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1970年生まれ(昭和45年生まれ)のotonano編集部員が語る80年代洋楽体験記

80年代洋楽メガヒット!PARADISE - MEGA HITS '80s連載企画⑩北澤孝インタビュー

極私的80sザ・コラム② エア・サプライ【後編】



 エア・サプライ


北澤孝インタビュー


『シーサイド・ラヴ』はイメージ統一という意味では大成功だったんですけど……「熱気球は海の上ではやりません!」って。そんなこと僕らは知らないもーんって(笑)。



(【前編】からの続き)


  エア・サプライのアルバム・ジャケットの欧米ヴァージョンと日本ヴァージョンが違うことは史実でありながら、その相違はもはや伝説だ。

  透き通った“ペパーミントサウンド”を前面に押し出すため日本盤の初期アルバム・ジャケットは全て青空と海で統一されたのだ。1stアルバム『ロスト・イン・ラヴ』のオリジナルはメンバー5人が高層ビルの前でポーズを決めているのに、日本盤はなんとウィンドサーフィン! 続く2ndの原題は『The One That You Love』なのに『シーサイド・ラヴ』にわざわざ変更。山を背景に浮かんでいた気球は、サンゴ礁の海と真っ白な雲をバックにした鮮やかな気球に差し替えられた。『ナウ・アンド・フォーエヴァー』では、オリジナルはパラシューターが山上で夕陽に溶け込んでいたが、日本盤では海上の青空に吸い込まれていた。

  一連のイメージ戦略はいったい誰の発案なのだろうか? 誰が指示したのか。エア・サプライ側からの苦情はなかったのか。そもそもそのきっかけは……その全部が知りたくて、当時の日本のレコード会社=日本フォノグラムの洋楽制作担当だった北澤孝さんに当時の話を伺ってみた。


 北澤孝  (フジパシフィック音楽出版にて)北澤孝  (フジパシフィック音楽出版にて)


―― 北澤さん、はじめまして。これまでエア・サプライのことを語る機会は多かったですか。


北澤  今回のようにエア・サプライだけの取材というのは珍しいよね(笑)。だって、ほら、彼らはいわゆる派手なロック・アーティストとは違うじゃないですか。だからというわけじゃないですが鮮烈な記憶みたいなものは僕も正直あんまりないんですよね。あ、でもね、契約したころのことは覚えていますよ。向こう(オーストラリア)では1976年にそのまま『Air Supply』というアルバムでデビューしていましたね。それから3枚はアルバムを出していましたが、まだまだアメリカでは無名。日本でもよっぽどの洋楽マニアじゃないかぎり誰も知らなかったと思いますよ。クライヴ・ディヴィスがプロデュースすることになったことで、アメリカではアリスタからの発売が決定し、その流れで日本契約したのが1979年。そして5枚目のアルバム『ロスト・イン・ラヴ』登場ということになりますね。


―― 日本盤の準備期間はそんなになかったのではないですか。


北澤  直接のアーティスト担当は渡辺憲一さんだった(2017年死去)。僕は彼の上司という立場。僕らの目の前でシングル「ロスト・イン・ラヴ」がね、どんどん全米チャートを上がっていくんですよ。爽やかな歌声なのに、オリジナルのアルバムジャケットがダサいんですよ、これが(笑)。


 『LOST IN LOVE』オリジナルUS盤ジャケット『LOST IN LOVE』オリジナルUS盤ジャケット


  当時はLPが主戦力。レコード店で並ぶジャケットは“顔”ですから、いま以上に特別な物だったんですね。でもメンバーが立ち並んだオリジナル・ジャケットは困ったことにアルバム1曲目の「ロスト・イン・ラヴ」の雰囲気にまったく合っていない。「どうしよう。トップ10に入りそうだけど。このジャケットのままじゃどうにもなんないなぁ」ってふたりでしばらく困っていましたね。そしたら、ある日ケン(憲一)ちゃんが「北澤さん、やっぱりサウンドが爽やかなので、アルバムも海のイメージで行きましょう! どうでしょうか!?」って出してきたポジ(写真)がウィンドサーフィン。デジタル時代じゃないから、写真を有償貸出する通信社に行って、彼はルーペでカラーポジをひとつひとつ覗き込んで選んできたんだよね。僕も何となく同じイメージを抱いていたから違和感はなかったですねぇ。


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―― いやいや、こっち側の違和感がなかったとしても、日本で勝手にジャケットを変えたらダメなんじゃないですか(笑)。


