DISCOVER the 90's

DISCOVER the 90'sこの時代を彩った名曲たちを随時配信!!

第三弾アーティスト

百花繚乱にして非常に芳醇な音楽にあふれた90年代。“DISCOVER the 90's”と銘打ち、ソニーミュージックのアーカイヴから、これまでリイシューされていなかったアーティストを中心に、この時代を彩った名曲たちを随時配信していきます。

Text by 兵庫慎司

ロッテンハッツ

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ひとりいればバンドが成立するミュージシャン/シンガー/ソングライターが6人も、ひとつのバンドにいたことのほうが、何か嘘のように思えてしまう

ロッテンハッツ

    1989年、東京にて、モッズ・シーン/ネオGSシーンにいたバンドマンたちが中心となり、結成。1991年秋、UKプロジェクト内のRICE RECORDSから初めての7曲入りの音源『ROTTEN HATS』をインディ・リリースするや否や、各メジャー・レーベルの争奪戦になり、最終的にソニー内のトレフォートがこのバンドを獲得(リリースの頃にはソニー・グループ内の組織変更により「キューン・ソニー」という会社になっていた)。
    1992年9月21日にファースト・フルアルバム『Sunshine』をリリース。リカットされたシングルTBS系金曜21時のテレビドラマ『ホームワーク』の挿入歌になった。翌1993年10月1日には、セカンドアルバム『Smile』をリリースするが、1994年には解散。
    その後、ヴォーカルの片寄明人、ベースの高桑圭、ドラムの白根賢一はGREAT3を結成、もうひとりのヴォーカルの真城めぐみとギターの木暮晋也とギターの中森泰弘はヒックスヴィルを結成、それぞれメジャー・デビュー。
    で、それから25年が経った、2019年現在。片寄明人は、古くはフジファブリック、最近ではDAOKOやTENDOUJI等、多数の新人を手掛けるプロデューサー。妻であるChocolatとのユニット「Choclat & Akito」でも活動するほか、NHK-FM毎週日曜夕方の番組『洋楽グロリアス・デイ』のDJを長年担当している。高桑圭は、ソロ・アーティストCurly Giraffeとしての活動と、佐野元春&THE COYOTE BANDなど多数のミュージシャンのサポートも務める。白根賢一は、ライヴやレコーディングのサポート・ドラムだけでなく、プロデュースや曲提供も手掛けているし、Manmancerという名義でソロ活動も行っている。休止していたGREAT3は、2012年に高桑が脱退、代わりにjanが加入して活動を再開した。近年は動いていないが、解散はしていない。
    真城めぐみ、木暮晋也、中森泰弘のヒックスヴィルは、現在も活動中。真城めぐみも、木暮晋也も、多数のアーティストのサポートを務めている。真城めぐみと中森泰弘は、ザ・クロマニヨンズの真島昌利と3人で「ましまろ」というユニットを組み、2作のアルバムをリリースし、ツアーも行っている。
    というふうに、それぞれが長きにわたり活躍中である現在を見ると、短い期間とはいえ、ひとりいればバンドが成立するミュージシャン/シンガー/ソングライターが6人も、ひとつのバンドにいたことのほうが、何か嘘のように思えてしまう。
    ブルースやカントリーやフォークやAORをベースにした歌謡曲感ゼロの音楽性。ウッドベースやカズーやバンジョー等も用いたアコースティックでトラッドな楽器編成。平易の極みのような日本語で綴られる歌詞。いずれも、音楽を知り尽くし探求し尽くした末に素朴でシンプルな世界に辿り着いたような存在、それがロッテンハッツだった。
    当時、その才能が正当に世の中に受け入れられた、とは言い難いが……というか、正当に受け入れられる前に早々とやめてしまった、とも言えるが、当時この音楽がいかに先鋭的であったか、そしていかに今聴いても一切色褪せない普遍性を持っていたかは、このたびこうして聴けるようになった、キューンに残した音源が示していると思う。

宮田和弥

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20代の頃も、50代の今も、メロディと言葉をとんでもなく輝かせる天賦の才である宮田和弥の歌は、30代のこの頃も、鮮やかに、まっすぐに、耳に突き刺さってくる

