西寺郷太 It's a Pops

NONA REEVES西寺郷太が洋楽ヒット曲の仕組みや背景を徹底分析する好評連載

第19回 プリンス「クリスタル・ボール」 (1986年)【後編】

第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

―― ([前編]からの続き)「ザ・レヴォリューション」解散後はシーラ・E.との共作、共演が多くなっていますよね。

西寺 いわゆる“プリンス・ファミリー”としてそれまでも強い繋がりはありましたが、プリンスがシーラ・E.とツアーも含め密接に関わったのが、2枚組『サイン・オブ・ザ・タイムス』(’87年)の時期です。そのツアーと並行して、プリンスはキャリアのなかで最もファンキーでハードなR&Bに回帰した作品と言われる『ブラック・アルバム』を制作しました。でも発売の一週間前にこのアルバムのリリースを突然「個人的な理由」で中止しちゃうんですよね。

第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

プリンス
『サイン・オブ・ザ・タイムズ』
(1997年)
ワーナー・ミュージックジャパン


第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

プリンス
『LOVESEXY』
(1988年)
ワーナー・ミュージックジャパン



―― 発売中止は当時音楽メディアもファンも大騒ぎになりましたが、結局「個人的な理由」って何だったんですか。

西寺 その話をすると本題から外れてここに戻ってくるまでにおそらく2時間はかかってしまうので(笑)、今日はヤメておきます(笑)。シーラ・E.は、『LOVESEXY』(’88年)でもプリンスの「右腕」として大貢献します。自らの元を去った「ウェンディとリサ」の「穴」を埋める意味でもラテン・パーカッションの申し子シーラのリズム解釈は、プリンスを支えたし、相談役としてもスペシャルなケミストリーを生める唯一無二の相棒だったと思います。この『LOVESEXY』はアナログからCDへの完全移行期にリリースされたんですが、CDではプリンスの意向により収録曲全9曲が曲ごとに飛ばすことができない1トラック仕様になったこちらもいわゆる問題作ですね。今でも1トラックですからね。僕がプロになって、自分のPCでプロトゥールズを使えるようになった1990年代後半に一番最初にやったことが『LOVESEXY』の楽曲を全部波形でカットすることでしたからね(笑)。次にやったのが、ジョージ・マイケルの「I WANT YOUR SEX」のシングルを「Pts. 1&2」と「A Last Request (3)」を逆に繋げること。どうでもいい情報ですけど(笑)。

―― 正確には連載第1回目の情報以来です(笑)。シーラ・E.ってプリンスが作曲した「グラマラス・ライフ」(’84年10月全米7位)のデビューヒットの華やかさとあのセクシーな美貌からでしょうか、日本ではちょっと過小評価されていますよね。

西寺 されてますね。でも日本では80年代にナショナルのビデオ・デッキのテレビCMにも登場したり、わたらせサマーフェスタの花火大会でも来日して演奏したこともありますし、かなり親日家というか、所縁も深いアーティストで。「ザ・レヴォリューション」のリサやウェンディと同じようにお父さんはラテン・パーカションのカリスマ、ピート・エスコベード。ピートの弟、コーク・エスコベードの「I Wouldn’t Change A Thing」は、日本で言えば橋本徹さんが作られたコンピレーション『Free Soul』でも定番のダンス・クラシックですね。ピートとコークの兄弟は、プリンスが大ファンのサンタナのバックでも信頼されて演奏し支えていましたし。プリンスとシーラ・E.のことを話す時に僕がいつも残念に思うのが……今年もプリンスの命日(4月21日)が過ぎたばかりなので言うわけじゃありませんが、プリンスはなぜ音楽遺産の管理をシーラ・E.に任せなかったのかなぁ、と。遺言で、「僕にもしものことがあった時は音楽管理をシーラに任せる」って書いておいて欲しかったなぁ、なんて。彼女も天才ミュージシャンなんで大変だとは思うんですが、それだけの愛と実績、関係性がある女性なので。

第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

シーラ・E.
『The Glamorous Life』
(1984年)
Apple Music


―― どういう意味ですか?

西寺 プリンスって、遺言を残さず突然亡くなってしまったことで、周りのみんなが困ったわけです。奥さんも子供も、ご両親も亡くなってる、妹のタイカはミュージック・ビジネスのことをいきなり理解しろというのも無理ですし。再婚だった父親ジョン・Lの最初の結婚、それだけで薄く血が繋がっている異母兄姉に関して言えば、正直幼かったプリンスが愛着を持てた関係ではなかったでしょうしね。今、彼らが権利関係で揉めているのが悲しいです。

―― 音楽の価値や作品の意味もわかっていたシーラ・E.に全部残しておけばよかったと。

西寺 プリンスとシーラ・E.は恋人同士の時期もあったようですし、音楽家の気持ちは、同じ境遇でなければ分かち合えないことは多々ありますから。シーラが本当に素晴らしい女性なんで、これは勝手な僕の想いなんですけどね。。

―― プリンスってお子さんいなかったんでしたっけ?

