落語 木戸をくぐれば

第87回「『死神』は変わる」
 昭和の末から平成の初めにかけて、『死神』はかなり〝流行″った噺だ。中堅や若手が競って演じていた。おもしろいストーリーで、奇抜なところもある。笑いの要素にも事欠かず、しかも人情噺とは別種のアンダーな空気が漂う一面がある。そしてサゲは今なお試行錯誤が公認されている。意識ある演者の意欲をそそってやまない名作ということか。



 その素地を確立したのは戦後の六代目三遊亭圓生だった。人間の生命の消長を司る蝋燭の火のつなぎに成功して娑婆に凱旋する初代三遊亭圓遊系の改作版を演じる人が多いなか、圓生は二代目三遊亭金馬の演出に沿って『死神』を自分のものにした。二代目金馬は我こそ原作者・三遊亭圓朝から『死神』の直伝を受けたと称していた。



 火のつなぎに失敗して演者自身が前へ倒れて主人公の死を表し、噺の結末を告げる特種なサゲは、多分に芝居がかった圓生の芸風にはぴったりだったので評判になった。『死神』をオリジナルに戻す上で大きな力を発揮したのだった。



 主人公が「消えた」と言って倒れるのが本来だが、のちに圓生は消えた瞬間にはもう口が利けないはず、と考えて「消える」と言うようになり、それではサゲとして締まりに欠けると思ったのか「消えた」を死神に言わせ、次の瞬間に主人公が倒れるという段取りにした。



 少々不気味なこの結末をもう少し一般性のある、そしてパッとしたものにしたい。明治の初代圓遊の改作意図が再び点灯したかのように柳家小三治はサゲを変えた。圓生流の『死神』を圓生の弟子の三遊亭圓彌に習った際に圓彌から聞いたというあるアマチュアのアイデアがヒントだった。



 火のつなぎには成功するが、不用意に出たクシャミ一発で火が消えてしまう、小三治のこの大胆なサゲの変革が大きな刺激となって立川志の輔などのそれぞれ独自なサゲが生まれ、『死神』に花が咲いた。



 しばらくの間、小三治はくしゃみのあとに前に倒れる形をしてオリジナルとの折り合いを付けていた。その後少しずつ簡略になって、結局クシャミだけでサゲる手法にまで進化している。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。