ロッテンハッツ

    解散する3年前。寺岡呼人が脱退し、その前のベーシストの伊藤毅が復帰したタイミングで、JUN SKY WALKER(S)はエピックへ移籍した。そして、1997年に解散した後も、ヴォーカルの宮田和弥はエピックに留まり、1998年に『smash』、1999年に『HERE』と、2作のソロ・アルバムをリリースしている。このたび聴けるようになったのは、その2作である。その後、宮田和弥は、2003年に元ユニコーンの川西幸一らとジェット機を結成、2007年にはジュンスカが再結成。再結成後の2010年にもソロ・アルバムを作っているが、純然たるソロとして活動したのは、このエピックの時期だけ、と言える。
    基本的に、宮田和弥という人は、発言にも、行動にも、書く歌にも、その時思っていること、感じていることがそのまんま出てしまう、というか「そのまま出さないと生きていけません」っていうくらいの、ものすごく正直なアーティストである、と、僕は思っている。どんな理由であれ、自分の音楽の受け手に対して、何か嘘をついたり、自分を大きく見せたり、逆に小さく見せたり、ごまかしたり、フワッと曖昧にして提示したりすることが、とにかくイヤなのだと思う。
    ましてや、バンドを失って、ひとりになって音楽を作ると、その正直さにさらにブーストがかかることになる。という意味で、この時期のこの2作のアルバムというのは、今聴いても、いや今聴くと、よりいっそう、おもしろい……って、おもしろがっちゃ申し訳ないか。「興味深い」「だから惹かれる」という言い方に、訂正します。
    インダストリアルなサウンド・プロダクトの「リズム」でスタートし、アコースティック・ギターの弾き語りで始まる「Login Dance」に続き、やはり弾き語りがベースになっている曲調の「21c」へ連なっていく『smash』もそうだ。全体にバンド・サウンドに回帰しているが、トータル的な方向を決めてサウンド・プロデュースしたというよりも、「1曲1曲にふさわしいアレンジを考えました」というふうに作ったのではと思わせる『here』もそうだ。
    特に後者。「赤いナイフ」には「どこにももう逃げられない 誰ももう助けてはくれない」というラインがある。その前の曲は「崖っぷちでハロー」というタイトルである。「ヒラリ」では「僕になれるかな 本当のバカになりたいんだ」と歌っている。
    ただ、どの曲も、ジュンスカが解散して窮地に追い込まれた宮田和弥の個人の状況ではあるが、彼だけでなく当時解散を経験したバンドマンの多くが経験したことでもあるし、バンドマンでなくても、自分に置き換えたり自分と照らし合わせたりして曲の世界に入っていくことができる表現になっている。それも「ああ、わかるねえ」くらいではなく、どっぷりと。
    苦い。重い。切実。だから、沁みる。20代の頃も、50代の今も、メロディと言葉をとんでもなく輝かせる天賦の才である宮田和弥の歌は、30代のこの頃も、鮮やかに、まっすぐに、耳に突き刺さってくる。

ザ・カスタネッツ

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聴き手を一切選ばない、誰のことも疎外しない、メロディと声とリリック

ザ・カスタネッツ

    このバンド、なんでブレイクしなかったんだ!? と、納得がいかないことは何度もあるが、個人的には、90年代においてその中でトップと言っていい。いや、00年代以降を含めてもそうかもしれない。自分が好きであることを棚に上げて、極力冷静かつ客観的な耳で聴いても、そういうふうにしか思えない。聴き手を一切選ばない、誰のことも疎外しない、このメロディと声とリリックは、もっともっと広く世に届くポテンシャルを持っているのに、90年代ならミリオンセールスを記録しても不思議じゃなかったのに、と、今聴き直しても思う。
    初めて聴いたのに、前から知っていたように耳になじむ。なのに、何度聴いても飽きることがなく、いつでも新鮮に響く。自分の思いを綴ることが、そのまま普遍的な物語に化ける牧野元の詞。抑揚が大きくてドラマチックなのに、まるで話しているみたいに自然に耳に届く、同じく牧野元のメロディ(声がいい、というのも重要)。コード一発の豪快さと、エフェクターで多様な音色を奏でる繊細さの両方を駆使して曲の世界を作り、広げていく小宮山聖のギター。いずれもすばらしいし、今聴いてもまったく古くなっていない。最初から懐かしかった、と言えるかもしれない。
    1987年に明治学院大学のサークルで、ボーカルの牧野元とギターの小宮山聖を中心に結成。1995年にソニー傘下のアンティノスレコードからメジャーデビュー、『LIVING』『PARK』『MARKET』『khaki』の4作のオリジナルアルバムと、ベストアルバム『9599』をリリースし、2000年にはドラムの金野由之が脱退して活動休止、2002年から活動再開。以降は、メンバーチェンジ等ありつつも、下北沢CLUB Queを中心に活動中。現在も熱心なファンが集まり、ワンマンを行うたびにソールドアウト。アンティノスを離れた後も、3作のアルバムを発表している。
    現在は、牧野元と小宮山聖に、高橋優やChage等のサポートも務めるベーシスト小島タケヒロと、元THE COLLECTORSで現在チリヌルヲワカ等でもプレイ中のドラマー阿部耕作が加わった4人。2018年には牧野元が舌癌に罹ったことを発表、夏の活動を休止し手術を受けたが、秋にはライブ復帰した。

