのあたりのビルの狭間から本当に東京タワーが見えて。曲と同じ風景を見ているんだなあと思って……。「木綿のハンカチーフ」も『心が風邪をひいた日』の収録曲でした。“都会の絵の具に染まらないで帰って”という歌詞があって、自分は亀有で仕事をしていればいいのに、こんな都心に通って、都会に染まってきちゃったなあと思ったり(笑)。歌っている内容が、自分が置かれている環境や見ている風景と同じという事もあって印象的でした。「ひぐらし」という曲には“マクドナルドのハンバーガー”という言葉が出てきたり、当時はすごく新しかったです。

太田    その時代の文化が歌詞に出ていますよね。

秋本    そうでしたね。自分が置かれている状況と太田さんの歌がどこかリンクしているという点では、「七つの願い事」も印象的です。この曲は4月の出会いから、10月の別れまでの7か月間の恋を歌っていて、“〇月になれば何かが変わる”というフレーズが繰り返されます。僕も2月頃からアルバイトを初めて、12月頃に漫画家になれたらいいなと思って、4月頃に“こち亀”を新人賞に応募して、それが入選して6月にデビューしました。9月から『週刊少年ジャンプ』で連載が始まって、『心が風邪をひいた日』からシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」もどんどん売れてきて、あ~よかったな~って勝手に思ったのを覚えています。

―― 太田さんはこの頃から、“こち亀”に度々登場していました。

秋本    これには経緯がありまして、当時『週刊少年ジャンプ』の巻末に情報コーナーがあって、その中で音楽を紹介するコーナーがありました。僕の当時の担当編集者がそのコーナーも担当していて、毎回新人歌手や流行っているものをピックアップしていました。ある時その編集者が、CBS・ソニー(当時)のスタッフとやりとりをしているというので、「太田さんのレコード会社だ!」と思って、そのスタッフに会わせてもらいました。色々お話させていただいて、コンサートに誘っていただいて、それで行ったのが……。

太田    六本木の俳優座でのコンサート(1977年3月「まごころコンサートV」)ですよね。

『こちら葛飾区亀有公園前派出所』第3巻
ジャンプ・コミックス
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』第3巻
集英社
オリジナル発行日:1977年11月15日
■太田裕美が六本木の俳優座で初めて秋本治にあった時の様子を寄せた巻末メッセージを収録。
ご購入はこちら

―― 覚えていらっしゃいますか?

太田    その時のコンサートが題材になったものが、すぐに“こち亀”に載ったんですよね(第4巻「亀有大合唱!?の巻」)。私よりマネージャーが興奮して喜んでいたのを覚えています(笑)。

秋本    当時の太田さんのマネージャーの方がノリがいい人で、「(マンガに)出していいですか?」って聞いたら、「ジャンジャン出してください!」って(笑)。

太田    当時、地方でのコンサートやイベントが多かったので、移動の電車の中では、私もマネージャーも少年誌が大好きでいつも読んでいました。もちろん“こち亀”も読んでいて、そうしたらマネージャーが「“こち亀”の作者の秋本さんがファンみたい」って教えてくれたんです。それで是非お会いしたいと思ったこともあって俳優座の楽屋でお会いしたんですよね。

『こちら葛飾区亀有公園前派出所』第3巻
ジャンプ・コミックス
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』第4巻
集英社
オリジナル発行日:1978年2月15日
■太田裕美のコンサート会場が舞台となる「亀有大合唱の巻!?」ほか収録。表紙の両さんの胸にはHIROMI OHTAのワッペンも!
ご購入はこちら

―― 俳優座の楽屋では、どんな話をされたんですか?

