西寺郷太 It's a Pops

NONA REEVES西寺郷太が洋楽ヒット曲の仕組みや背景を徹底分析する好評連載

第15回 マイケル・ジャクソン「ロック・ウィズ・ユー」 (1979年)【後編】

第15回
マイケル・ジャクソン「ロック・ウィズ・ユー」
(1979年)【後編】


―― (【前編】からの続き)先ほど、OSSHYさんが『スリラー』に比べて『オフ・ザ・ウォール』の方がまろやかな感じがあるとおっしゃっていました。ちなみに、弊社ソニー・ミュージックダイレクトにはGREAT TRACKSというアナログ専門レーベルがあるのですが。レーベル主幹の滝瀬茂が目指しているアナログの音こそ『オフ・ザ・ウォール』の輸入盤。『オフ・ザ・ウォール』のLPに針を落としたときに耳に飛び込んできた「今夜はドント・ストップ」のベースとパーカッション音、あの感動を今でも探し求めて名匠バーニー・グランドマン氏にたどり着いたと言っていました。






Michael Jackson 「Don’t Stop 'Til You Get Enough」(1979年)

西寺郷太 確かに『オフ・ザ・ウォール』を語るうえでのポイントとしては、メッチャ音がいい!っていうのは大事だと思うんですよ。それにはいろんな理由があって。クインシー・ジョーンズのプロデュースもよかったし、ブルース・スウェディンのエンジニアリングもよかったし、EPICがお金をかけて作ったていうのもあっただろうし。『オフ・ザ・ウォール』以前以降のサウンド、つまりあの時期’78~’79年のひとつの変化として、レコーディングの過程でそれまで当たり前のように拾い集めていた「無駄」な残響音をできるだけ減らそうって動きは大きかったと思いますね。

DJ OSSHY ドラムですか?

西寺郷太 はい。『オフ・ザ・ウォール』でクインシーに選ばれたドラマーが、当時チャカ・カーンを擁したルーファスの名ドラマー、ジョン・ロビンソンです。彼が証言するには、「今夜はドント・ストップ」を心地よくプレイするたびにフィル(リズムパターンの変化)の「手数」が多いとダメ出しされた、と。で、テイクを重ねるたびに通常のドラム「セット」に含まれるタム類をちょっとずつブースの外に持って行かれ、結局は全部取り外されたって言うんです。なぜかというといくら手数を減らしたとしても、スネア(小太鼓)やキック(バスドラ)から放たれる音たちを、鳴らしていないヘッド(タムに張られた膜)が拾っちゃうっていう理由なんですよね。それまでの時代はドラムって全体が鳴っているのが当たり前だったわけですし、もちろんそれが悪いってことじゃないんだけど。最初は一本のマイクでドラム全体を録っていたのが、だんだんテープのトラック数が増えて、スネアにはスネアのマイク、キックにはキックのマイクって、ひとつずつをバラバラに録音してバランスをとる時代になっていた。で、このタイミングで小さい音ではあるけど、耳をすませばどうしても拾っちゃうそれらタムの残響を嫌ったクインシーに外されたっていうことなんですね。ドラムを録る時、スネア、キック、ハット(シンバル)の基本3点セットだけで最低限のことだけやりなさい、と。そうすると余計なノイズが減りゴージャスなストリングは鳴り響くけれど、リズムはクリアで透明感があるという「新しい」サウンドが生まれたわけです。

DJ OSSHY なるほど。『スリラー』の時はそのゴージャスの音はアナログじゃなくなっているわけですね。

西寺郷太 3年後の『スリラー』はデジタルとアナログの共存という感じですね。この時代になるとシンセサイザーやリズムマシンがどんどん進化して。それが昔ながらの生演奏、生楽器の耳ざわりに愛着があるリスナーにとってはちょっと聴き苦しかったりしたところもあったと思うんですね。楽器メーカーが、お金をかけて試作したり、完成した自慢のシンセや機材を作ったときに、まずお金と影響力のあるクインシー・ジョーンズに持っていく。「2億円なんですけど」「ああいいよ」みたいになことになるから(笑)。クインシー・ジョーンズ・チームは結果的に他のアーティストよりも1年か2年先の音を行く。もちろん、世界一演奏力も技術力もあるミュージシャンやスタッフを抱えられますし。そういう意味でも『スリラー』期もクインシー・チームはやっぱり音はいいんですよ(笑)。


