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【DJ OSSHY】本日公開!好評連載 「TOKYOの未来に恋してる!」第28回【対談⑤ 横山剣(CKB)×DJ OSSHY[前編]】が本日アップしました。
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【DJ OSSHY】本日公開!好評連載 「TOKYOの未来に恋してる!」第28回【対談⑤ 横山剣(CKB)×DJ OSSHY[前編]】が本日アップしました。

otonano人気「TOKYOの未来に恋してる!」の好評“対談”シリーズ。角松敏生、ブラザー・コーン、マイケル・フォーチュナティ、西寺郷太(NONA REEVES)に次ぐ5人目のゲストとしてクレイジーケンバンドの横山剣の登場です。剣さんと言えば泣く子も黙るYOKOHAMA愛好家。もちろん対談テーマは「YOKOHAMAディスコシーン」。'70~'90年代をルックバック。[前編]からお届けします。イイネ!


―― 今回はお二人に、往年の横浜ディスコ・カルチャーについて振り返っていただければと思います。OSSHYさんは、最初に横浜方面のディスコに“遠征”したのはいつ頃でしたか?

DJ OSSHY おそらく十代の最後くらいじゃなかったかな。僕は1982年、17歳のときに渋谷の「キャンディ・キャンディ」というディスコでDJをはじめたんですね。当時はいわゆる“丘サーファー”全盛期で(笑)。外国のお客さんはそんなにいなかった。そのちょっと後、友だちに連れられて山下町の「CIRCUS」というお店にはじめて遊びにいったんですけれど……それが僕にとっては、衝撃体験で。

横山剣 はははは。「CIRCUS」ね。けっこう衝撃でしたか?

DJ OSSHY 半端じゃないカルチャー・ショックを受けました。というのも店内の半分以上、もしかしたら7割ぐらいが黒人のお客さんなんですよ。

横山剣 80年代の半ばだとそんな感じですよね。横須賀に配属された海兵隊員が、週末になるとバーッと横浜に繰り出してくるという。

DJ OSSHY ええ。まさにその中心が「CIRCUS」でした。1000人くらい入れる大箱が満員御礼。ちょうどニュー・ジャック・スウィングとかブラコンと呼ばれる音楽がものすごく流行りだした頃で……。ロックみたいな白人系の音楽はまったくかからない。オール・ブラック・ミュージック。

横山剣 そうですよね。

DJ OSSHY 楽しそうに踊りまくっている黒人のお客さんを見て、ふと「ここってもしかして外国なのか!?」と思ったり。

横山剣 かなり独特というか、異様な雰囲気がありましたよね。照明が落ちると、暗闇のなかで彼らの目と歯がギラッと光ったりして(笑)……

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