西寺郷太 It's a Pops

NONA REEVES西寺郷太が洋楽ヒット曲の仕組みや背景を徹底分析する好評連載

第9回 TOTO 「ジョージー・ポージー」(1978年)【後編】

第9回 
TOTO
「ジョージー・ポージー」(1978年)【後編】『TOTO Ⅳ~聖なる剣』のプラティナディスクの前で


第9回 
TOTO
「ジョージー・ポージー」(1978年)【後編】

TOTO『TOTOⅣ~聖なる剣』(1982年)

ソニー・ミュージックショップ

全米最高4位/全米セールス300万枚(1984年当時)
第25回グラミー賞受賞記録(1982年度/1983年2月23日発表)

◆最優秀レコード(Record of the Year):「ロザーナ」TOTO
◆最優秀アルバム(Album of the Year):『TOTO Ⅳ~聖なる剣』TOTO
◆最優秀ヴォーカル編曲者:「ロザーナ」TOTO *デヴィッド・ペイチ
◆最優秀ヴォーカル伴奏編曲者:「ロザーナ」TOTO *ジェリー・ヘイ(トランペット)、デヴィッド・ペイチほか
◆最優秀録音技術作品:『TOTO Ⅳ~聖なる剣』TOTO *トム・ノックス
◆最優秀プロデューサー:TOTO




第9回 
TOTO
「ジョージー・ポージー」(1978年)【後編】

マイケル・ジャクソン『スリラー』(1982年)

ソニー・ミュージックショップ


全米最高1位/全米セールス1200万枚(1984年当時)
第26回グラミー賞受賞記録(1983年度/1984年2月28日発表)

◆最優秀レコード(Record of the Year):「今夜はビート・イット」マイケル・ジャクソン
◆最優秀アルバム(Album of the Year):『スリラー』マイケル・ジャクソン
◆最優秀男性ポップ歌手:『スリラー』マイケル・ジャクソン
◆最優秀男性ロック歌手:「今夜はビート・イット」マイケル・ジャクソン
◆最優秀リズム&ブルース楽曲:「ビリー・ジーン」マイケル・ジャクソン
◆最優秀リズム&ブルース男性歌手:「ビリー・ジーン」マイケル・ジャクソン
◆最優秀録音技術作品:『スリラー』マイケル・ジャクソン *ブルース・スウェディエン
◆最優秀プロデューサー:『スリラー』マイケル・ジャクソン *クインシー・ジョーンズ



―― (【前編】からの続き)先ほど郷太さんがおっしゃったTOTOとマイケル・ジャクソンのグラミー賞のインパクトは忘れられません。『TOTO Ⅳ~聖なる剣』で最優秀レコードとアルバムの主要部門を含む6冠に輝き当時の受賞新記録樹立。しかし、その翌年に『スリラー』でその数を上まわる8個のグラミーを戴冠する規格外の受賞。これはホントにびっくりしました。

西寺 ‘82年から‘83年のグラミーは数字の記録だけに収まらない重要な意味を持っています。これは推測ですけど、マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズの『スリラー』にかける最大の目標はグラミー賞の主要部門を獲ることだったんだと思います。あの『オフ・ザ・ウォール』(’79年)での苦杯が忘れられなかったはずですから。「今夜はドント・ストップ」のみ最優秀リズム&ブルース楽曲賞を受賞。ポップ・フィールドでも勝負していた作品だけに落胆したでしょうね。その’79年度、’80年2月の授賞式の時期は奇しくもアルバムからの2ndシングル「ロック・ウィズ・ユー」が全米ポップ・チャートで1位を記録していたんです。そうですよね? 80sチャート愛好家の安川さん(笑)。

―― はい。その通りです。マイケル・ジャクソンの「ロック・ウィズ・ユー」は全米ポップ・チャートすなわちビルボードHOT100で1980年1月19日付から4週連続1位を記録するゴールド・シングルです。ちなみに年間チャートは4位。この時点でマイケル最大のヒット曲でした。