第15回
マイケル・ジャクソン「ロック・ウィズ・ユー」
(1979年)【後編】

マイケル・ジャクソン『オフ・ザ・ウォール』
(1979年)





第15回
マイケル・ジャクソン「ロック・ウィズ・ユー」
(1979年)【後編】

マイケル・ジャクソン『スリラー』
(1982年)




DJ OSSHY やっぱり郷太さんのような人はこうやってミュージシャン目線で音を考えられるじゃないですか。僕らDJは出来あがった楽曲をさらに調理してお客さまに提供してその場で反応を見る仕事。だから素材選びの段階のこういう話を聞くのはおもしろいですよね。そういう意味では、世界でいちばん有名なマイケル・ジャクソン素材のひとつともいえる「スリラー」ですが、ディスコの現場ではウケなかったんですよね。特に六本木ではまったくといっていいほど。渋谷、新宿ではそれなりに「スリラー」かかっていたけれど、それほど盛り上がらなかった。あんなにラジオリスナーやレコードユーザーに愛された曲なのに、ディスコとの相性は悪かった。

西寺郷太 それはやっぱり……きっと……基本的には変な歌だからですかね(笑)。

DJ OSSHY (笑)





Michael Jackson 「Thriller」(1983年)

―― 主題の「ロック・ウィズ・ユー」も同じロッド・テンパートン作品ですが、「スリラー」に比べてフリーダンスで踊れる要素があったということですか。

DJ OSSHY 「ロック・ウィズ・ユー」は楽曲として僕は百点満点。個人的にはアルバム表題曲「オフ・ザ・ウォール」と並ぶ僕のなかの2大ロッド・テンパートンのマイケル曲。ディスコDJとして見た場合には、「ロック・ウィズ・ユー」のフロアでの破壊力とディスコ名曲度は僕の中では少し低いかな。例えば「君の瞳に恋してる」(ボーイズ・タウン・ギャング)とか「セプテンバー」(アース・ウインド&ファイアー)とかディスコのフィナーレを飾るベスト3のなかには「ロック・ウィズ・ユー」は入らない。中盤とか、温めとか、間を繋ぐに最適。贅沢な使い方。もっと高貴な特別な存在かもしれません。


第15回
マイケル・ジャクソン「ロック・ウィズ・ユー」
(1979年)【後編】

マイケル・ジャクソン「ロック・ウィズ・ユー」
(06・5P-84/アナログEP廃盤)



西寺郷太 僕が「ロック・ウィズ・ユー」を人生で一番繰り返し聴き続けてきた理由。それは、この曲がそれまでのジャズ、ポップ、ソウル、アメリカと英国のポップ・ミュージックの伝統を踏まえた結晶って気がするんですね。ロッドはソウル音楽に憧れた英国白人で、それをアメリカ音楽の歴史を生き抜いたクインシーが統轄することにより永遠に濃密な果汁がこぼれだすというか。作詞家・作曲家、アレンジメント、ストリングス、ホーンも含め、ベース、ドラム、ギター、コーラス、そしてもちろんマイケルのリード・ヴォーカル、毎回フォーカスの場所を変えて聴いていたら飽きずに35年以上経ってしまいました(笑)。さっきOSSHYさんがディスコでウケが悪かったとおっしゃっていた同じくロッドのペンによる「スリラー」もホラー仕立てのかなり実験的な作品ですが、あまりにも大衆的になりすぎて「人畜無害なヒットソング」と捉えられ、「個」が感情移入して踊れる要素が排除されたように思うんですよね。





Michael Jackson「Rock With You」(1979年)