北澤  うんうん。そう思うよね(笑)。でもね、そういう契約はなかったんですよ。そのあたりの経緯を簡単に説明するとね……(腕を組んで少し遠い目をしながら)……インターナショナル部にいたハリー・アンガーという者が、アリスタのインターナショナル部スタッフでもあったのね。けっこうモノ分かりのいい人で、日本贔屓みたいなところもあって。彼も何回も日本に来ていたし、この国の“洋楽”というものをそれなりに理解してくれていた。なによりも、彼が「エア・サプライの日本のプロモーションツアーをやりませんか?」って言って、来日を敢行させたのね。それを僕ら日本サイドもきちんと受けたという実績もあったので、向こう側もエア・サプライの日本プロモーションに対しては協力しますよっていう雰囲気があったんですよね。ジャケットに関しても、ウィンドサーフィン案を出したら簡単に「OK!」って返事がきたくらいですから(笑)。「その代わりちゃんと僕らにも見してね」って。実際に見せたらすぐに「OK!」って。ま、あの当時のアリスタって今に比べてわりと寛容だったんでしょうね。ほら、有名なホイットニー・ヒューストンの1枚目のアルバムも本国と日本だとジャケットが違うんですよ。オレンジ色のオリジナル絵柄より、僕らが付けた邦題『そよ風の贈りもの』にはあの水着が似合っているんですよね。いまはガチガチだから日本独自のジャケットは難しいでしょうね。


『そよ風の贈りもの』


 北澤孝 (撮影:安川達也)北澤孝 (撮影:安川達也)


―― 『ロスト・イン・ラヴ』のジャケットはロングボードのサーフィンじゃなくてウィンドサーフィンというのが何気にポイントだったのかなぁと思うのですが。


北澤  そうかもしれませんね。あのころはウィンドサーフィンの人口もまだ少なかったですよね。先駆けだったのかな。80年代の始めの日本の若者文化は、70年代から続いていた西海岸カルチャーの影響がまだ色濃く残っていたんですよ。憧れとしてね。人気のピークを迎えたサーフィンは80年代初頭の湘南では過渡期を迎えていたと思うんですけど……あ、『波の数だけ抱きしめて』って映画をご存知ですか?


―― 大好きな映画です! 1991年公開で、舞台は1982年の湘南。ミニFMの開局青春物語。『私をスキーに連れてって』(’87年)『彼女が水着にきがえたら』(’89年)と合わせたホイチョイ・プロダクションズ3部作をテーマに馬場康夫監督に2年ほど前に取材したことがあります。あ、同じグループ内の別媒体ですが(笑)。


otocotoホイチョイ特集


北澤  あ、それなら話は早い(笑)。エア・サプライの全盛期、すなわち’81年、’82年、’83年はあの映画で描かれている時代そのものなんです。じつは『波の数だけ抱きしめて』で僕は「洋楽コーディネイター」として劇中使用された洋楽選曲や許諾に携わっているんです。エア・サプライが人気だった時代の日本の若者文化は、まさにあの映画の’82年回想時代と重なるんですね。音楽シーンはディスコも落ち着きAORが台頭、70年代にピークを迎えたサーフィンも80年代に入ると湘南では……


―― そういえば!劇中で中山美穂や織田裕二らがこれからサーフィンを始めようとする広告代理店マンに扮した別所哲也に「(‘82年の今さら)サーフィン!?」と不思議がるシーンがありましたね。ああー!その別所哲也が会社の受付の女の子に「エア・サプライのチケット取ったよ」みたいな台詞もありましたよね!!


北澤  よくご存知で(笑)。僕は脚本までは関わっていないですが、大卒の若いサラリーマンが流行りのPRINCEデカラケットが普通に似合っちゃうような時代。湘南、サーフィン、ドライブ、AOR……だからTOTO、J.D.サウザー、バーティ・ヒギンズらがFMから流れてくるのが当たり前だった時代のお話。ご指摘のとおりエア・サプライは名前が出て来るだけで、映画で音楽は使われていないんですけどね(笑)。


『波の数だけ抱きしめて Kiwi FM オリジナル・サウンドトラック(コンプリート版)』


―― エア・サプライはペパーミントサウンドと言われていましたが、これも仕掛けたのですか。


北澤  はい、そんな記憶はあります(笑)。ペパーミントサウンドっていう言い方でプロモーションしていたのは覚えていますから(笑)。80年代はいろいろ新しいものが入ってきたりしたんですよ。例えばハーブティーとかね。これまでのコーヒーと紅茶とか明らかにネーミングが違うものが急に使われたんですよ。おしゃれな感じで。そういったイメージの中で、ペパーミントって言葉を僕らは使ったと思う。


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―― 次のアルバムも秀逸ですよね。タイトルソングの原題は「The One That You Love」。邦題は「シーサイド・ラヴ」。でも歌詞には海は出てこない。


