落語 木戸をくぐれば

第83回「江戸落語と上方落語」
 上方の落語が江戸・東京の落語に、また江戸・東京の噺が上方の噺にいわば移住してそれぞれで演じられている例は数え切れないほどにある。上方のほうが親であるケースが優勢だといわれている。



 典型的なのは上方の『時うどん』と江戸・東京の『時そば』だろう。プロットの基軸は同一だが上方の「うどん」が江戸・東京で「そば」に変えられただけでなく、料金をたった一文ごまかす軽犯罪を犯す男とそれを真似て犯そうとする男の関係が全く別で、笑いと芸についての東西の趣味の違いが感じられる。



 日本全国で同じものを同時に見たり聴いたりすることが可能な現代では、昔のように地域固有の芸能が培われ、それが他の地域に移ってそこの水にあうものに変身するというような現象が見られなくなった。昔は芸人が東西を往き来する過程で限りなく個人的に、従って長い時間をかけて噺の交流が生じたのだった。



 三代目柳家小さんは明治期に多くの噺を上方から東京に移したことで知られる。『らくだ』、『うどんや』、『睨み返し』などのほか、『高津の富』を『宿屋の富』に変えている。



 その小さんの弟子の小はんが江戸落語の『酢豆腐』を東京落語『ちりとてちん』に改作したあと一時大阪に在住したため、『ちりとてちん』が大阪で広まって上方落語の主なレパートリーになったという、ささやかにして大きな伝播の例もある。



 東西には今もことばや風俗、気質の違いがあるので舞台や人名を変えるだけでは噺に第二の人生が生まれない。『時そば』と『時うどん』のように多少なりとも別人格に生まれ変わる必要がある。それが無理な噺は東京、上方それぞれの固有種として生き続けている。



『手水廻し』も『軒付け』も東京化しなかった噺だ。とくに『軒付け』は義太夫の本場ならではの噺で、芸自慢の素人が門付けよろしく各戸を巡る風習は江戸には全く馴染まない。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。