DJ OSSHY うんうん。僕がマイケルの『オフ・ザ・ウォール』に魅せられたのは「品格」だった。僕は音楽を選ぶポイントは、すべてのジャンルにおいて品格なんです。それは必ずしも穏やかな曲だけじゃなく、激しいハードロックでもメタリックなものとか、テクノであっても、どんなジャンルでもいいんだけど。基本的に全部好きだから。いろんな楽曲を選ぶ基準が品格なんです。そういう解釈なんです。全部品性というフィルターを通していくなかで『オフ・ザ・ウォール』に出逢った時のことは忘れられません。今までイメージする黒人のいかついアフロヘアとはまったく真逆で、ナイーブで繊細で都会的な歌声でした。品のいい黒人が歌っているんだな、品のいいミュージシャンなんだなとイメージした先にいたのが若きマイケル・ジャクソンでした。『オフ・ザ・ウォール』だったんですね。そこからなんです、ブラコンをAORとして意識するようになったのは。軟弱だって言われるとそれまでだけど、丘サーファーですよ、まさに。軟弱な丘サーファーが支えたんだから。その出会いには感謝しています。

第15回
マイケル・ジャクソン「ロック・ウィズ・ユー」
(1979年)【後編】

―― そのなかでのクインシー・ジョーンズとロッド・テンパートン。

DJ OSSHY それが大好きなマイケル・ジャクソンの品格を見い出したコンビなんじゃないかって僕は思う。彼らのコンビネーションの楽曲を全部辿って、全部チェックして買ってみたら、全部その品の良さを感じた。全てに。ジョージ・ベンソンの「ギヴ・ミー・ザ・ナイト」(’80年)とかは別格かな。

西寺郷太 作家ロッドは編集者クインシーと組んだときがいちばん輝いた気がするんです。ロッドは作曲家として褒められるんだけど、クインシーはロッドの作詞を高く評価していて。「ロッドはメロディを抱きしめるような歌詞を書く」って。この言葉は僕の格言のひとつでもあるんです。そんなこともあって、30代半ばまでは、1日3回は必ず「ロック・ウィズ・ユー」聴いてましたね(笑)。雨の日も風の日も鉄人衣笠レベルの連続記録ですよ。学生時代泊まりに来たノーナの小松とか笑ってましたしね。「ロック・ウィズ・ユー」聴くことによって自分の体調もわかるようになるんですよ(笑)。海外行くと「ロック・ウィズ・ユー」、引っ越した先でも必ず「ロック・ウィズ・ユー」を鳴らしてから入る(笑)、変な宗教ですよ(笑)。

DJ OSSHY 本当ですか~!(笑)。

西寺郷太 いやいや、ホントにホントに(笑)。学生の時に免許を取って、プロになって車を買いに行くときも持っていったのは『オフ・ザ・ウォール』のカセットテープとCD盤。結局、赤いGOLFのなかで「ロック・ウィズ・ユー」を聴いて、ああGOLFに♪Rock with You~ 似合うなあ、ペーパードライバーだから運転しないでこれ下さいって(笑)。店の人、え?って笑ってましたもん。

DJ OSSHY (爆笑)郷太さん……思っていた以上に、すごい。もう身体の一部なんですね、「ロック・ウィズ・ユー」は(笑)。

西寺郷太 そのおかげでクラブ行っても、スタジオ行っても、コンサート会場行っても「ロック・ウィズ・ユー」聴くと、そこの音の感覚がわかるんですね。ここは低音が溜まってる場所だなぁ~とか。何年か前にイチローさんがシーズン中は毎日昼は同じカレーばっかり食べているって有名なエピソードがあったじゃないですか。僕はあれを聞いたときのイチローさんのカレーは僕の「ロック・ウィズ・ユー」だと(笑)。

―― そこまで惹き込まれる理由って考えたことありますか?