秋本    緊張していたのでよく覚えていないのですが、確か、曲大好きですとか、好きなものは何ですか?とか普通のファンのような事を聞いたような……。どんな会場なのか、ステージや照明のシステムがどうなっているかという取材をしていたら、マネージャーさんが、「今、楽屋にいますのでよかったらお会いになりませんか」と言って下さって、でもまさか会えると思っていなかったのでドキドキして、緊張して、楽屋までの階段がなかなか上がれなくて(笑)。

太田    当時は秋本さん22~23歳ですよね? まだお若い時ですもんね。

―― 楽屋で太田さんにレコードにサインをもらったそうですが。

秋本    『まごころ』にサインをしてもらって、今もちゃんと持っています。太田さんのラジオ番組にも出させていただきましたよね。

太田    そうでした。それもまた“こち亀”の中に出てくるんですよね(笑)。

太田裕美 × 秋本治

私の実家まで“こち亀”に出していただいて(笑)……あれぇ、秋本さん、うちの実家には来たことないですよね?(笑)(太田)
……すみません! 実は……勝手に行ったことがあります(笑)(秋本)

―― 太田さんは度々“こち亀”に“出演”して、周りの反応はいかがでしたか?

太田    当時は歌手がマンガに出る事なんてほとんどなかったので、しかもそれが“こち亀”という勢いのある人気マンガだったので、みんながすごいすごいって言ってくれて。私の実家まで出していただいて(笑)……あれぇ、秋本さん、うちの実家には来たことないですよね?(笑)

秋本    ……すみません! 実は……勝手に行ったことがあります(笑)。まだデビュー前だったと思いますが、春日部あたりに住んでいるというのはどこからか聞いていて、じゃあ春日部駅に行けば会えるかなと思って。歩いている人に「太田さんの家はどこですか?」って聞いたら、「あそこの家だよ」って教えてくれて(笑)。その頃ラジオで太田さんがご両親の事とか地元の事も結構話をしていて、すごく近しい感じがしていたんです。で、春日部に行ったら本当に家があって(笑)。

太田    そうだったんですね(笑)。

秋本    昔は僕の亀有の仕事場にも子供がよく来ていました。亀有駅で「両さん描いてる人の家はどこ?」って聞くと、みんな教えてくれるんです。当時はそんなに色々とうるさくなかった時代なので、しょっちゅうピンポンダッシュされていました(笑)。

太田    子供はとりあえずやりたくなるんですよね。

秋本    そうなんです。ある時怒って、ダメだよって言ったら、電柱に「秋本のバカ」って書かれて(笑)。子供は断ったり、怒ったりしたらダメなんだと思って、それからちゃんと対応するようになったら、「秋本お利口」って書かれて(笑)。これ本当の話で、子供はすごいんですよ。そうなるとみんな遊びに来るようになって、大変でした。

――太田さんもファンが家に押しかけて来たりしていましたか?

太田    私は春日部から通っていたので、特に土曜日は私が乗った車をバイクでずっと追いかけて来る人もいたので、途中でよく警察署の駐車場に車を停めて、みんながいなくなるのを待ったりしていました。でも今よりももっと純粋というか、家を見つけたからどうこうというよりも、ただついてきたいだけなんですよね。もう少し穏やかな時代だったと思います。

太田裕美

中学の時、友達に「太田さんって変な声だね」と言われて(笑)。今まで歌い続けてこられたという事は、今思うとそれが一番の武器だったんですね。神様が与えてくれた才能のひとつなんだろうなと思います。

―― 秋本さんが考えるアーティスト・太田裕美の一番の魅力はどこですか?

秋本     なんといってもその声です。歌は上達するけど、声質は変わらないものなので、やっぱり最初からこの声を持っているというのがすごいなと思って。語るように歌えるし、特にささやくように歌う歌はすごく臨場感があって。よく喋っている声と歌声が違う人がいるじゃないですか。でも太田さんは、喋りながら歌に入っていける感じもいいし、高い部分もかなり出るので、すごいなといつも思っていました。だからアルバムでは作曲家もその声を生かせる色々なタイプの曲を書くので、聴いている方も楽しみでした。

太田    中学の時、友達に「太田さんって変な声だね」と言われて(笑)、初めて自分の声を意識しました。実際は他の人との違いはわかりませんでしたが、歌手になってああやっぱり独特の声だったのかぁ~ってわかってきて。今まで歌い続けてこられたという事は、今思うとそれが一番の武器だったんですね。神様が与えてくれた才能のひとつなんだろうなと思います。

―― 太田さんはご自身で曲を書きつつ、松本隆さん、筒美京平さんというゴールデンコンビの曲も多く、他の歌手の作品とはちょっと違うなというのは感じていたのでしょうか?

