落語 みちの駅

第九十回 「ウナテエと言ってもらいテエ」
 今年は土用の丑の日が二回ありました。七月二十日と八月一日。丑の日は12日に一度あるのですから、大暑と立秋の間の夏の土用の期間中に一回か二回あるわけです。

 二回の場合は一の丑、二の丑と呼ぶのだそうで、これは十一月の「酉の市」の一の酉、二の酉と同じことでしょう。

 江戸東京落語には「鰻の幇間(たいこ)」「素人鰻(鰻屋)」の鰻落語の二大名作があって、上方落語を圧倒しているように思います。それは江戸前の蒲焼の製法が一段とすぐれているからなのか、それとも黒門町の八代目桂文楽師匠がこの二演目に傑出した演出・口演を残したからなのでしょうか。

 文楽師匠に入れ上げた、と言えば語弊がありますが文楽さんに心酔しきっていたTBSの初代落語プロデューサー・出口一雄(でぐち・かずお)さんは私ども落語関係者には「ウナギのタイコ」などと四角張った言い方をさせませんでした。

「ウナテエと言ってもらいテエなあ」

 他の演者の場合は「ウナギのタイコ」でも構わないが、黒門町のトロッとまろやなか高座については「ウナテエ」となめらかに言ってくれ――。

 なるほど、昭和落語の逸品、黒門町のウナテエには「三年噛んだってトロッとしない」ひどいウナギが感じられない。それが唯一の欠点と言えば欠点でした。

 今は多くの演者が「鰻の幇間」をやりますが、黒門町の文楽さん存世の頃は他に誰もやる人はありませんでした。古今亭志ん朝さんの登場でようやく局面が変わったように思います。

 六代目三遊亭圓生師の「ウナテエ」は珍品です。文楽さんが亡くなって三年後の東横落語会で演じたのです。その直前、つまりその日の午後に圓生百席の録音でスタジオにやって来た圓生さん。今夜の「ウナテエ」について問うと、三十数年前、ということは昭和10年代なかばまでは「ウナテエ」をたまにやっていたのですが、とのこと。その後は文楽さんに遠慮しました、ということなのでしょう。

「本日は何を録音しましょう」

「そうですね、じゃひとつ、『鰻の幇間』でも…」

 圓生さんは崩した言い方を好まないので「ウナテエ」とは言いません。その圓生さんは野だいこの表現には少し不向きで、「ウナテエ」の虫干しはこの日昼夜の二高座で終わったようです。




「鰻の幇間」を聴き比べ

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柳亭市馬3 「朝日名人会」ライヴシリーズ82(MHCL-2162)

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毎日新聞落語会 桃月庵白酒(MHCL-2029)

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著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。