西寺郷太 この「ロック・ウィズ・ユー」だけ、ベースがルーファスのボビー・ワトソンで、あとの曲はルイス・ジョンソンが弾いているんですけど、なぜ「ロック・ウィズ・ユー」だけ違うんだろう?とか考えるのも好きでね。マイケルが語っていたのは、初めてロッドのデモで聴いたときはもっとバキッとしたシンセ・サウンドだったっていうんですよ。それがクインシー・ジョーンズとジェリー・ヘイによるホーンとストリングスの構築によって、よりタイムレスでやわらかい感触のフォルムに変わった、と。






Michael Jackson「Rock With You」(1979年)

 マイケルのヴォーカルも、改めてヤバいです。♪Girl, Close your eyes Let that rhythm get into you~(目を閉じて、リズムを体で感じてごらん)と吐息のように始まって、♪Don’t try to fight it There ain’t nothin’ that you can do Relax your mind(抵抗しなくていいよリラックスしていてよ)~まさにメロディを抱きしめる歌詞で物語を繋ぎ、コードが展開し、グルーヴに乗って物語がスパークする瞬間、♪Rock With You~でマイケルが初めてガナる!その流れ。

DJ OSSHY なんだか嬉しくなってきましたね。こんなにも「ロック・ウィズ・ユー」を愛しているリスナーがいて、実際に目の前にいるのが。僕の長いDJのキャリアのなかで、誰かに聞かれてディスコ名曲っていえる曲こそが「ロック・ウィズ・ユー」。ディスコミュージックって大体満面の笑顔になるのが多いんですよ。ダンスフロアでみんな笑顔になるだけど、笑顔になりつつ、なんだか涙が浮かんでくる、感動のあまり涙が浮かぶ。そういう曲はあまりないんですよ。でも「ロック・ウィズ・ユー」はそういう曲なんです。

―― OSSHYさんは、マイケル・フォーチュナティ対談のときに「ギブ・ミー・アップ」からバナナラマ「アイ・ハード・ア・ルーモア」につなげられた時はDJとしてのいちばん気持ちいい仕事のひとつだったとおっしゃっていました。アルバム『オフ・ザ・ウォール』収録曲でもその瞬間はあるのですか?

DJ OSSHY なかなかいい質問をありがとうございます~(笑)。マイケル・ジャクソンの楽曲はじつはDJ泣かせの曲が多いんです。というのは、いわゆる他の曲との繋ぎ方が非常に難しい。1曲1曲にスキがなく完璧。起承転結が完全に出来上がっちゃってて、ブレイク・ポイントが見つからないんですよ。「ロック・ウィズ・ユー」もそうだし「オフ・ザ・ウォール」もスゴく難しい。「アイ・キャント・ヘルプ・イット」は曲の構成が本当にDJ泣かせ。ミキシングするポイントがない。『スリラー』時代でも同じだったかな。





Michael Jackson「Billie Jean」(1983年)

西寺郷太 「ビリー・ジーン」はつなげやすくないですか。

DJ OSSHY 「ビリー・ジーン」は、イントロのところは入れられても次にかける曲が難しいんです。どこからつなげればいいんだ……と、結局最後まで行くしかないんです。最後の方に行っても4小節か8小節つないで次に行く。大体ディスコの場合は、途中の2コーラスくらい進んで、ブレイク・ポイントのところで8小節あわせたりするんだけど、マイケルの代表曲はそういうところがないんです。だからすげえー難しい(笑)。クインシーとマイケルがディスコDJに余計なことをさせずにフルでかけさせるように作ったんじゃねーかって、感じてしまうほど。結局、フル尺じゃないとかっこ悪くなっちゃうから。

西寺郷太 僕は理屈では理解しているつもりだけど、やっぱり70年代後半からのディスコブームみたいなものは原体験としてはないので、こういうお話も現場にいたOSSHYさんだからこその説得力ですよね。OSSHYさんには、せっかくなのでいまこの瞬間のサーファーディスコ、ベスト5みたいなの教えて欲しいですね。