太田    当時は他の人の事を考える余裕はありませんでした。ただデビュー曲の発表直後にアルバムのレコーディングが始まったのですが、できあがってくる作品が詞も曲も本当に素晴らしくて、それが当たり前のような状況だったのが本当にすごいなと思いました。あんなに素晴らしい曲を、まだ10代そこそこの新人で、これから成功するかどうかもわからないような女の子に与えてくださって、なんて自分は幸せだったのだろうと今つくづく思います。

―― 今聴いても全く色褪せていないです。

太田    最近のコンサートでも、初期の曲も歌いますが、歌っていても全く違和感がないというか、曲のクオリティが高いので、40年以上経ってもなんの違和感もなく、素直に表現できます。

秋本    当時の、普通のアイドルと違って、シンガー・ソングライターでピアノも弾けるというアーティストの部分に惹かれていました。

秋本治

当時SNSがあったら、今回のアルバムはこれがいいよねって呟きたかったくらいです。ひとりで、そうだよね、いいよねって自問自答していましたから(笑)

―― 曲を提供する方達も、太田さんのアーティスティックな部分に向けて、ハードルを上げて曲を書いていたのかもしれないですね、これも歌えるだろう、もっといけるだろうと、それがどんどん曲のクオリティを高くしていったのかもしれないですね。

秋本    素晴らしい声なので色々な曲を歌えるし、だからアルバムはその才能が楽しめます。シングルは、ある程度大衆受けを考えて作ると思いますが、アルバムは挑戦しているなあと思う曲もあって、色々な太田さんを堪能できるので、毎回楽しみでした。 宇崎竜童さんも書いていますよね?(アルバム『12ページの詩集』収録の「あさき夢みし」)太田さんの声が、舌足らずで可愛いというところで、阿木燿子さんがわざと、太田さんが噛むような歌詞を書いて、宇崎さんのメロディがついて、この人達はわかっていてこういう風に書いているんだなと思いました。そういう曲はファンには嬉しいんですよね。他にも挑戦していると思ったのは、『こけてぃっしゆ』(‘77年7月)というアルバムの中に入っている「九月の雨」です。大好きな曲なんですが、本当にドラマティックで、それまでの太田さんの曲とは全然違う感じで、歌詞も大人っぽいし、どんどん歌い上げていって、ハイトーンになっていって、そこがすごく印象的でした。

太田    ご指摘の通りああいうパターンは初めてでしたね。『こけてぃっしゆ』の中でも「九月の雨」だけちょっと異質な感じでした。他の曲はシティポップ系の明るい感じの曲が多いんですが。

秋本    逆にそれが印象的なんですよね。太田さんのアルバムには必ずそういう曲が入っているので、当時SNSがあったら、今回これがいいよねって呟きたかったくらいです。でもひとりで、そうだよね、いいよねって自問自答していましたから(笑)。この曲はのちにシングルカットされたという事は、やっぱりみんないいと思っていたという事だったんだと思います。

『12ページの詩集』
太田裕美 5thアルバム
『12ページの詩集』
オリジナル発売日:1976年12月5日
mora レコチョク e-onkyo
通常配信
itune mora レコチョク
『こけてぃっしゆ』
太田裕美 6thアルバム
『こけてぃっしゆ』
オリジナル発売日:1977年7月1日
mora レコチョク e-onkyo
通常配信
itune mora レコチョク

『こけてぃっしゆ』はすごく好きなアルバムですが、「九月の雨」には、とっても辛い思い出しかないです(太田)

いちファンとしてはスタッフに対して、声の調子が悪い時に発売を被せるなよって思っていました(笑)(秋本)