西寺 いました……「ザ・モスト・ビューティフル・ガール・イン・ザ・ワールド」って曲を覚えていますか?

―― もちろんです。’94年4月に全米3位、全英では1位を記録した90年代プリンス最大のヒット曲のひとつ。「Most Beautiful Girl In The World」なんて歌えるのは、プリンスかマイケルぐらいしかいないよなぁって思ってました(笑)。

西寺 僕も心から愛してる楽曲なんですけど、「世界中でいちばん美しい女の子」と歌った相手は、’92年以来、バックバンド「ニュー・パワー・ジェネレーション」に参加し、バックコーラスとダンサーを務めていた当時の恋人マイテ・ガルシアですね。プエルトリコ系の、エスニックでキュートな彼女は、僕と同じ1973年生まれで当時20代前半、のちにプリンスの奥さんになりました。‘96年のヴァレンタイン・デーに22歳となっていたマイテと結婚し、新婚旅行はハワイを訪れていますね。その2か月後には妊娠が発表されました。

―― あ、プリンス・ジュニアが誕生していたんですね。

西寺 だけど、その年の10月に生まれた長男グレゴリー君、ちなみマイテは「アミール」君、アラビア語で「プリンス」の意味と名付けたとのちに話していますが、ふたりの愛息子は生まれつきの重い病気を抱えていたんです。先天的な頭蓋骨と脳の障害で生後6日後に亡くなってしまうんですね。この哀しい悲劇を境に夫婦関係も急速に悪化したようで、’99年に離婚宣言、翌2000年に正式離婚しています。

第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

プリンス
『カオス・アンド・ディスオーダー』
(1996年)
sonymusic


―― その頃のプリンスの音楽活動は?

西寺 決別したワーナーでの最後のアルバム『カオス・アンド・ディスオーダー』(’96年)の発表からわずか3か月半後に「このアルバムを作るために僕は生まれてきた」とまで語った渾身の三枚組『イマンシペイション』(’96年)を発表し東京でワールド・プレミアも行っています。プリンスが原宿のクエストホールで行われた先行試聴会を開くために来日したのは’96年11月ですから、長男グレゴリー君との死別直後だったと、のちにわかるんです。その時は、息子の誕生を祝福するようなアルバムの内容も相まって、公にしていなかったんですね。取材の合間に何度も妻マイテに国際電話をかけていたという証言を聞くと、彼の心中は察するに余りあります。『イマンシペイション』は、それまで育った境遇もあり家庭的な感情と距離を置いていた彼が、妻マイテと交わした愛の誓いと、息子の誕生の喜びを世界に宣言する内容だったんですから。

第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

プリンス
『イマンシペイション』
(1996年)
sonymusic


―― たしか3枚組でしたよね。

西寺 特にアルバムの2枚目はプライベートを強調した結婚ドキュメンタリー的要素が強いものだっただけに、プリンスもすぐにその悲しみを表明できなかったんだと思います。だけど、アルバムは完成しリリースする、ワーナーも離れ、自分自身が珍しくプロモーションを引き受けていた。行く先々でお子さんの誕生、おめでとうございますと……。

―― 親としてはこんなに辛いことはありませんね。

西寺 でも、このエピソードだけとってもプリンスの「誠実」さ、根っこの優しさがわかるというか。長きに渡ってキャンペーンやインタビューを制限してきた“殿下”が『イマンシペイション』に関しては、再出発の象徴だし、自分が新レーベル代表だから宣伝も力を入れるつもりだった。ただ、ふたりの幸せの絶頂を記録した『イマンシペイション』を今聴くと胸が痛くなります。で、時系列で言えば、その次に発表した変則的アルバムが『クリスタル・ボール』ということになります。

第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

プリンス
『クリスタル・ボール』
(1998年)
2018年8月17日から配信済
sonymusic


―― 表題曲「クリスタル・ボール」が本題ですね。

西寺 3枚組アルバム『イマンシペイション』のあとに、すでに当時ブートであらゆる種類が出回っていた『クリスタル・ボール』に90年代の未発表曲を加えて発表することに当時の僕は違和感を抱いていました。表題曲は、’98年の時点で10年以上前に作った楽曲でしたからね。で、それも一部編集されてるんですね。でもあらためて5枚組パッケージ化された『クリスタル・ボール』の表題曲「クリスタル・ボール」を聞いてゾクッとしました。この連載では歌詞全文を載せられないかもしれないけれどこの曲の2番の歌詞に注目して欲しいですね。I can't remember my baby's voice because she ain't talking no more/Only the sound of love and prayer echo from the yellow floorとあります。

