落語 みちの駅

第八十九回 第180回朝日名人会
 6月16日PM2:00から第180回朝日名人会(有楽町マリオン朝日ホール)が開催されました。二ツ目・古今亭志ん吉「紙入れ」、続いて柳家三之助「蜘蛛駕籠」、金原亭馬生「柳田角之進」。仲入り後に春風亭一之輔「百川」、桂文珍「猫の忠信」。

「紙入れ」は本来若手のやる噺ではない、と昔からよく言われます。間男の新吉が妙に生々しく感じられたり、旦那に貫禄が欠けていたりでは噺が空々しくなり、後味の悪さだけが浮き出るからでしょう。

 でも、たまには若手の「紙入れ」が成功する場合があります。志ん吉さんが「朝日いつかは名人会」でやった「紙入れ」がそうでした。そこでマリオンの「朝日名人会」でもやってみてはと勧めた次第です。演者の柄のよさが噺の色を中和したという他はありません。近頃はベテランでもいやらしい「紙入れ」をどこまでも演じ続けていて、あまり良い「紙入れ」がありません。よき若手のよき「紙入れ」で噺に新たな出発があってほしいものです。

 三之助さんの「蜘蛛駕籠」も完成度の高かった5代目柳家小さんのゆるぎない型にあえて逆らわず、しかし丁寧にまろやかに楽しませてくれました。案外小さな場面転換の処理がむずかしい噺。当世風のギャグを入れて遊ぶと危ないところがあります。こういう噺こそ演者が即製の人気者かやがて大成する人かを分けるのだと思います。

 馬生さんの「柳田角之進」は先代(10代目)にならって「格之進」ではない表記。近頃は何事もカクあらねばならぬと思いこむ人が多くて、落語のおおらかな来し方に理解がたりません。先代馬生の口癖「なんでもいいんだよ」が真理だとは言いませんが、噺の人物名や地名がまちまちなのはご承知の通りで、ただそれが題名にまで及ぶと少しウルサイことなってくる――。

 まあ、言わせておけば良いのです。馬生さんはゆったりしゃべる数少ない貴重な芸風の持ち主でして、近頃シリアスになりがちなこの噺を淡々と聴かせてくれました。これも個性的な行き方です。「昔噺(むかしばなし)柳田の堪忍袋」と題したいくらいでした。

 一之輔さんは三之助さんとは対象的な芸風であり、また「百川」でありました。本来「百川」は仲入り後の「くいつき」でやる噺ではないのです。トリか仲入り前がふさわしい大ネタ。あえて一之輔流をこの出番で発揮してもらった次第。今の一之輔パワーであるところまで在来の噺を壊してほしいと思ったのです。「百川」爆笑編とでも言いましょうか。そういう試みも大切だと思います。

 文珍さんは「猫の忠信」ですから、前高座が何であれどうであれ横綱相撲に徹するしかありません。大家の年齢になってますますゆったりとまた飄々と独自の笑いの世界に浸らせてくれました。

 たった一日の催しにも演者の来し方行く末が見えて興趣は尽きません。




第八十九回 第180回朝日名人会
古今亭志ん吉「紙入れ」


第八十九回 第180回朝日名人会
柳家三之助「蜘蛛駕籠」


第八十九回 第180回朝日名人会
金原亭馬生「柳田角之進」


第八十九回 第180回朝日名人会
春風亭一之輔「百川」

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。