―― 「九月の雨」は衝撃的でした。

秋本    テレビで「九月の雨」を歌ってる時、高いところを苦しそうに歌っていて、当時おそらく喉の調子が悪い時期で、つらそうだったのを覚えていて。

太田    そうなんです。『こけてぃっしゆ』のレコーディングが終わるまでは、声の調子は良かったんです。その後に声を潰してしまって、9月に「九月の雨」がシングルで発売になってテレビで歌う時は、高いところの声が出ていませんでした。

―― 秋本さんはテレビでそれがやっぱり気になっていたんですね。

秋本    ファンだから心配で心配で仕方なかったです。「九月の雨」ですから、発売をちょうど9月に被せてきたのはいいけど、ファンとしてはスタッフに対して、声の調子が悪い時に被せるなよって思っていました(笑)。

太田    今でも言われますよ(笑)。あの時声ひどかったよねって。

―― 逆にいうと太田さんにとっては忘れられない1曲ですよね。

太田     『こけてぃっしゆ』はすごく好きなアルバムですが、「九月の雨」には、とっても辛かった思い出しかないです。

太田裕美

私自身が特に印象に残っている作品を敢えて選ぶとしたらやっぱりデビュー曲の「雨だれ」ですね。ここから自分の歌手人生がスタートしたという意味では、忘れられない曲です。

――選ぶのが難しいと思いますが、太田さんご自身が特に印象に残っている作品はどれですか?

太田    レコーディングの風景が今でも目に浮かぶ曲ばかりで、そこからこれっていうのを選ぶのは本当に難しくて、でも敢えて選ぶとしたらやっぱりデビュー曲の「雨だれ」ですね。ここから自分の歌手人生がスタートしたという意味では、忘れられない曲です。

―― あのテンポの曲をデビューシングルとして発売するというのは、当時は結構冒険だったと思いますし、新鮮でした。

太田    そうですよね、当時としては地味だったかもしれませんね。

秋本    僕は逆に印象的でした。普通に明るい曲で、フリフリの衣装を着てという感じだと、やっぱり歌わされている感が出ると思いますが、そうじゃなくて、歌い込んでいる感じ、自分の中できちんと消化しているのが伝わってきて。太田さんはピアノを弾きながら歌っていたこともあり、テレビでフォークの人達と共演している時は違和感がなくて、逆にアイドルの人達と一緒の時の方が違和感がありましたね。

―― 太田さんは歌謡曲とフォークとを飛び越えてきた感じがしました。

秋本    本当にそうなんですよね。「雨だれ」はピアノの弾き語り風の曲なので、レコードで聴いていてもコンサートで聴いているのとあまり違わないというか、語りかけてくれている感じが好きです。

―― フォークの人達には「雨だれ」は歌えないし、歌謡曲を歌っている人も、あの曲を歌えないし、やはり飛び抜けた存在というか、今までいなかったタイプのアーティストが登場してきたと思いました。

太田    そういう意味でも太田裕美というものを、100%を表現してくださった曲は「雨だれ」なのかもしれないですね。そう考えると、あの曲がデビュー曲というのはすごい事だと思います。

1stアルバム 『まごころ』
太田裕美 1stアルバム
『まごころ』
オリジナル発売日:1975年2月1日
通常配信
itune mora レコチョク

―― 秋本さんが好きな曲は先ほどから何曲が教えていただいていますが、アルバムでいうとどれになりますか?

秋本    先ほどから口にしていますが、やっぱり1stアルバム『まごころ』は外せないですね。もう何回聴いたかわからないです。「夏の扉」も「グレー&ブルー」もすごく好きで。「白い季節」のイントロもすごく良くて、語るように歌っている「やさしさを下さい」は、ヘッドフォンで聴くと、耳元で囁いてくれているような感覚になります。