北澤  おっしゃる通り(笑)。前作のイメージを踏襲しようと決めていたので、初めから爽やか路線しか考えていなかったんです。海といえばシーサイドだろうって。それに合わせて、オリジナル・ジャケットの気球の後ろに映る山を海に変えちゃいました。これもケンちゃん(憲一)が通信社に行って、いろいろ探してね。だからこの日本盤のジャケットの写真は合成です。


―― 大成功ですね。


北澤  イメージ統一という意味では大成功だったんですけど……気球の専門家らしき方から会社に連絡があったんですよ。「熱気球は海の上ではやりません!」って。気流の問題だったと思うのですが、そんなこと僕らは知らないもーんって(笑)。「AIR SUPPLY」じたいは「空気の供給」って意味ですから、海でも山でも同じなんじゃないかと思ったのですが、そういう問題でもないようで(笑)。熱心な洋楽リスナーからも「曲の中にぜんぜん渚とか海とか入ってないじゃないですか」って意見は沢山もらっていましたが、エア・サプライに関して僕らは完全に振り切ってプロモーションしていましたね。ひとりでも多くのリスナーに曲を届けることを迷わず最優先にしたし、そのために日本独自で戦略を立てることが許された時代でもあったんですね。だから責任感というよりも高揚感のほうが増していたと思いますよ。


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―― 確かに次のアルバム『ナウ・アンド・フォーエヴァー』は迷いを感じませんね。
オリジナルはパラシューターが山の上で夕陽に溶け込んでいるのに、日本盤では海上の青空に吸い込まれていましたから(笑)。


北澤  いいデザインだよね(笑)。どのアルバムの時点だったかは覚えていないんだけど、来日した時に日本盤のジャケットを見てメンバーもすごく喜んでくれたんですよ。「なんの問題もない、最高!」って。正直、少し安心しましたね(笑)。ただそれはね、オーストラリアの人っていうのもあるのかもしれないね。アメリカやイギリスのアーティストの感覚とは少し違うのかもしれないな。寛容というか、細かいことを気にしないというか。彼らがたまたまオーストラリア出身だったのかもしれませんけどね。


―― エア・サプライ、リック・スプリングフィールド、メン・アット・ワークら人気のオージー・ポップスは当時の最良の豪輸出品と言われましたね。


北澤  そういえば、オーストラリア大使館と一緒にエア・サプライをプロモーションしたこともありましたよ。ちょうどその頃にオージービーフも日本上陸してきたわけですよ。それじゃってことで大使館の協力もあって当時大人気の横綱・千代の富士とエア・サプライを合わせることになったんだよね。メンバーを連れて九重部屋に行きましたね。


―― ……どういうプロモなんですか(笑)? 千代の富士がオーストラリア産物に造詣が深かったとか?


北澤  あ、関係ない。横綱はビーフがお好きだって聞いてね(笑)。洋楽誌『ミュージック・ライフ』の当時の編集長・東郷かおる子さんが千代の富士の大ファンだったんです。「あ、私、横綱に会いたい!」って彼女もノリノリで。結局『ミュージック・ライフ』だけじゃなく、ほかの一般誌も合同取材になったんですけどね。メンバーも大喜びでしたね。でも相撲部屋って朝が早いじゃない。取材のときも寒かったような、みんな息が白かった記憶が。誰かが遅刻して、東郷さんがすごく怒っていたっけ(笑)。ウチのけんちゃん(憲一)だったかな遅れたの?


―― エア・サプライは北澤さんの印象以上に記憶のなかでは濃いアーティストだったのではないですか?


北澤  最初に言ったようにエア・サプライは派手じゃなかったぶん印象も薄い。だから今日はお話しすることがあまりないんじゃないかと思っていましたが、こうやって目の前でジャケットを見ていたら、やっぱりけっこういろいろ想い出してくるもんですね。そういう意味では、あれから35年以上ですか? こんなに月日が経ったのにこうやって来日してコンサートをしている彼らは本当に大したものですよね。でも、こうやってエア・サプライ回想だけで僕が取材されていることのほうがいろんな意味で驚きですね(笑)。楽しかったです。ありがとうございました。


 北澤孝 (撮影:安川達也)北澤孝(きたざわ・たかし)


1947年、東京生まれ。1970年、早稲田大学法学部卒。日本ビクターに入社、フィリップス事業部に配属。そのまま日本フォノグラムに移行、洋楽本部長を務める。2000~2003年にはゾンバ・レコーズ・ジャパン代表取締役社長。現在はフジパシフィック音楽出版・社長アドヴァイザー。



文/安川達也(otonano編集部)・1970年生まれ・洋楽誌『POP GEAR』(休刊)出身

協力/鈴木雄一(ソニー・ミュージックダイレクト)・1970年生まれ・フジパシフィック出身





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