―― あ……Baby’s Voice。

西寺 そう。Babyはかわいい子、女の子の可能性もあるんだけど、”もう何もしゃべらない”。それはもう会話がなくなったマイテのことかもしれないし、文字通り「Baby」のことかも、と。歌詞ってある種時代を越えた予言のような気になることもあって。

―― 新曲として哀しい悲劇を歌えないけれど、過去の自分が書いた曲ならば歌うことが出来ると。

西寺 新しい家族を失い、どん底に落とされ、公私共に再出発をはかる時、やはり彼を救うものは音楽だったのかな、と。ワーナー期にリリースしたくても溜まっていた膨大な楽曲をリリースすることで新たなスタートに備えるといいますか。特に「クリスタル・ボール」に関しては、僕もプリンスのキャリアのなかで最も凄みのある傑作だと信じて疑わない1曲です。時を経ても正式にリリースするタイミングを彼自身も狙っていたんじゃないかなぁ、と。

―― 曲の知名度に関してはワーナー時代のヒット曲にはかないませんね。

西寺 今回、’95年を境に、デビュー以来の前半17年がワーナー、そこから2010年ですか、の後半15年がソニーと必然的に分かれたわけですが。その後はまたワーナーに一瞬戻ったりと色々あるようですし、この後また変わるようですが。僕は「クリスタル・ボール」がソニー・サイドに入ってよかったと思っています。メーカー的なプレイリスト優先順位でみればどうしてもワーナー時代は、ヒットチャートを賑わせたレヴォリューション時代の楽曲が目立つ位置で幅をきかせて、「クリスタル・ボール」のような画期的なナンバーが目立たない位置に置かれてしまうでしょう。でも「ソニー期」プリンスにおいて「クリスタル・ボール」はアルバム『クリスタル・ボール』とともに重要な位置を占めて若い世代にもリーチできるんじゃないかな、と。

―― ‘98年当時はCD5枚組、いまは配信全30曲。かなり聴きやすいですね。

西寺 表題曲「クリスタル・ボール」は、それこそSuchmosなど若い日本のソウル、ジャズ的な要素を持つバンドを好きな人たちに聴いてほしいですね、特にミュージシャン。ストリングスとコーラス以外、プリンスがひとりで全楽器演奏しているわけですから。続く2曲目の「ドリーム・ファクトリー」、マーヴィン・ゲイの娘ノーナ・ゲイと一緒に歌った「ラヴ・サイン」、2枚目の冒頭を飾る「インタラクティヴ」、ファンキーな「カルホーン・スクエア」。演奏したことある人なら楽しめるポップな楽曲がこのアルバムはめちゃくちゃ含まれてるんですよね。サブスクリプション時代のプレイリストみたいなんですよ。80年代後半から90年代のプリンスの入門アルバムって言ってもいいんじゃないですかね。




Prince 「Interactive」from 『Crystal Ball』(1996年)




Prince 「Love Sign」from 『Crystal Ball』(1996年)

―― ソニー時代の最高傑作をひとつあげるとすると。

西寺 急に「ソニー時代」と言われても困惑するんですけど(笑)、ちゃんとまとまって正規に手に入ること、愛あるフィジカルでリリースされることは本当に嬉しいですね。ひとつは無理ですけど、ファンクラブ用に作られていた『ザ・スローターハウス』は大好きですね。ボブ・ディランと一緒でオリジナル・アルバムよりも、ちゃんとリリースされてない作品の方が良い、なんでやねんという(笑)。でも僕のいちばん近くにいるNONA REEVESのメンバー、奥田や小松だったり、僕と同世代のミュージシャンは『ミュージコロジー』(’04年)でようやくプリンスの凄味がわかった! って奴らが多かったですね。1973年生まれの僕や、向井秀徳君、小宮山雄飛君は、兄貴やそういう年上の存在に小学生でプリンスを教え込まれたタイプで。

―― 早いですね。『パープル・レイン』が大流行した時は?