デキシード・ザ・エモンズ

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不思議で、愉快で、曲と演奏がとてもいい、すごいバンド

デキシード・ザ・エモンズ

    90年代から活動を続ける下北沢の名物レーベルであり、近年ではKEYTALKをブレイクさせたことで知られるK.O.G.A Recordsからのリリースで知られるようになったデキシード・ザ・エモンズ(以下デキシー)は、1997年から1999年までエピックソニーに所属し、『ROYAL LOUNGE』『Berry, Berry Bo, hho』『S,P&Y Sound, Pew & Young』をリリースした。今回こうして聴けるようになったのはその3作のアルバムとシングル収録曲を含む全てのエピック音源。
   「英国60年代」「モッズ」「ソウル」「R&B」といった自らのルーツとなる音を忠実に再現しようと、アレンジや演奏はもちろん、機材やレコーディング方法にまで徹底的にこだわり抜いていたバンドで、ゆえに音源ではしっかり60年代まんまの音が鳴っていたことを記憶していたが、このたびこうして聴き直したところ、全然それだけじゃないことを、改めて強く感じた。
    60年代まんまの音で今の自分たちを描くと、こんなに新鮮で新しいものになることもある。という実験がデキシーだったんだなあ、ということだ。日本語だし、その日本語が自然にのっかるメロディだし。この少し前に流行ったネオGSブームのバンドたちとも違うし(元々近い界隈にいたのだとは思うが)。そもそも当時、バンドなのにボーカル&ギターのアベジュリーとドラムのハッチー・ブラックボウモアのふたり、って「なんじゃそれ」と思ったし、それぞれの名前にも「なんじゃそれ」と思ったし(※後にハッチーはハッチハッチェルと改名)。
    2006年に解散するまで、そのような、不思議で、愉快で、曲と演奏がとてもいい(いわゆる「うまい」演奏とは違う、「味がある」「というか味だらけ」な演奏)バンド、というふうに認識していたが、ひとつ付け足しておくべきだった。不思議で、愉快で、曲と演奏がとてもいい、すごいバンド、というふうに。
    解散以降、アベジュリーもハッチハッチェルも、自身のバンドや他ミュージシャンのプロデュースやサポートで活躍中。2014年2月22日には、K.O.G.A Recordsの20周年を機に、レーベルオーナーの古閑裕にひっぱり出される形で、リキッドルームで復活ライブを行った。以降、不定期だが、時々ライブを行っている。

ワイヨリカ (Wyolica)

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J-POPのどまんなかで勝負できる歌ものであることと、クラブのフロアで鳴って成立すること、その両方を併せ持つ

wyolica(ワイヨリカ)

    ヴォーカルのazumiとギター/プログラミングのso-toのふたりで1997年に結成、1999年5月にシングル「悲しいわがまま」でエピックからデビュー、2002年2月に、大沢伸一プロデュースのファースト・アルバム『who said “La La…”?』をリリース。以降、計4枚のアルバム、2枚のミニ・アルバムをリリースするも、2011年には実質的に活動が止まり、2013年5月に正式に解散する。
    しかし、デビューからぴったり20年にあたる2019年5月21日に、再結成を発表。同年8月7日に、新曲3曲と新録音1曲を含む全30曲のベスト・アルバム『Beautiful Surprise ~Best Selection 1999-2019~』を、その1週間前にはアナログ7インチと各定額配信サービスでシングル「Beautiful Surprise/OneRoom」をリリースした。
    そのシングルの2曲が、ワイヨリカの、各定額配信サービスにアップされた初めての曲で、それに続いてエピック時代の作品も、こうして聴けるようになった、ということだ。
    ワイヨリカがデビューした1990年代末期~2000年代初期は、国内でもヒップホップがチャートの上位にランクインするようになっていったり、R&Bをベースにした女性シンガーが人気を博して「Diva」と呼ばれるようになったり、テクノやハウスといったダンス・ミュージックが広く聴かれるようになっていった頃でもあった。要は、クラブ・ミュージックがJ-POPと結びついて、オーバーグラウンドになっていった季節だったわけだが、その「オーバーグラウンドにした」立役者のひとりが、いや、ふたりか、とにかくそれがワイヨリカだった、と言っていいだろう。
    J-POPのどまんなかで勝負できる歌ものであることと、クラブのフロアで鳴って成立すること、その両方を併せ持ったワイヨリカの作品は、同じような志向を持つ当時の新人アーティストの中でも抜きん出て輝きを放っていたし、だからデビューとほぼ同時に広く熱く支持されるようになった、ということだ。
  「さあいこう」、「ありがとう」、Kj(Dragon Ash)参加の「風をあつめて」などの名曲の数々が、今こうして聴けるようになったことは、当時のファンにとってはもちろんのこと、ワイヨリカを知らない世代にとっても、とても意味のあることだと思う。