DJ OSSHY ベスト5曲を選ぶというのは至難の業だけど(しばらく考え込む)……でもね、やっぱりね『オフ・ザ・ウォール』の曲はほとんど入ってくる。例えば「ゲット・オン・ザ・フロア」。大好きなんです。ベースを弾いているルイス・ジョンソンとマイケルの共作ですね。国内のディスコDJの中で、この曲をいちばんかけてきたのは間違いなくDJ OSSHYだと思います。この曲が持っているダイナミックな展開が良いですね。チョッパー・ベースも最高。そういった意味では彼の本籍ブラザーズ・ジョンソン「ストンプ」も外せないですよ。


第15回
マイケル・ジャクソン「ロック・ウィズ・ユー」
(1979年)【後編】

ブラザーズ・ジョンソン
「ストンプ~ベスト・オブ・ブラザーズ・ジョンソン」




 あとサーファーディスコ時代の象徴で、新宿中心だとクインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」も流行っていたので時代を語るうえでは必須。同じアルバム『THE DUDE』からだとロッド・テンパートンが書いた曲をパティ・オースティンが歌う「ラザマタズ」のほうがサーファーディスコ向きだったかもしれない。あとルーサー・ヴァンドロスの「シーズ・ア・スーパー・レディ」、あとジョージ・デュークの「シャイン・オン」、イタリアのジャック・ペトラスのB.B.&Q.バンドの「オン・ザ・ビート」とかもサーファーディスコの象徴の曲。「You're The One For Me」はD-Trainか……

―― あれ、サラっと5曲以上、出ましたね。さすがです(笑)。ちなみにディスコDJってよく使うアルバムのアナログ盤は何枚くらい持っているものなのですか? 何枚目ですかと聞いたほうがいいですかね……愚問?

DJ OSSHY 愚問じゃないと思いますが、それ、知りたいですか(笑)? 確かに針が直接溝をこする構造上同じアルバム何枚も買っていますね。『オフ・ザ・ウォール』に関していえばアナログは4~5枚は消化しちゃいましたね。途中からCD時代が入ってきますが必ずアナログは置いてありましたね。全部で3万枚ぐらいは常に保管していますから探し出すのも大変ですけどね。よくレコードが擦り切れるという表現がありますが丁寧に扱えば長持ちするんですけどね。バリバリってうノイズが入ってくると、そろそろお別れかな、みたいな。

西寺郷太 大学生の頃、’92年から’95年くらいなんですが。高円寺とか沿線の中古屋アナログ屋で『オフ・ザ・ウォール』が10円とか、50円とか、100円とかでいちばん前に面だしして置いてるんですよ。売れたからでしょうね。「10円!」とかシール貼られていちばん前ですよ。僕はそれを見つけるたびに「そんな値段で売られるアルバムちゃうで!」って、1日1枚買ってました(笑)。

DJ OSSHY 出た! 郷太さんの一日一善ならぬ一日一マイケル(笑)。

西寺郷太 猫好きで、捨て猫を家に連れて帰っちゃう人いるじゃないですか。気が付いたら狭い家で100匹くらい猫を飼ってて猫の中で寝てるみたいな感じ(笑)。『オフ・ザ・ウォール』何枚ゲットしたか(笑)。店先で雨に濡れたりしてると、もうかわいそうで(笑)。なんでこんなかわいいアルバムが吹きっさらしに?って。それで誰かにあげたりとか、新しいバンド組むときに挨拶代わりに、これ聴いてくれって渡したりとか。だから手元には残ってないんですけど(笑)。

DJ OSSHY すごい! 中古『オフ・ザ・ウォール』の里親まで斡旋している(笑)。サイコー! 郷太さんは『オフ・ザ・ウォール』がかわいくてかわいくて仕方がなかったんですね。

西寺郷太 まさに『オフ・ザ・ウォール』愛が、”ドント・ストップ”ですね(笑)。

一同 (笑)  [終わり]

写真/上飯坂一 聞き手/安川達也(otonano編集部)
撮影協力/ディスコティックバー「ロジャー」(東京都目黒区鷹番2丁目20-1)



第15回
マイケル・ジャクソン「ロック・ウィズ・ユー」
(1979年)【後編】

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第15回
マイケル・ジャクソン「ロック・ウィズ・ユー」
(1979年)【後編】


