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落語 みちの駅

第八十八回 5月の朝日名人会――。“常識”と大穴の境地
 5月19日(土)PM2:00から第179回朝日名人会。柳亭市弥「湯屋番」・古今亭志ん丸「王子の狐」・柳家三三「五貫裁き」・桃月庵白酒「お茶汲み」・柳家権太楼「笠碁」。

 市弥さんは前座だった市也時代に何席もこの会の開口一番をつとめましたが、昇進してからは初の出演で「湯屋番」は柳家三三さんに習ったそうです。まだ初々しさが残る高座です。今の時代、この噺はこんなふうにさらっと綺麗に世界を造ったほうが得策でしょう。

 志ん丸さんは朝日名人会発足時点の立前座・きょう助の頃からの出演歴。基本に忠実な楷書の力演型ですが不思議な愛嬌がある人。大器晩成型と判断しています。もう少し力が脱けてとぼけた味が加われば、と思います。

 三三さんの「五貫裁き」は細かいミスタッチがいくつかあって完璧には少し遠い「五貫裁き」でしたが、この噺のたたずまいはしっかり整っていて筋はこびの流れもすこぶる良好。耳に快い話芸空間が自然に生まれるのは三三という噺家の不思議な財産です。客席は大いに楽しんだ様子でした。

 白酒さんの「お茶汲み」はしっかり客席をつかまえていました。何か変なところのある噺と見られがちなネタですが、だからこそ演者がひねくれたアングルから取り組むと魅力が生まれないわけで、この日の「お茶汲み」は堂々の仕上がりでした。

 柳家権太楼「笠碁」はこの会での再演になります。04年の前回のとき、もっとよくなるはず、と思ったのでCD化は控えました。

 今回は別物のように円熟した「笠碁」になりました。余分な枝葉が払われて二人の主人公が簡素に、しかし人間味たっぷりにふくらんだのです。五代目小さん以来の、高座に“根が生えた”「笠碁」になっていたと思います。

 権太楼さんはマクラで将棋の天才児・藤井クンに触れました。国民栄誉賞を受けた直後の羽生さんに勝つってのは――? 誰か忠告してやらなかったんでしょうかね――。

 この発言、原理主義的に受け止めれば、アン・フェアのススメであってケシカランという話になりかねません。そう思ったお客さんもいただろうと思います。

 しかし私は、わかり切った常識にあえて異のアングルを持ち込んだ権太楼さんの“人間”に渋く喝采をおくります。

 噺家だからこそ、あえて、こういう考え方もあるよ、と提言をしたのだと思います。絶対的ともいえる師弟関係の下に長年修業をし、ときに手控えたり、涙したりしながらしかしいつか先輩を、師匠さえも追い越していく。そうした芸人人生からにじみ出た、あえて口にするアンチ常識ではなかったか。

 その証拠に権太楼さんは(自分の前に出演した)白酒さん、三三さんが伸びてきたことを口火にしてこの話をしたのです。しかも「笠碁」のテーマは“忖度”にあるのですから。

 権太楼さんも以前やっていた「佐野山」のように大関谷風が弱い佐野山に勝ちをゆずる噺もある。そんなことは百も承知のお客様だから申し上げますけど――、が権太楼さんの思いだったのでしょう。

 この日、権太楼さんはとても静かに、呟き調子でこれを言いました。十年前の権太楼さんだったら力説したことでしょう。そんなところにも最近の権太楼さんの大家ぶりが見えると私は思います。




第八十八回 5月の朝日名人会――。“常識”と大穴の境地
古今亭志ん丸「王子の狐」


第八十八回 5月の朝日名人会――。“常識”と大穴の境地
柳家三三「五貫裁き」


第八十八回 5月の朝日名人会――。“常識”と大穴の境地
桃月庵白酒「お茶汲み」

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。