松崎ナオ

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トピックス

聴き逃していい瞬間がもう本当にない彼女のソングライティングは、ある意味、デビューの時点で完成していた

松崎ナオ(NAO MATSUZAKI)

    NHK総合のドキュメンタリー『ドキュメント72時間』のエンディングでは、テーマソングとして、松崎ナオの「川べりの家」が、かかり続けている。2006年の番組開始から2019年現在まで、つまり13年間ずっとこの曲である(バージョンは一度変わったが)。という事実も、彼女がどんなアーティストであるかと表している、と言えるのではないか。
    1976年生まれのシンガー・ソングライター。エピックに在籍したのは1998年から2002年までで、ミニアルバム『風の唄』でデビュー、フルアルバム『正直な人』『虹盤』の通算3作品をリリース。以降、インディーズで長く活動を続けている。昔も今も同業者からリスペクトされる存在であり、2017年には以前から親交のある椎名林檎とコラボしたデジタル・シングル「おとなの掟」を発表したり、2018年からは3ピース・バンド「鹿の一族」を結成して、リリースやライヴを行ったりもしている。
    シンプルなサウンド・プロダクトにのせて、言葉とメロディをひとつひとつくっきりと刻み込むように曲にしていく。喜怒哀楽それぞれの感情や、それらが重なった感情や、それらの間の感情や、それらのどれでもない感情を、絶妙に掬い上げていく。「ラブソング」というよりも「コミュニケーションの歌」や「ディスコミュニケーションの歌」と形容したくなる、他者と己の「ままならなさ」を表していく。
    そんな、聴き逃していい瞬間がもう本当にない彼女のソングライティングは、ある意味、デビューの時点で完成していたことが、当時の作品を今聴き直すと、わかる。このあと、時期によって、サウンド・プロダクトやレコーディング方法等はいろいろ変化・進化していくし、曲そのものも洗練されていったりはするが、その芯にある強いものは変わっていない、まったくぶれていない、そう感じる。
    エピックを離れて以降の作品は、各定額配信サービスに音源が揃っているし、エピック時代の作品も、最後の『虹盤』は以前からアップされているが、『風の唄』と『正直な人』は廃盤になって以降、触れることができる場所がない状態になっていた。それがこうしていつでも聴ける状態になったことを、素直にうれしく思う。

The CHANG

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「この後何度も流行った音」「そして今また流行っている音」のスタイルが、既にここで鳴らされている

The CHANG

    CHEMISTRY、ハナレグミ、小泉今日子、大橋トリオなど、サポート・ギタリストとして、そしてプロデューサーとして、多くのアーティストを支える石井マサユキが、最初にプロとして活動したバンドである。レーベルはエピック・ソニー、マネージメントはアミューズ。1995年、屋敷豪太プロデュースのもと、シングル「今日の雨はいい雨だ」とアルバム『DAY OFF』でメジャー・デビュー。1996年には同じく屋敷豪太プロデュースでセカンド・アルバム『acton』をリリースするが、バンドとしての活動はここまでで終わる。
    そこから石井マサユキは、ボーカリスト武田カオリとふたりでTICAを結成し、2009年頃まで活動することになる。以降もサポートやプロデュース、映画の劇伴等で活躍しており、2019年には井出靖が結成した25人編成のTHE MILLION IMAGE ORCHESTRAに参加。6月26日にリリースされたアルバム『熱狂の誕生』では、このバンドで「今日の雨はいい雨だ」をリメイクしている。
    ソウル、ブルース、サーフ・ミュージック、アシッド・ジャズ、AOR等のエッセンスを、洋楽と邦楽の境界線がいい感じで曖昧になってきた当時ならではの手つきで、「日本語の歌もの」としてまとめあげる──音楽性を無理やり説明すると、そんな感じだろうか。
    とにかく、「この後何度も流行った音」「そして今また流行っている音」のスタイルが、既にここで鳴らされていることに驚く。試しに、今人気のある、近い系統の音のバンドと、並べて聴いてみてほしい。まったく古くなっていない、そして、まったく負けていないことが、よくわかるはずだ。
    シンプルで意味の明確な言葉を使って、「暗くはないけど疲れてはいる」みたいな、明るい倦怠を感じさせる歌詞の世界も、聴き手を強く引き込むものを持っている。という点も、今聴いてもまったく色あせていない。
    世間的に広く知られるようになる前に活動が終わってしまったバンドだが──それは今「世間に気づかれなかったから終わった」というよりも「短期間すぎて世間が気づく前に終わった」という方が近いのではないか、と、今になると思うが──現在活躍している20代~30代のバンドが「実はThe CHANGを聴いていました」と言っても、納得こそすれ、驚きはしないだろう。「早すぎた」とか「あとから時代が追いついた」みたいな言い方、手垢にまみれすぎていて普通使うのがためらわれるが、このバンドを形容する時に限っては、許していただければと思う。