京須偕充氏 特別寄稿

「夭折した噺家、桂 小金治」
 十一月三日に桂 小金治さんが八十一歳で亡くなった。そのニュースの多くは、かつてテレビのワイドショーで鳴らした司会タレントの大物の他界として報じ、ついでのように"落語家でもあった"、"落語家から転身し"と添えるのみで、どんな落語家であったかにはほとんど触れていなかった。



 無理もない話で、格別落語に関心のない人は着物姿で正座した桂 小金治の姿が想い浮かばないのではないか。



 桂 小金治は夭折した噺家だった――、といま初めて言えるようになったとは、悲しいことだ。夭折するとは若くして死ぬこと。"落語家としては"のことだとはいえ、本人が健在であれば、とても言いにくいことだからだ。



 桂 小金治が落語の正規兵として活躍し、注目されていた期間は入門から十二年間ほどにしかすぎない。生まれは大正十五年、終戦直後の昭和二十一年に初代桂 小文治に入門して前座名は小竹、二ツ目になって小金治。とても上手でメキメキ腕を上げて将来が楽しみといわれていたが、昭和二十六年に松竹映画にスカウトされ、バイプレーヤーとして重宝されて高座出演の機会が減った。さらに松竹から日活へと移籍。



 昭和四十一年に「アフタヌーン・ショー」の司会役になって、もらい泣きする熱血のホスト「泣きの小金治」で大売れし、落語をやる時間がなくなってしまった。



 タレントとしてきらめく桂小金治の体内で落語家・小金治は眠れる森の美女のように若手ホープのまま生きていた。一度仮死状態になった噺家・小金治は昭和五十年代に入って蘇生し始めた。



 時折り寄席へゲスト出演しているので会ってみると持ち続けていた落語への思いが吹きこぼれるようで圧倒された。独演会をやって録音しましょう! 話はスムースに運んで「桂小金治1」のアルバムが誕生した。将来は名人かといわれた三十代の小金治の芸が五十八歳の小金治の肉体を借りて高座からほとばしる。古くて新しい芸の不思議が、このアルバムの特異な魅力だろう。



 いま、平成十年代の、七十八歳と八十歳の桂小金治のアルバム2を準備中だ。ここでも若さと老いの見事な均衡に少しの衰えもない。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。