西寺 解説ありがとうございます(笑)。そういう状況だったにも関わらずグラミー賞のロック、ポップ・フィールド部門で無視されたことは相当悔しかったはずです。授賞式のテレビ生中継での黒人部門の発表がCMの間というのも彼のプライドは傷ついたと思います。そしてマイケルは誓うんですね。全ての人種が買う世界一売れるアルバムを作ってみせると。でもプロデューサーのクインシーは“世界一売れる”には懐疑的な思いでした。この頃からSONY発のウォークマンがアメリカにも上陸、ダブルカセットデッキも普及したことでカセットテープが音楽再生メディアの主流、すなわちレコード販売に直撃するカセットダビングの流行を止められない、と。今で言う違法ダウンロードみたいなものですね。実際にレコード盤が売れなくなっていた。それでも『オフ・ザ・ウォール』は当時全米だけで500万枚の特大セールスを記録していたので、それを超えるということは並大抵の努力では成し得ないことをクインシーはわかっていた。それでもクインシーも自分を奮い立たせ、‘82年4月にアルバム『スリラー』最初のセッションとなる「ガール・イズ・マイン」レコーディングで共演となるポール・マッカートニーがスタジオに来る前にスタッフを集めたんです。「我々は音楽業界を救うために集まった」って言うんです。「どんどん縮小していく音楽界のストッパーになるぞ!」という宣言をするんです。そんなクインシーも威勢のいいことを言いながら『オフ・ザ・ウォール』は超えられないと思っていた。しかし、マイケル本人だけが未来を確信していたんです。

―― 『スリラー』は世界で最も売れたアルバムとなって音楽の歴史を塗り替えました。

西寺 はい。その通りです。アルバムの発売は‘82年12月です。そして事実上の白人専門局だったMTVが重い腰を上げて初めて黒人のマイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」のミュージックビデオを放送したのは‘83年3月です。

―― あ、MTVがマイケルをスーパースターにして、マイケルがMTVをメジャーメディアにしたと言われていますが、『スリラー』制作時や発表時にはMTVの恩恵を受けていないんですね。

西寺 そういうことです。だから、白人トップのポール・マッカートニーを呼び「ガール・イズ・マイン」を最初に録ったんですよ。R&B系ラジオしかオンエアされないような曲を1stシングルにするとトップ40系ラジオ局が相手にしてくれないからポールをお招きしてポップ・ソングを完成させたんです。そしてチャートの結果は?





MICHAEL JACKSON & PAUL McCARTNEY「The Girl Is Mine」(1982)

―― マイケル・ジャクソン&ポール・マッカートニーの「ガール・イズ・マイン」は’83年1月8日付ビルボードHOT100で最高2位を記録しました。残念ながら人気絶頂のダリル・ホール&ジョン・オーツの「マンイーター」に首位を阻まれています。

西寺 はい、ありがとうございます(笑)。僕は生涯マイケルのベスト5に入るくらいとても好きな曲だけど、『スリラー』のなかではあまり目立たない曲でしたよね。でも、歴史を変えた2ndシングル「ビリー・ジーン」、白人ロック界を激震させた3rdシングル「今夜はビート・イット」へのバトンを渡すトップランナーとしては不可欠な曲でした。だってあのビートルズのポール・マッカートニーとデュエットしているんですよ。白人優位のメディアのドアを明けさせるには充分なネタでした。そしてそのことはTOTOメンバーを『スリラー』セッションに呼んだことと意味的にはイコールなんです。音楽的な役割は違うけれど。

―― 『スリラー』の4曲、「ガール・イズ・マイン」「今夜はビート・イット」「ヒューマン・ネイチャー」「レディ・イン・マイ・ライフ」が郷太さんの言う事実上のクレジット「マイケル・ジャクソン with TOTO」ということなんですね。

西寺 『オフ・ザ・ウォール』になくて『スリラー』にはあったもの。その最大の「差異」がTOTOです。『スリラー』は「ビリー・ジーン」「スリラー」といったメジャー級のヒット曲があるけど、極端に言えば人種を横断した「今夜はビート・イット」の「ロック感」と「ヒューマン・ネイチャー」などのAOR的な要素があったからあそこまで売れた。その最大の功労者がTOTOのメンバーたち。TOTOを語るコラムで「マイケルのことばかり」と思われてしまうのは承知してるんですが(笑)。あまりにも『スリラー』におけるTOTOの功績が語られていない気がしまして。





MICHAEL JACKSON「Human Nature」(1983)

