落語 木戸をくぐれば

第86回「イチニン、ニニンとミタリ」
 落語には『二人旅』『三人旅』の二種の噺がある。似通うところもあるが別の噺だ。読み方は「ニニンタビ」と「サンニンタビ」。



 ところが近頃――、そう、平成十年代後半からの落語ブームとやらで落語ファンがにわかに増えたあたりからだが、『二人旅』を「フタリタビ」という人がかなりいる。落語家二人が競演する「二人会」も「ニニンカイ」の代わりに「フタリカイ」と読んで憚らない。



 一般に人数の数え方はヒトリ、フタリ、サンニン、ヨニン……だと思われているから、これが自然のなりゆきだと言えば言える。



 だがヒトリにはイチニンというもうひとつの立派なことばがある。文法の一人称をヒトリショウと読んだら間違いだ。落語は一人芸(イチニンゲイ)の代表。食事の単位「一人前(イチニンマエ)」は人間の一定の能力と資格さえ表している。



 ニニンもまた今なおよく口の端に上る。二人称、二人三脚、二人組、余興の二人羽織。食事量はもちろんニニンマエ、力の強い人はニニンリキ。



 では二人は本来「ニニン」で、「フタリ」は俗語なのかといえばそうでもない。「仮名手本忠臣蔵」六段目には二人侍(ニニンザムライ)が登場し、長唄舞踊の「二人椀久」「二人道成寺」も「ニニン……」だが、能の「二人静」は「フタリシズカ」、狂言の「二人大名」「二人袴」は「フタリ……」という。仮名草子には「二人比丘尼(フタリビクニ)」がある。



 なお、ヒトリ、フタリに続いて今は廃れたミタリ(三人)があり、四人はヨタリで、落語の人物は今も「ヨッタリ」と発音している。



 ニニンとフタリのどちらが正しいか、などは無益な詮索だろう。日本語にはそれぞれ古い由緒があるのだから、落語を好むつもりの人はせいぜい言い慣わしを大切にしてほしいと願うばかりだ。



 フタリカイはかの立川談志が定着させた「ひとり会」の副産物なのかも知れない。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。