第15回
マイケル・ジャクソン「ロック・ウィズ・ユー」
(1979年)【後編】

MICHAEL JACKSON「Rock With You」(1979)

Release:November 3, 1979
Songwriter:Rod Temperton
Produce:Quincy Jones
Label:Epic

Michael Jackson:Lead and Background Vocals
Bobby Watson:Bass
John Robinson:Drums
David Williams:Guitar
Marlo Henderson:Guitar
Greg Phillinganes:Synthesizer
Michael Boddicker:Synthesizer
David“Hawk”Wolinski:Electric Piano
Horns arranged by Jerry Hey and performed by THE SEAWIND HORNS:
Jerry Hey:Trumpet & Flugelhorn
Larry Williams:Tenor,Alto Sax & Flute
Kim Hutchcroft:Baritone,Tenor Sax & Flute
and
Williams Reichenback:Trombone
Gary Grant:Trumpet
Rhythm and vocal arrangement by Rod Temperton
String arrangement by Ben Wright
Concert Master:Gerrald Vinci


ソロ通算5枚目、EPICレコード初のアルバム『オフ・ザ・ウォール』から「今夜はドント・ストップ」(’79年10月13日ビルボードHOT100で1位)に次ぐ2ndシングル。作詞、作曲はロッド・テンパートン。’80年1月5日付ビルボードR&Bチャートで1位、同1月19日~2月9日付 HOT100で4週連続1位、同年間チャートで4位を記録したミリオンセラー。写真は日本国内盤「ロック・ウィズ・ユー」(06・5P-84/アナログ廃盤)。




DJ OSSHY
DJ OSSHY (公式サイト http://www.osshy.com/)

80′s ディスコ伝道師。 MCとミキシングを両方こなす、DISCO DJのスペシャリスト。
安心・安全・健康的でクリーンなディスコの魅力を全国に伝えている。
テレビ司会者の第一人者「押阪忍」の長男。2016年、17年、18年 内閣主催「観桜会」招待DJ。
2018年6月4日、テレビ朝日「徹子の部屋」出演。
民放テレビ初のディスコTV番組「DISCO TRAIN/TOKYO-MX」、業界初 お昼のディスコラジオ番組「RADIO DISCO/InterFM897」、「Family Disco/JFN全国放送」等、ディスコ放送番組DJのパイオニアでもある。
今春よりNHKラジオ第一「ごごラジ!」にて「DJ OSSHYのプレミアム・ディスコタイム」がスタート。
「ファミリーディスコ」、「高齢者ディスコ」など、三世代で楽しめるイベントや、東京スカイツリー、東京タワー、羽田空港、大型客船シンフォニー、小金井ゴルフ倶楽部などでのディスコイベントのメインDJを務め、郷ひろみ、角松敏生、鈴木雅之との共演イベントも大きな話題を呼んだ。
2018年6月20日、通算33枚目となる最新mix CD『 Let’s Disco ~Non Stop Mix~ Mixed by DJ OSSHY 』をリリース、オリコンランキングDANCE&SOUL部門初登場14位(2018年6月27日付)。
著書『ディスコの力』好評発売中。
今、日本で一番集客力のある、ディスコ世代に支持されているDJタレント。
・売野雅勇 作詞活動35周年記念コンサート 総合司会。
・7月22日「ディスコの日」制定者。

DJ OSSHYのインタビュー連載「DJ OSSHY TOKYOの未来に恋してる!」


プロフィール

西寺郷太
西寺郷太 (公式サイト http://www.nonareeves.com/Prof/GOTA.html)
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成しバンド、NONA REEVESのシンガーとして、’97年デビュー。音楽プロデユーサー、作詞・作曲家として少年隊、SMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉、The Gospellersなど多くの作品に携わる。ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆と のユニット「Smalll Boys」としての活動の他、マイケル・ジャクソンを始めとする80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々はべストセラーに。代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(’14年/扶桑社)、『プリンス論』(’16年/新潮新書)など。

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