―― 太田さんの曲はどの曲もイントロから印象的で、萩田光雄さんの美しいストリングスを使ったアレンジが耳に残ります。

太田    先日、NHK-BSの『名盤ドキュメント 太田裕美「心が風邪をひいた日」木綿のハンカチーフ誕生の秘密』(2017年4月26日放送)という番組で久しぶりに萩田光雄さんにお会いして、『心が風邪をひいた日』のマルチテープを聴きながら当時を振り返ったのですが、もう本当に弦の音が美しいんですね。今の曲って、イメージが膨らむような、キャッチーなイントロってあまりないじゃないですか。でも太田裕美の作品は、メロディも素晴らしいのに、イントロも素晴らしいアレンジのものが多くて。いい曲をさらにいい曲にしてくれる魅力的なアレンジが多かったので、萩田さんの存在は本当に大きかったです。萩田さんも当時はアレンジャーとしては、まだ若手でしたので、一緒に育っていった感じです。当時関わって下さった方はみなさん今では大御所になってしまいましたが、本当に才能のある方たちとご一緒させていただいた事を心から感謝しています。

秋本治

松本隆さんが書く詞に登場する主人公の少年は、どこか引っ込み思案な感じがして、みんな優しいんです。だから漫画を描いている人にはピッタリなんです(笑)

―― 太田さんの歌は、先ほどの秋本さんの話にもあったように当時の若い人達の心の拠りどころというか、癒されたり、励まされたり、背中を押してくれたりという存在だったんですね。

秋本    松本隆さんが書く詞に登場する主人公の少年は、どこか引っ込み思案な感じがして、みんな優しいんです。だから漫画を描いている人にはピッタリなんです(笑)。

太田    これは僕だって感じなんですか?(笑)

秋本    イスに座って仕事をしながらずっと聴いているので、「雨だれ」は本当に印象的でした。『まごころ』が2月に発売されて、その後すぐ6月に発売されたアルバム『短編集』も優しい感じの曲が多くて、でも12月に発売された『心が風邪をひいた日』は全然違う感じになっていて、驚きました。「THE MILKY WAY EXPRESS」なんてすごいリズムで、「銀河急行に乗って」のサビ部分だけを切り取って、短くフェードイン、フェードアウトする珍しいタイプの曲で、太田さんが書いた「水車」も優しい曲で、本当に色々な音楽がパッケージされていて印象的です。ファンがこのアルバムが好きというのもわかりますよね。今までの集大成ではありませんが、今までの感じと、新しいものが融合している一枚という気がします。

2ndアルバム  『短編集』 
太田裕美 2ndアルバム
『短編集』
オリジナル発売日:1975年6月21日
通常配信
itune mora レコチョク

太田    この年は1年間でアルバムを3枚出しているんですよね。すごいですよね。この頃は毎日毎日レコーディングしているか、コンサートしているかという感じでした。その間にラジオとテレビの仕事をしていたので、よくこんなにも濃いアルバムを3枚もレコーデイングしたなという感じ。関わったスタッフの方々も今では想像できないような集中力で作っていたのだと思います。人って忙しくて時間がない時の方が、神経が研ぎ澄まされるというか、アドレナリンが出るというか。時間があればいいものができるかというとそうではなく、時間がない時はものすごく集中するので、いいものができることがあるのだと思います。

―― ほかにこれは外せないというアルバムを教えて下さい。

秋本    アルバム『ELEGANCE』(1978年1月)に収録されている「リボン」も印象的です。「ドール」もそれまでと全然違うイメージで、最初の「プイと横向いて」という歌詞にインパクトがありますね。

8stアルバム  『ELEGANCE』 
太田裕美 8thアルバム
『ELEGANCE』
オリジナル発売日:1978年8月1日
mora レコチョク e-onkyo
通常配信
itune mora レコチョク

秋本    『十二月の旅人』(1980年12月)というアルバムの中に入っていて、シングルカットされた「さらばシベリア鉄道」もやっぱり異色な感じで、これもドラマティックで、映画のサントラのような雰囲気があります。

太田    この曲も忘れられません。アルバム『A LONG VACATION』(’81年4月)レコーディング中の大滝詠一さんと偶然スタジオで一緒になった時に、大滝さんのところに遊びに行って話をしていたら、大滝さんご自身から「太田裕美が歌うといいんじゃないかって曲があります」と言われて、それが「さらばシベリア鉄道」でした。『A LONG VACATION』用に作って、ご自身がレコーディングしていたものを聴かせてもらって、本当にいい曲だなあと作詞クレジットを見たら松本隆さんだったので、どおりでしっくりくるなと思って。だからもらったというよりも、なんだか押し付けられた感じです(笑)。