「ヒューマン・ネイチャー」は、まさに「マイケル・ジャクソン with TOTO」。作詞がカーペンターズの代表曲を多く手がけたジョン・べティス。作曲とシンセサイザーがスティーヴ・ポーカロ。ドラムはジェフ・ポーカロ。ギターはスティーヴ・ルカサー、シンセサイザーはデヴィッド・ペイチ。パーカッションはブラジル出身のナンバーワン奏者、パウリーニョ・ダ・コスタで、マイケル・ボディッカーがエミュレイターっていう当時のサンプラーを使ってる以外は演奏者自体が全員TOTO。編曲家としてデヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ポーカロ、スティーヴ・ルカサー3人の名前が記されてます。じつはマイケル・ジャクソンの楽曲で最もカヴァーされている曲のひとつが「ヒューマン・ネイチャー」なんです。派手なサウンドじゃないけれどヴォーカルのパンチ力は他の曲に比べて圧倒的です。この時、デヴィッド・ぺイチもマイケルに曲を提供したと言われてるんですが、それはクインシーがピンと来なくて外しちゃったらしいんです。オマケ扱いでスティーヴ・ポーカロが♪~(Human Nature)って鼻歌を鳴らした曲がデモの最後に入っていたらしくて。マイケルもクインシーもこれイイじゃんって反応して、最後に収録を決めたのが「ヒューマン・ネイチャー」。結果、屈指の名曲が生まれたと。マイケル逆風の90年代も「ヒューマン・ネイチャー」と「リメンバー・ザ・タイム」はずっとDJやミュージシャンから人気ありましたね。

―― マイケルよりも先にTOTOがグラミー賞の主役となることをクインシーは分かっていたのでしょうか。

西寺 TOTOの『TOTO Ⅳ~聖なる剣』が発表されたのは’82年4月ですから翌年のTOTOが来年のグラミー賞の主役になることはさすがのクインシーも予測していなかったでしょう。ただ分かっていたことはクインシーが求めていた黒人音楽と白人ロックを両側からアプローチできるポップ・フィールドで活躍する現役一流ミュージシャンはTOTOだけだったということ。その結果が『ミュージック・マガジン』での中村とうようさんの『スリラー』レビュー0点に繋がっているんですよ。「こんなのソウルじゃない」と。でもクインシーはやっぱりそれを狙ったんですよ。その時代の端境にいたのがTOTOだし、彼らが「ホールド・ザ・ライン」とか「愛する君に」だけを演奏しているロック・グループだったらマイケルの勝負作のスタジオに呼ばないですよ。クインシーのアタマの中には「ジョージー・ポージー」も、それこそシェリル・リンの「トゥー・ビー・リアル」も流れていたと思います。






CHERYL LYNN「Got To Be Real」(1978)

 ただ、もしかしたらロック的なTOTOと組みたがったのはマイケルかもしれないとも思うんです。「ロザーナ」のビデオとか、かなり「今夜はビート・イット」の雛形な気もしますし。‘80年にマイケルが姉のラ・トーヤのシングル「ナイト・タイム・ラヴァー」をプロデュースした時、ジェフをドラマーとして呼んでるんですよね。‘77年にダイアナ・ロスのアルバム『ベイビー、イッツ・ミー』にジェフとデヴィッド・ハンゲイトが参加してるんですが、マイケルはダイアナ大好きでしたし、そういう影響かもしれません。


第9回 
TOTO
「ジョージー・ポージー」(1978年)【後編】

TOTO「Georgy Porgy」

Recording:Release:1979 / Songwriter:David Paich / Producer:TOTO
Guitars,Lead Vocals:Steve Lukather
Keyboards:Steve Porcaro
Piano:David Paich
Bass:David Hungate
Drums,Percussion:Jeff Porcaro
Backing Vocals:Cheryl Lynn

1978年10月に発売されたTOTOの1stアルバム『宇宙の騎士』(全米9位)からの3rdシングル。’79年6月2日付ビルボードHOT100で48位、同8月4日付ビルボードHOT R&Bで18位を記録した。TOTOのデヴィッド・ペイチとデヴィッド・フォスターがプロデュースしたデビュー曲「トゥー・ビー・リアル」(’79年2月17日付ビルボードHOT100で12位を記録)のヒットで人気シンガーとなるシェリル・リンをバッキング・ヴォーカルに迎えた。日本国内では当時「ジョージー・ポーギー」(写真)の表記としてシングル発売され、のちのアルバム再発売時に「ジョージー・ポージー」と改名された。



