落語 みちの駅

第八十三回 雪と落語
三遊亭圓生『圓生百席42「紋三郎稲荷」「夢金」「彌次郎」』


 この冬はとても寒いと誰もが言います。東京ではもう二度も雪が積もりました。雪化粧をしないまま花の季節を迎える年も多いのが東京ですから、体感的にも視覚的にも冬らしい冬になっているようです。

 雪が特別な現象でない雪国が四百年にわたってこの国の中心であったなら、日本の近世文化はずいぶんちがったものになっていたのではないか、と思うことがよくあります。

 歌舞伎には雪の場面が多くあります。舞台には花道もふくめて白い雪布が敷かれ、男女の密会や別離の筋書きに痛切な情緒を添えるのです。「雪の合方(あいかた)」という三味線曲が奏でられ、太鼓の低い「雪音」が「音もなく」降り積む雪を「音」で表します。

 雪にうんざりする地域では、こんな雪の美学は成立しなかったかもしれません。赤穂浪士の討ち入りのときに雪があったのかどうかの議論も江戸だからこそのことでしょう。

 落語や人情噺にも雪は重要な役割をしています。雨よりも念入りに描写されています。「夢金」「鰍沢」「雪の瀬川」「大仏餅」「しじみ売り」「雪とん」「雪てん(雑俳)」「双蝶々雪の子別れ」「江島屋騒動」「ねぎまの殿様」「福禄寿」「和歌三神」「橋場の雪」……。まだまだあるでしょう。

 落語話芸・雪の名場面を私的に二つあげます。一、六代目圓生の「夢金」冒頭。船宿の内へ入った浪人者は押し殺した無感動な調子で、しかし凄みを利かせ、「雪は豊年の貢(みつぎ)とは申しながら、かよう多分に降られては困る」と言います。身にしみる寒さと噺の劇的な展開が迫ってくるようでゾクゾクさせられたものです。ほんの一語ながら聴き手を噺の奥の奥へ一気に連れていく、名人芸見分けのポイントここにあり、です。

 もう一つ、柳家さん喬「福禄寿」後半。あたたかい温情と人の世のきびしさが足を凍らせる雪道の往復に痛いほどに感じられて、雪積む江戸東京が熱帯でなくてよかったとしみじみ思わされます。




第八十三回 雪と落語
『柳家さん喬5 「朝日名人会」ライブシリーズ60 「福禄寿」』

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。