秋本    ファンからすると、やっぱり異色なんですよね。太田裕美さんのあの声で歌うから印象深いんですよね。大滝さんが歌うのとは違う、少女が歌っている感じで、いつまで経ってもその印象があって……。吹雪の草原の中に少女がいて、という映像が浮かんできて、マンガにしたいなって思うくらいイメージがどんどん湧いてきます。画が出てくるんですよね。この『十二月の旅人』ではピアノの弾き語りでフォークソングっぽい感じの「海に降る雪」も大好きな一曲です。

13stアルバム 『十二月の旅人』
太田裕美 13thアルバム
『十二月の旅人』
オリジナル発売日:1980年12月12日
通常配信
itune mora レコチョク

―― ジャケットもどれも印象的ですが、これは太田さんの意見やアイデアが反映されているのですか?

太田    いえ。いつも「今回はこれで行くから」と最終的なものを見せられて、「以上」、という感じでした。

秋本    そうだったんですね……。じゃあ写真も確認できなかった?

太田    そうなんですよ。でも『12ページの詩集』から、カメラマンさんがフォーク系のミュージシャンの方のジャケットを撮っている方になって、色々と話し合いながら撮影するようになりました。

秋本    僕もデビューしたての頃は、コミック表紙用に絵を1枚描かされて、後は完成するまでどういう構成か色なのかも全然わかりませんでした。100巻までは口出しできませんでした。

太田    えーっ!秋本“先生”が……100巻まで……そんな感じだったんですか?

秋本    2か月に1冊出るので、分業制でシステマティックになるのは仕方ないとは思いますけどね。でも、「100巻目からは自由にやりたい」と宣言して、好きにやらせてもらうようになりました (笑)。

太田    そこまで辛抱強いですね(笑)。

秋本    本当ですよね。あ、話を戻しますが、『12ページの詩集』のジャケットは、それまでのイメージとは違いますよね。すごく綺麗ですし。

太田     『12ページの詩集』のもそうですし、シングルもそうなのですが、いつもスタッフの方は、あえてベストショットじゃないものを選ぶと言っていました。詳しい理由は聞いていなかったので、当時は「え、これがジャケット?」が多かったです。

秋本    インパクトを重視したのでしょうか?

太田    でもやっぱり変ですよね、ベストショットのものを使わないって(笑)。

秋本     『12ページの詩集』のジャケットは自然な感じですよね。このアルバムの写真すごく好きで、キメて撮っているのではなく、ちょっと休んでいる時にパッと撮ったような感じがいいですよね。

太田    そうですね。当時の撮影は割と自由な感じで、衣装も私服の事が結構あって、「九月の雨」のジャケットも私服です。

秋本    あ、そうだったんですね。

9stシングル 『九月の雨』
太田裕美 9thシングル
「九月の雨」
オリジナル発売日:1977年9月1日
mora レコチョク e-onkyo
通常配信
itune mora レコチョク

太田    こんな私服でいいの?って聞いたら、それでいいって(笑)。

秋本    当時は今のように撮ったそばからパソコンで確認できないし、写真をプリントしないといけないから、仕上がりがどうなるのかすら見えないという状況なのに、すごいですよね。

太田    当時はスタイリストやヘアメイクをつける事もあまりなかったです。デビュー曲の「雨だれ」は、一発目という事もあってスタイリストの方がついて、ヘアメイクもしてもらってジャケットを撮りましたが、着たのはステージ衣装でした。

秋本    それでフォークの感じが出ているんですよね。フォークの人たちって普段着にギター抱えて歌っていて、そこが僕らに近い感じがして逆に良かったんですよ。

太田    作り込むという感じではないのが、ね。

秋本    自然で飾らない雰囲気がよかったんです。太田さんもどちかというとフォークのアーティストに近いイメージがありました。僕らに近い、どちらかというと文系の男の子って感じで、スポーツマンではなくて、そういう登場人物の事を優しく歌ってくれるので、すごく身近な感じがしますね。