―― “天才少年たちが作った1stアルバム”の収録曲、ましてやシングルとしては「ジョージー・ポージー」は大人び過ぎていませんか。

西寺 アルバム1曲目の強烈なアンセム「子供の凱歌」がいきなりインストでもう大人目線ですからね(笑)。僕は、ジャズ、フュージョン、R&B、ロック、ポップスと全方位のTOTOサウンズのなかで「ジョージー・ポージー」は断トツに好きな1曲です。NONA REEVESの西寺郷太がいちばん好きなTOTOの曲という言い方のほうがしっくりくるかもしれません。ヴォーカルはスティーヴ・ルカサーですが、あのソウル感というか、R&B感というのはデヴィッド・ペイチとジェフ・ポーカロのツートップが持ち合わせているものですね。「ジョージー・ポージー」は白人が奏でても、黒人がパフォーマンスしてもどっちでも良いっていう独特のボーダレスな音楽だから、エリック・ベネイなんかもカヴァーしていましたよね。スティーヴ・ルカサーのような白人男性が歌おうが、シェリル・リンのような黒人女性が歌ってもハマってしまう不思議な曲なんです。本当に魔法じみているというか。TOTO魔術というか。シェリル・リンの起用も含めてね。





TOTO「Georgy Porgy」(1979)

―― シェリル・リンをゲスト・ヴォーカルに迎えたソウルなアプローチが日本でも人気でAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の代表曲としても今もラジオフレンドリーですよね。

西寺 そしてラジオから聴こえてきても古く感じない。この曲は僕にとってはここ何十年、常に「今っぽい」んですよ(笑)。まさにN.E.R.D.とかジャスティン・ティンバーレイクとか、最近の流行というか、トレンドから外れない音っていうのがあって、「ジョージー・ポージー」はまさにそれ。例えばマイケルの「今夜のビート・イット」は一気に80年代のフィーリングに戻してくれるけど、「ジョージー・ポージー」に関しては、時を超えているような気がするんです。イントロから終わりまで、これほど見事に組みあがっている曲は他にない気がするんですよね。強いて双璧にあげるならば「ジョージー・ポージー」の変型版が「アフリカ」だと思うんです。ここで入れますか、チャート情報?





TOTO「Africa」(1982)

―― TOTOの「アフリカ」は『TOTO Ⅳ~聖なる剣』からの3rdシングル。’83年2月5日付ビルボードHOT100でグループ初の1位を獲得しました。メン・アット・ワークの「ダウン・アンダー」と全米チャート史に残るトップ争いした直後の2月23日の夜、TOTOはグラミー賞の主役に躍り出ます。

西寺 グラミーまでありがとうございます(笑)。「アフリカ」はポーカロ兄弟の父親ジョー・ポーカロのマリンバがエスニックなリズムを刻んでいます。ジェフ・ポーカロと共作したデヴィッド・ペイチ自らがリード・ヴォーカルを務めました。と、ここまでTOTO楽曲を紹介してお気づきのようにこの時期TOTOにはヴォーカルが良くも悪くも4人いるんです。主力のボビー・キンボール、スティーヴ・ルカサー、デヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ポーカロ。言い方を変えれば絶対的なヴォーカリスト不在グループがTOTOなんです。あの代名詞「ロザーナ」はボビー・キンボールとスティーヴ・ルカサーがヴォーカルを分け合っています。





TOTO「Rosanna」(1982)

 もしTOTOにマイケル・ジャクソンのようなカリスマ・ヴォーカリストがいたらどうなっていたのかを考えると面白いんです。まぁ、一番最初に彼らを集めたフロントマン、ボズ・スキャッグスがそういう役割だった気もしますが。ボビー・キンボールももちろん素晴らしいですが、圧倒的なフロントマンがいないからこそ、TOTOは輝けた。それとやはり80年代中盤にサンプルをループさせるヒップホップが主流になったことと、クウォンタイズでビートを操作するのが普通になったデジタル・リズム革命が彼らを巡るすべてを変えましたよね。『TOTO Ⅳ~聖なる剣』から、メンバー・チェンジや時代の空気の変化でどんどん時代の最先端からはズレてしまったTOTOの歴史、特に80年代中盤から90年代の不遇。それを思うと、『スリラー』とほぼ同じタイミング、‘82年10月に名作『ナイトフライ』を、凄腕ドラマーのショットやプレイを狂気的にサンプリングしてグルーヴを作り、80年代沈黙して‘93年に復帰したドナルド・フェイゲンの時代感覚は恐ろしいですけどね。「今は、俺の思うグルーヴィーな音楽が受けない」ってドナルドは感じたんじゃないでしょうかね。ジェフの死の翌年に、彼は『カマキリアド』を11年ぶりにリリースしましたけど、その時も最初の印象は「リズムがカタい!」でしたもんね。





