ふきのとう

絶対に再結成してほしいフォークデュオ第1位のふきのとう
解散25年を経て豪華仕様7CD+BOOK『ふきのとう プレミアム』で復活!

ふきのとう BIOGRAPHY 1950-1979

●1950 昭和25年

10月22日山木康世、札幌にて姉2人兄1人の4人兄弟の末っ子として生まれる。

●1952 昭和27年

10月26日細坪基佳、北海道雨竜郡石狩沼田町に生まれる。兄弟は弟1人。

●1961 昭和36年

細坪基佳9才、留萌小学校3年、この年留萌市主催の音楽コンクールに出場し、賞を獲得する。

●1965 昭和40年

細坪基佳、沼田中学校に入学。柔道を始め、卓球部の女の子に恋心を抱く。1年の時ボビー・ソロの「ほほにかかる涙」を聞いて音楽に目覚める。父親の助けを借りて、エレキ・ギターを購入。

●1968 昭和43年

山木康世18才、月寒高校3年、親戚から古いギターを借り、友人に教わる。カレッジ・フォークに関心を持ち、針金にてハーモニカ・ホルダーを自作する。この頃、合唱部にいた女の子にあこがれを抱く(後に失恋)。細坪基佳16才、沼田高校に入学。剣道部の副部長を務める。3年の時、病院の看護師さんにあこがれ、何回か通院をくり返す(後に失恋)。

●1969 昭和44年

山木康世、北海学園大学に入学。「ブラザース・フォア」スタイルのバンドを結成。オリジナルを中心に活動するが、半年後に解散。

●1971 昭和46年

細坪基佳、北海学園大学に入学。10月、山木康世と細坪基佳の衝撃の出会い。北海学園大学フォークソング研究会にて、山木21才、細坪19才。当時細坪はロック指向の別の同好会にもいたが、歌う機会がないことを唯一の不満として同会を退会し、暇を持て余していたらしい。

●1972 昭和47年

3月4人編成のグループ「マッドスリム」のメンバーとして、札幌主催のチャリティー・コンサート(札幌厚生年金会館)で歌う。この時、あの名曲「ちょうちょ」が歌われたが、細坪は相変わらず〝ちょうちょ、ちょうちょ″というハモリだけだったらしい。(詳しくは『LIVEアンコール~やさしさとして想い出として』でお聞き下さい)デュオ・グループ「メロディー」として、ニッポン放送系のアマチュア・フォークコンテスト「バイタリス・フォークビレッジ」(その後「ライオン・フォークビレッジ」に変る)北海道大会に出場。残念ながら予選落ち。グループ名が「ふきのとう」になる。この名前は山木のとっさの思いつきなのだが、細坪はしばらくの間、エッフェル塔や東京タワーなどの塔の一種と思っていたそうである。

●1973 昭和48年

3月全道における、ゆるぎない名声にあき足らず、2人は「ヤマハ・ライトミュージック・フェスティバル」に出場し、優秀賞を受賞する。同4月「全国フォーク音楽祭」北海道大会に出場し、優秀賞受賞。同5月今は亡きSTVラジオのT氏に連れられて、上京。「全国フォーク音楽祭」全国大会に出場し「夕暮れの街」を歌い、作曲賞受賞。「ふきのとう」の名は、道内は勿論、海を越えて東京にも知れわたる。同時に事務所やレコード会社からも声がかかり始める。しかし何故か2人はそれらを拒否し続け、曲作りと練習に1年を費やした。山木は大学を卒業したが、どこにも就職しなかった。

●1974 昭和49年

6月1年間のアマチュア活動の後、プロになるという特別の気持ちも持たぬまま、レコーディングのため上京。彼らの送別会は春とはいえ、まだ冷たい北国の川に飛び込む者まで現われたというほどのものだったらしい。7月から8月にかけてレコーディング。オリジナル曲50余曲の中から厳選に厳選を重ねた12曲が選ばれた。

9月21日「白い冬/夕暮れの街」デビューシングル発表、ヒットチャート急上昇。

10月21日「白い冬」が大ヒットするさなかに、1枚目のLP『ふきのとう』発表。2ヶ月で10万枚を突破。

●1975 昭和50年

2月21日「南風の頃/雪どけ水」2枚目のシングルを発表。

5月21日「初夏/散歩道」3枚目のシングルを発表。

6月1日2枚目のLP『ふたり乗りの電車』を発表。

7月25日初めてのリサイタル、東京・九段会館にて大盛況。

10月21日「街はひたすら/眠る君のそばで」4枚目のシングルを発表。

12月道内で初のリサイタル。23日旭川市民会館、24日札幌厚生年金会館、25日函館市民会館。この年以降、年末のクリスマス・リサイタルが北海道で行われるようになる。