太田裕美

“こち亀”の連載を一回も休むことなく続けてきた事実。これは本当にすごい事だと思います。

秋本治

男には想像がつかないほどの力がないと、太田さんのように音楽活動を継続することはできないと思っています。

―― 太田さんは’74年デビューで、秋本さんは“こち亀”の連載が’76年にスタート。プロとして40年間以上も歌を歌い続けている人、マンガを描き続けている人、なかなかいないと思います。太田さんは精力的にコンサートを続けていて、秋本さんは“こち亀”終了後、すぐに4本同時連載をスタート。その原動力というか、続けていく事への思いを聞かせていただけますでしょうか。

太田    私は秋本さんの方がすごいと思う。“こち亀”の連載を一回も休むことなく続けてきた事実。これは本当にすごい事だと思います。

秋本    もったいない言葉です。結婚して母として育児をしながら、妻として生活を続けながら歌手活動をやる方が、すごく力が必要だと思います。仕事をしながらも子供は大きくなっていくから、どうしても私生活に引っ張られてしまいます。そんな中でレコーディングやコンサートを続けるのは男には想像がつかないほどの力がないと、できないと思っています。

太田    私の中にある使命感といえば、自分が与えていただいた大切な曲達を、歌手である限りはちゃんと歌い続けなければいけないという想いはありますね。

―― 太田さんのコンサートには40代から上の世代のファンだけではなく、若い人も増えているとお聞きしました。

太田    そうですね。昔はコンサートに行っていたけど、最近まで遠ざかっていたけれどまた通ってますという方や、若い人たちがYouTubeとかで私の存在を知って来てくれたり、昭和好きの大学生とかもいて、色々な人が来て下さって、客席すごく不思議な感じです。

―― そういえば秋本さんも太田さんのコンサートには久しく行けていないとおっしゃっていましたが。

秋本    そうですね。でも1990年代の後半までは行っていましたね。しかも、東京だとなかなかチケットが獲れないので、千葉までこっそり観に行ったりしていました。

太田    なぜこっそり…(笑)。でも嬉しいです。6月に渋谷でコンサートがありますので、よかったら是非久々にいらしてください! えっと、チケットは……

秋本    チケットは自分で買います!

太田    ありがとうございます(笑)。お待ちしております。

太田裕美 × 秋本治

インタビュー・文/田中久勝 写真/増永彩子

太田裕美

太田裕美(おおた・ひろみ)

1974年11月、シングル「雨だれ」でデビュー。そのアイドル的なたたずまいとピアノ弾き語りというフォーク/ニューミュージック的なスタイル、そしてキュートで舌足らずな歌声で瞬く間に大人気シンガーに。翌年日本レコード大賞及び日本歌謡大賞等で新人賞を受賞。「木綿のハンカチーフ」含め筒美京平・松本隆・萩田光雄トリオによるヒット曲を連発し、数々の名曲とめぐり合うが、80年代半ばの結婚を境に活動を控える。90年代後半から活動再開、‘98年筒美京平・松本隆コンビによるミニ・アルバム『魂のピリオド』発表を皮きりに作品の発表、前述の“風”の伊勢正三、元ガロの大野真澄と「なごみーず」というユニットを結成し各地でコンサートをおこなう等現在も精力的な活動を続けている。

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秋本治

秋本治(あきもと・おさむ)

1952年12月11日、東京都葛飾区生まれ。1976年6月、『週刊少年ジャンプ』29号にて『こちら葛飾区亀有公園前派出所』でデビュー。同年発行の42号から2016年42号まで、40年間一度も休載せず同作の週刊連載を続けた。
単行本は全200巻で、「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」のギネス世界記録を持つ。
2016年12月より、青年誌4誌に4作品を同時連載中。

こちら葛飾区亀有公園前派出所公式サイト

70s~80sシングルA面コレクション
70s~80sシングルA面コレクション
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