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【日本武道館列伝】新連載、本日スタート! 第1回『チープ・トリック at 武道館』をつくった男・野中規雄インタビュー[前編]
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【日本武道館列伝】新連載、本日スタート! 第1回『チープ・トリック at 武道館』をつくった男・野中規雄インタビュー[前編]公開です。

 1964年9月に完成、10月に東京オリンピックの柔道競技場会場として開館した日本武道館(東京都千代田区北の丸公園2の3)。1966年6月にビートルズ初来日会場として使用されて以降は、日本最大の音楽ホールとして愛され続けるコンサートの“聖地“。otonano新連載「日本武道館列伝」では数多くの名演、名盤、名場面を生んだレジェンダリーの回想を掲載します。

 連載第1回は『チープ・トリック at 武道館』を作った男として知られる元ソニー・ミュージックの洋楽名物ディレクター、野中規雄氏。

── とすると、チープ・トリックの武道館公演の興行元だった音楽舎は、かなり確信を持って武道館を決めたんでしょうか。

野中 どうなんでしょうね。当時の状況として、まず「ロックと言えばウドー」という感じだったし、もちろんキョードー東京もいて、そのなかで音楽舎は新興勢力だったんです。そういう彼らが、3大ロック・バンドの次を担うチープ・トリックで勝負に出たという感じだったんじゃないでしょうか。ある日、当時の責任者の上野(博)さんから電話がかかってきて「武道館、どうですか?」と言うわけです。“何、言ってるんだ!?”と思いましたよね(笑)。だって、デビューしてまだ数か月しか経ってないバンドですから。実際、「ビートルズがやった武道館でやりたい。いっぱい入れば儲かるし!」みたいな感じで武道館をやって、評判を落としたバンドも少なくありませんでした。僕としては、その二の舞になるんじゃないかという心配があったんです。でも、その電話がかかってきたときにはもうおそらく決まっていたんですよね。それで、発売したら即完ですよ。

── 即完だったんですか!?

野中 正直、“なんじゃ、これは!”と思いました。人気があるのはわかっていたし、レコードは実際メチャクチャ売れていました。12月に武道館公演が発表になる時点で9月発売のアルバムは20万枚くらい売れていたんです。エアロスミスは10万枚です。つまり、チープ・トリックはエアロスミスの倍売れていたわけですけど、それにしても“武道館!?”と思っていました。いまの感覚で言えば、その年にデビューしたバンドが本国で売れていないのに東京ドームをやるようなイメージですよ。それが即完したんだから、“ウソっ!”という感じです。それで、チープ・トリックのライヴ・イン・ジャパンを録ろうと決めました。アメリカにオファーを出したら……

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