キーワードで振りかえる80’s 洋楽パラダイス

1970年生まれ(昭和45年生まれ)のotonano編集部員が語る80年代洋楽体験記

80年代洋楽メガヒット!PARADISE - MEGA HITS '80s連載企画②

MTV part2






Music video by Michael Jackson performing Bllie Jean. © 1982 MJJ Productions Inc.



マイケル・ジャクソンがM T V で放送されることが大事件! ?



  1982年12月、マイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』が発売された。ポール・マッカートニーとのデュエットでアルバムからの第1弾シングル「ガール・イズ・マイン」はミュージックビデオ(以下MV)こそなかったが、豪華な顔合わせだけで充分すぎる話題と高質な楽曲によって全米最高2位、ミリオンセラーを記録する大ヒットとなった。しかし、この時、マイケル・ジャクソンは水面下でMV制作に勤しんでいた。第2弾シングル「ビリー・ジーン」だ。

 

  “マイケル・ジャクソンがクールなビデオを作っているらしい”。そんな噂が業界内をかけめぐり、'81年の開局以降、視聴者を右肩上がりで増やしていた最も勢いのある新メディアMTV の対応が注目された。なぜならば、今では考えにくいことなのだが、当時のMTV は事実上の白人ロック専門放送局として認知されていたからだ。

 

  有料ケーブルテレビだったMTV のメイン顧客は多感な10代の子供を持つ比較的富裕な白人家庭。MTV 上層部は残念ながらも差別意識がある保守的なクライアントの顔色を伺い、当初はマイケルの放送を「ロックじゃないから」を理由に拒否したのだ。これにはマイケルが所属するCBSレコードもMTV に対して激しく抗議。「マイケルの新作ビデオをオンエアしないなら同社全アーティストのビデオを提供しない」。ビジネスを超え、一気に人種問題までが露呈した。

 

  大人たちの事情によって運営されているMTVだが実際に画面を観ていたのはキッズ。「ロックは良いのにはブラックはどうしてダメなの?」「ギターはエディ・ヴァン・ヘイレンだよ!」「最高にカッコいいアーティストを映さないMTV じたいがクールじゃない」「もうMTVは観ない」……これが実際の試聴者のリアルボイスだった。生まれながらテレビ時代のキッズたちは純粋なまま、声高にビジュアル時代の寵児マイケル・ジャクソンを求めたのだ。






Music video by Michael Jackson performing Beat It. © 1982 MJJ Productions Inc.



マイケルがMTVを、MTVがマイケルをメジャーに押し上げた!



  そしてむかえた運命の'83年3月2日。MTV が初めて黒人マイケル・ジャクソンのビデオを放映した。豪華セットの中をキレのあるダンス闊歩、近未来的な光るタイルを踏みながら、決めポーズはつま先立ち! 「ビリー・ジーン」は、瞬く間に全米で大反響を呼びMTVに問い合わせが殺到、3月5日付ビルボードHOT100では1位を記録(7週連続/年間2位)。

 

  第3弾シングル「今夜はビート・イット」では破格の制作費を費やしたマイケル・ジャクソン版のウエスト・サイド・ストーリーを完成。ヘヴィローテーションを展開したMTVの契約数もうなぎのぼりとなった。この曲が4月30日付ビルボードHOT100で1位(3周連続/年間5位)を独走するなか、さらにマイケル・ジャクソンの人気と、MTVの知名度アップに拍車をかけるさらなる“事件”が起こる。

 

  3月25日に特別ゲストに招かれた古巣MOTOWN25周年記念パーティでマイケル・ジャクソンは「ビリー・ジーン」を披露。のちの伝説となる“ムーンウォーク”生パフォーマンスを敢行。その模様を収めた『MOTOWN25』が当時の3大ネットワークNBCで5月16日に全米放送された。「MVには収録されていなかったけれどあのダンスはいったい何?」。瞬く間に口コミは全米拡散された。

 

  当時は録画文化前夜。噂のムーンウォークを観たいがためにミュージックビデオを流し続けるMTVに契約加入者が続出。しかしエンタメ情報も受け身時代。ビデオの中ではムーンウォークをしていないことが発覚すると抗議する騒ぎにまで発展、それがまたニュースとなり世界中に発信された。マイケルがMTVをメジャーメディアにして、MTV がマイケルを正真正銘のスーパースターにしたと言っても過言ではないのだ。






Music video by Michael Jackson performing Thriller. (C) 1982 MJJ Productions Inc.




米国の根深い人種の壁を超えた史上最大のスーパースター!


  アルバム『スリラー』からの最後のシングルで表題曲「スリラー」では、『ブルース・ブラザーズ』('81年)『狼男アメリカン』('82年)のジョン・ランディス監督を迎え、約14分のショートフイルムを完成させた。制作費は当時のMVの平均制作費の10倍の約1億2000万円。MTV視聴者はマイケル・ジャクソンの狼男への変身とゾンビ・ダンスを度肝を抜かされた。「スリラー」のMVは、もはやミュージックビデオも超えたアイコンとなり、この時点でマイケル・ジャクソンは追随を許さない孤高のエンターテイナーとなった。

 

  '84年の時点でアルバム『スリラー』はアメリカ史上初の2000万枚のセールスを突破した('16年現在3200万枚)。アメリカ合衆国という成り立ちでこれだけの天文学的な数字を打ち立てるということは、白人も黒人もヒスパニックもなく多様な人種が支持することが必至であり、じつはこれが最も困難なこと。今から30年以上も前に、当時の新鋭メディアMTVを介し、人種のるつぼを打ち破ったエンタメ史実は、2009年マイケル死後、彼を称える偉業の中で最もスリラーなことだったと筆者は確信している。

文・安川達也(1970年生まれ/OTONANO編集部)



ザ・コレクション

品番:DYCP-1591  価格:¥10,000

ザ・コレクション

ご購入はこちらから







80s 洋楽パラダイスサイトはこちら



paradise

品番:DYCS-1152  価格:¥10,000

CD5枚組/全90曲収録/歌詞・解説付

ご購入はこちらから