落語 みちの駅

第七十七回 久々のたっぷり小三治――第173回朝日名人会
 10月21日(土)PM2時から有楽町朝日ホールにて第173回朝日名人会。一週間続いた長雨の中では雨足が弱い一日でした。8月下旬のチケット前売り当日に即日完売した会なのであまり悪天候でなかったのは救いでした。

 終演は17時30分すぎ。ハネの時刻を話題にするのは変なようですが、それ抜きでは、この日、この会の報告にはなりません。

 昼間の会ですからふだんより15分ばかり追い出しが遅くても大過はありませんし、この日のお客様はむしろ、そんな事態を期待していたのではないかと思います。

 プログラムはまもなく二ツ目に昇進する春風亭朝太郎さんがこの会での最後の前座で「牛ほめ」。以下、春風亭正太郎「堪忍袋」、柳家小さん「一人酒盛」、五街道雲助「景清」、柳家小里ん「お茶汲み」、柳家小三治「馬の田楽」。

 小三治さんは夏に違和感を覚えたという首か肩かの手術も成功して久方ぶりにゆったりと63分の高座でした。声量豊かだった20年前の「馬の田楽」のような、炎天下の重労働のにおいがたちこめる野性的な口演とはちがっていますが、時の流れが止まったような山里の光景が以前よりも一段と自然に表わされたように思いました。

 馬方にとっては一大事であっても、他の登場人物はことごとく時間も歳月もなしに、しかし悠々の生きている――。

 五代目古今亭今輔・五代目柳家小さん・十代目柳家小三治と受け継がれてきた「馬の田楽」で時空を超えた表現境をきわめたのは小三治口演のみと私は思います。

 まくらは今回の外科的疾患の話から京都での手術の話、リハビリをかねた京都見物の話、旅の話、かつてのオートバイの話、そしてオートバイで巡った北海道で見た独特の競馬の話、そして馬がらみで噺本題という順序でした。オートバイ以降はいつものプロセスですが、京都の話は新鮮でした。

 60分以上も一人高座で客をひきつけられるのは、体の部品に小さな不具合はあっても芯は達者ということではないでしょうか。

 この先自分はどうなるのか? とご本人はいつに変わらぬ不安を口にしていましたが、この2,3年は意欲と体力のバランスを少し崩しただけだったのではないかと私は思います。

 自分の老境に慣れて、安易な意味ではないマイペースを保てるなら、小三治落語には、まだ前人未到の「境地」があると私は思います。



第七十七回 久々のたっぷり小三治――第173回朝日名人会
柳家小さん「一人酒盛」


第七十七回 久々のたっぷり小三治――第173回朝日名人会
五街道雲助「景清」


第七十七回 久々のたっぷり小三治――第173回朝日名人会
柳家小里ん「お茶汲み」

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。