西寺 まだ10歳とか、ですから。同じか、それ以下の世代だと、ソウルやファンクにハマるとプリンスをすっとばして直接カーティス・メイフィールドやスライ&ザ・ファミリー・ストーン、パーラメント、ファンカデリック、ジェームス・ブラウンに行っちゃうんですよね。で、プリンス特有のリズムマシン感覚やシンセ使いがもうひとつ理解できない。

―― わかる気がします。名前も変わって90年代は、なかなかCDも普通には手に入りにくい状況でもありましたし。

西寺 そうなんですよ。でも、それこそ生演奏ばりばりの『ミュージコロジー』をきっかにプリンスを聴くようになった仲間も多かったです。まさにさっき言ったジェームス・ブラウン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、アース・ウインド&ファイアーら、歌詞にも登場しますけどファンク・ミュージックへのリスペクト・サウンド。そのオーガニックで新鮮な質感が昔からのファンのみならず新しい世代にも届いたんだと思います。全12曲48分というLP時代を彷彿とさせるパッケージもよかったですね。


第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

プリンス
『ミュージコロジー』
(2004年)
(PURPLE VINYL/完全生産限定アナログ盤)
sonymusic


第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

プリンス
『レイヴ完全盤(ULTIMATE RAVE)【2CD+LIVE DVD】』
sonymusic



―― 先日、『ミュージコロジー』(‘04年)、『3121』(’06年)、『プラネット・アース~地球の神秘』(’07年)が特殊パープルアナログ盤で生産限定発売されました。4月26日には『レイヴ』シリーズからアナログ盤が2種、2CD+LIVE DVD『レイヴ完全盤(ULTIMATE RAVE)』も同時発売されます。

西寺 『イマシペイション』(’96年)、『クリスタル・ボール』(’98年)、で、今度僕も宇野維正さんとの対談でライナー参加させてもらった『レイヴ完全盤』(’99-’01年)も含めて、今ソニーが持っているプリンス・アーカイブっていうのは、彼の「真髄期」だと思っています。円熟期というより、ウェンディやリサやシーラも登場しない、プリンスそのもの、自身が誰よりも音楽を愛し、何度も音楽に救われ、そして生み出した音楽で多くのファンを孤独や苦悩から救った「THE プリンス」って感じがするんですよね。まだまだ、僕も知らないことばかり。彼は亡くなりましたが、特にこの「ソニー期」に関してはこれから気づかされることも多いと思ってます。天才の所業をすぐに理解出来るわけなんてありませんから。

―― プリンスがUSA for Africaに参加しなかった真実も聞きたかった。

西寺 だ・か・ら(笑)、せっかく「クリスタル・ボール」の話をまとめたと思ったのに「ウィ・アー・ザ・ワールド」の話をするとまたここから2時間はかかりますよ(笑)。また、安川さん、ブルース・スプリングスティーンにちょっとでも近づけようとして(笑)。おうち遠いんですから。終電に間に合わなくなるでしょう![終わり]

聞き手/安川達也(otonano編集部)
第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

「Crystal Ball」PRINCE(1986)

Recorded:1986
Release:January 29, 1998.
Songwriter:Prince
Produce:Prince
Label:NPG


 '86年から'96年の約10年間の未発表曲を中心に構成され、'98年に発表した4枚組アルバム『クリスタル・ボール』のタイトル曲。'98年発表当時は5枚組という歴史的作品でもあった。商業的なレコード業界では遅めのテンポでしか作品を発表できないことを長年嘆いていた彼にとって、遂に好きなだけ音楽をファンとシェア、かつ彼の望むスピーディーなテンポで発表できた作品といえる。彼はネットを通じて全世界のファンがどれがけ興味を示しているか正確に把握、その結果『クリスタル・ボール』という3枚組のほか、アコースティック作品集の『ザ・トゥルース』、さらにインストゥルメンタル盤『カーマストラ』も付いてくるという前代未聞の特別仕様だった(この計5枚組の仕様は事前に電話予約した場合のみ手に入れられたもので、一般流通の際は4枚組に縮小されていた)。オープニングを飾る10分を超えるタイトル曲「クリスタル・ボール」は’86年に制作されている。




第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

プリンス 配信&フィジカル otonanoスペシャルサイト






第19回 
プリンス「クリスタル・ボール」
(1986年)【後編】

ライヴ・フィルム『レイヴ・アン2・ザ・イヤー2000』一夜限りのライヴ絶響上映


プロフィール

西寺郷太
西寺郷太 (公式サイト http://www.nonareeves.com/Prof/GOTA.html)
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成しバンド、NONA REEVESのシンガーとして、’97年デビュー。音楽プロデユーサー、作詞・作曲家として少年隊、SMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉、The Gospellersなど多くの作品に携わる。ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆と のユニット「Smalll Boys」としての活動の他、マイケル・ジャクソンを始めとする80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々はべストセラーに。代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(’14年/扶桑社)、『プリンス論』(’16年/新潮新書)など。

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