●1976 昭和51年

1月10日謹賀新年コンサート、青山タワーホールにて。この年より毎年仕事始めとして、謹賀新年コンサートを行うようになる。

6月21日「風の船(海よりも深く)/君は人形」5枚目のシングルを発表。

7月1日3枚目のLP「風待茶房」を発表。

7月12日リサイタル、新宿厚生年金会館にて。

9月21日「雨ふり道玄坂/おやすみ(Good Night)」6枚目のシングルを発表。

10月4日「山本コウタローとウィークエンド」との完全ジョイント・コンサートツアー「5人6脚コンサート」大阪サンケイホールにて旗揚げ。全国ツアーに入る。

11月21日LP『歳時記』を発表。

12月恒例のクリスマス・リサイタル、北海道5ヶ所を行う。

●1977 昭和52年

1月25日謹賀新年コンサート、青山タワーホールにて。

3月1日「美しく燃えて/哀歌」7枚目のシングルを発表。

4月21日4枚目のLP『水車』を発表。

7月12日リサイタル、東京厚生年金会館にて。

7月21日「風来坊/僕……」8枚目のシングルを発表。コンサート活動で培ってきた実力がこの曲でついに爆発。「白い冬」を越す大ヒットとなり、ゴールド・ディスクを受賞。リサイタル、東京厚生年金会館にて2回目。

11月1日5枚目のLP『風来坊』発表。爆発的な売れ行きでゴールド・ディスクを受賞。

12月21日「流星ワルツ/夜」9枚目のシングルを発表。B面は、初めて細坪基佳の曲を山木康世が歌った。恒例のクリスマスコンサート、北海道5ヶ所にて行う。

●1978 昭和53年

1月1日仕事始め、沖縄中城公園にて。

1月12日謹賀新年コンサート、2日連続新宿ルイードにて。

4月21日「影法師/激しい雨」10枚目のシングルを発表。この「激しい雨」はLP未収録。後に新アレンジで細坪基佳のソロLP『木精』に収録される。

7月21日6枚目のLP『思い出通り雨』を発表。沖縄で、すべてのシングルが有線リクエスト1位獲得。離島を含めて6ヶ所の沖縄ツアー大盛況。

7月30日ふきのとうの本「思い出通り雨」出版。

8月1日沖縄限定盤シングル「ここは沖縄/五色のテープ」を発表。

9月21日「思い出通り雨/初恋」11枚目のシングルを発表。1979年に行われたアンケート調査の結果、「初恋」が最も人気の高い曲だった。

9月22日リサイタル、芝の郵便貯金会館にて。チケット発売後1週間で売り切れ。

9月25日リサイタル追加公演、中野サンプラザホールにて。

11月1日LP『ふきのとうベストVol.1』を発表。1~6枚目のシングルAB曲が全曲収録されている。

12月恒例のクリスマス・リサイタル、北海道5ヶ所を行う。

12月27日この年、250本目のコンサート、函館市民会館にて。コンサート数がアリスを抜いて日本一となる。

●1979 昭和54年

1月11日謹賀新年コンサート、読売ホールにて。

2月25日「春雷/ば~じにあ・すりむ」12枚目のシングルを発表。ゴールド・ディスクを獲得。

3月山木康世が休養。この間、細坪基佳一人でふきのとうコンサートを続ける。

3月18日中野サンプラザホール公演にて、山木康世一ヶ月ぶりに復帰。

5月14日ふきのとう5日間連続コンサート、労音会館にて。

5月21日7枚目のLP『人生・春・横断』を発表。

7月21日「柿の実色した水曜日/青空」13枚目のシングルを発表。

8月ふきのとう2ヶ月休養宣言。

9月細坪基佳、ソロLP、シングルレコーディング

10月6日ふきのとうライブ・レコーディング・ツアー、小倉市民会館にて。ライブ‘79「風をあつめて……」スタート。

10月21日細坪基佳、ソロ・シングル「ひとりの君へ/ミスター・グッドバーを探して」、ソロLP『木精』を同時発表。ソロ・コンサートもスタートする。

11月10日山木康世、ソロ・コンサート、オンリー・ワン・ナイト・ライブ、札幌「ドゥ・オール」にて。

11月21日『ふきのとうベストVol.2』を発表。7~12枚目のシングルAB面収録。

12月11日リサイタル「ふきのとう’79 風をあつめて……」中野サンプラザにて。チケット発売4時間で売り切れ。チケット抽選申込ハガキ、8倍の競争率となる。20日函館市民会館、22日旭川市民会館、23日札幌厚生年金会館にてリサイタル。

ふきのとうプレミアム(オリジナル・アルバム・コレクション1974~1979+Guitar Book File)

2017年5月29日発売

ふきのとうプレミアム(オリジナル・アルバム・コレクション1974~1979+Guitar Book File)

価格:¥17,700+税

品番:MATO-737

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