BOZ SCAGGS「Lowdown」(1976)

――‘92年のジェフ・ポーカロの急死は残念でしたね。

西寺 デヴィッド・ペイチ、ジェフ・ポーカロのツートップ体制が終わってしまったことで、TOTOが導いた80年代も終焉を迎えた印象でした。主導権はそのふたりだったと思うんですが、ひと世代年上のボビー・キンボールや、お兄さん的役割のベーシスト、デヴィッド・ハンゲイトの存在も効いてたんでしょうね。やはりミュージシャンに人気ありますよね、TOTOは。自分も昔ドラマーだったんですけど、ジェフ・ポーカロ・モデルのスティックずっと使っていたんですよ。NONA REEVESも、バンドでありながら、セッション・ミュージシャンやサポート、プロデュースや作詞作曲などを個々のペースで活動する集団なんですよ。ある意味、ひとつの理想のグループがTOTOだとも言えますね。バンドでも個々でも素晴らしい音楽を生み出すという意味で。どうしても僕は、ジェフ・ポーカロとデヴィッド・ペイチを中心に聴いてしまうんですけどね。「ジョージー・ポージー」のような、ファンクネスが大好きなので。

―― 最後に。さっきからちょっと気になっていたのですが。郷太さん、最初にTOTOを知った’82~‘83年の頃に「かなりオジサンたち」というイメージを抱いたって言っていましたよね。「『スリラー』を奏でた男たち」って思わなかったのですか?

西寺 おっと、最後に、いい質問ですね(笑)。‘82年の終わりくらいですかね。一緒のマンションに住んでいた友達のお父さんの知り合いの中にカメラマンのおじさんがいて、そのおじさんが最初にプレゼントしてくれたのが『TOTO Ⅳ~聖なる剣』のカセットテープだったんです。繰り返し聴いていたんですけど、そのおじさんの字がめちゃくちゃ汚くて手元のカセットレーベルが嫌だったのが今でも思い出します(笑)。その半年後の’83年夏くらいにマイケルの『スリラー』を好きになったけれど、TOTOって気付いてない。自覚したのはもっとあとのこと。でもそれで良かったんです。だってあの頃のTOTOは洋楽定食のお味噌汁みたいな存在だから。唐揚げ定食でも天ぷら定食でも何を頼んでも付いてくるお味噌汁。お店に入ってお味噌汁だけお願いしま~す! とは言わなかったけれど、いつも食べていたんですよね。
 
 そうだ。最後に。小学5年生の僕が、はじめて買えたLPレコードがジャクソンズの『ビクトリー』で。‘84年、夏。その一曲目と二曲目、「トーチャー」と「ウェイト」もTOTO勢大活躍だったので、そこでクレジットを読み込んで、あ!TOTOだと驚いたんですよ。だから僕が一番感謝しているのは、もしかしたらジャクソンズでのイイ仕事かもな、と思ったりもします。最近出た『ジェフ・ポーカロのほぼ全仕事』(DU BOOKS)という小原由夫さんの研究本は素晴らしい本なんですが、ジャクソンズでのTOTOの仕事には冷たい評論だったんで、ひとりで憤慨してました(笑)。[おわり]


聞き手/安川達也(otonano編集部)




第9回 
TOTO
「ジョージー・ポージー」(1978年)【後編】

TOTO
『40トリップス・アラウンド・ザ・サン ~グレイテスト・ヒッツ~』
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プロフィール

西寺郷太
西寺郷太 (公式サイト http://www.nonareeves.com/Prof/GOTA.html)
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成しバンド、NONA REEVESのシンガーとして、’97年デビュー。音楽プロデユーサー、作詞・作曲家として少年隊、SMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉、The Gospellersなど多くの作品に携わる。ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆と のユニット「Smalll Boys」としての活動の他、マイケル・ジャクソンを始めとする80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々はべストセラーに。代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(’14年/扶桑社)、『プリンス論』(’16年/新潮新書)など。

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『プリンス論』
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『噂のメロディ・メイカー』
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2014年/扶桑社
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Album『MISSION』
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『POP'N SOUL 20~The Very Best of NONA REEVES』
Album『POP'N SOUL 20~The Very Best of NONA REEVES』
NONA REEVES
2017年/Warner Music Japan
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