アーカイヴ配信スペシャル 伊藤銀次のPOP FILE RETURNS

第40回「特別番組:永遠のナイアガラ・サウンド」~大瀧詠一さん、ありがとう~ その2
2014/01/31 配信

第40回「特別番組:永遠のナイアガラ・サウンド」放送後記 from 土橋一夫

「POP FILE RETURNS」第40回放送、お楽しみ頂けましたか?

今回も前回に引き続き、大瀧詠一さん追悼特別番組の後編をお届け致しました。

今年に入ってから各ラジオ局をはじめ様々なところで追悼番組が放送され、また日常のシーンでもいつも以上に大瀧さんのナンバーを耳にする機会が確実に増えました。

番組でも冒頭でかけましたが、「青空のように」という曲はノヴェルティ路線から『ロング・バケイション』へと移行するその中間期にリリースされたこともあり、大瀧さんが持つ様々な音楽的要素がここに凝縮されているような気がします。

そう考えながらもう一度この曲を聴き直して頂けたらと思います。

番組では、ナイアガラが実は東芝とリリース契約したかも知れなかった、というところから、つい昨年uncle-jamのライヴに大瀧さんが訪ねて来られた話まで、様々なエピソードが飛び出しました。

「縁」を大切にされてきた大瀧さんですから、その思いはこれから私たちやリスナー、ファンの皆さんで一緒に継承していけたらと思います。

またココナツ・バンクとして出演した1973年9月21日の文京公会堂でのライヴ「CITY -Last Time Around-」でのこと(キャラメル・ママに負けるなと叱咤激励された話も!)や、布谷文夫さんとのレコーディング話、福生でのセッションについて、大瀧さんの別名の話、シングル「幸せにさよなら」のことから最近の映画研究、NHK FMで放送されてきた「アメリカン・ポップス伝」についてなど、今回も様々な話が飛び出しました。

大瀧さんの追悼特集はとりあえず今回までですが、この番組ではこれからも大瀧さんの残して下さった作品の素晴らしさと、大瀧さんから学んだ様々なことを語り継いでいけたらと思います。

「いつまでも、あると思うなナイアガラ。あとは各自で!」この言葉の通り、大瀧さんの遺志を汲んで、これからも皆さんと一緒に音楽シーンを盛り上げていけたら嬉しいです。


改めまして、大瀧詠一さんに感謝を申し上げますと共に、謹んで哀悼の意を表します。


さてこの番組では、リスナーの皆様からのご意見やご要望をお待ちしておりますので、是非番組ホームページの「投稿フォーム」からお寄せ下さい。

今回の追悼特別番組を聞いてのご感想、また通常回のトークのテーマも募集しております。

過去の放送の再配信も期間限定ですがスタートしておりますので、是非チェックしてみて下さい(スマートフォンにも対応しております)。

それでは第41回の放送をどうぞお楽しみに。次回はゲストに楠瀬誠志郎さんをお迎えしてお送り致します!

出演者プロフィール

伊藤銀次
伊藤銀次(いとう ぎんじ)
1972年、バンド"ごまのはえ"でプロ・デビュー。プロデュース依頼が切っ掛けで大瀧詠一と出会い、はっぴいえんどの解散コンサートに"ココナツ・バンク"として出演するが、ほどなく解散。その後一時期、"シュガー・ベイブ"に在籍し、名曲「DownTown」を山下達郎と共作、また大滝詠一、山下達郎と共に『Niagara Triangle Vol.1』に参加。1977年に初のソロ・アルバム『Deadly Drive』をリリース。その後はアレンジャー/プロデューサーとして沢田研二、アンルイスなど数々のアーティストを手掛ける傍ら、佐野元春のバンド"The Heartland"のギタリストとしても活動。
ソロ・アーティストとして『Baby Blue』『Sugar Boy Blues』『GET HAPPY』『LOVE PARADE』等を発表。1990年代以降はプロデューサーとして手掛けたウルフルズが大ヒットを記録。2007年からは、「I STAND ALONE」という弾き語りライヴを各地で開催し好評を得る。また杉真理らとの"マイルドヘヴン"や、L⇔Rの黒沢秀樹との"uncle-jam"など新たなバンド/ユニット活動も開始。
そしてデビュー40周年を迎えた2012年、ベスト・アルバム 『伊藤銀次 GOLDEN☆BEST~40th Anniversary Edition~』をリリース!
オフィシャルブログ:「SUNDAY GINJI」
RIO
RIO(リオ)
1974年 三重県生まれ4人姉妹の末っ子
1983年 小学校3年生の時、お絵描き教室の先生にANDY WARHOLの作品集を見せてもらい衝撃を受ける。
1989年 中学校を卒業し、ようやく念願のアメリカへ単身渡る。
1992年 The Cambridge school of Westonを卒業。
東海岸の芸術大学への奨学金制度をもらうが、寒さのあまりカリフォルニアへ。
西海岸カリフォルニア、サンフランシスコのThe Academy of Art college入学
1994年 大学を修了 / オーストラリアへ
1995年 帰国し大阪で輸入の仕事や営業ウーマンを経験
1998年 アルバイトをしながらバンドを組み、ライブをやっていた時にラジオ関係者に声をかけられラジオの世界へ。
大阪を中心に名古屋のZIP-FM、JFN全国ネットなど、FMラジオのDJやMCとして順調に活動していたが
2014年 大阪を離れ、上京。
現在は画家の活動を中心にラジオの番組も続けている。
ラジオDJやMCなどメディアの仕事ではRIOとして活動。
画家としてはRIO UMEZAWAとして活動。
Rio Umezawa Official Web Site
--アーカイブ配信 パーソナリティ紹介--
土橋一夫(どばし かずお)
テイチク等を経て(有)シャイグランス代表となり『Groovin'』を創刊、また"Surf's Up Design"を設立しアート・ディレクターとしてジャケットや書籍等を多数手掛ける。ディレクターとしては杉真理、村田和人、玉城ちはる等の新作、細野晴臣、伊藤銀次、杉真理、須藤薫、村田和人、フィル・スペクター関連やA&M等の再発を担当。著書に『ジャケガイノススメ』、編・監修書に『ザ・ビーチ・ボーイズ・ダイアリー』等がある。K-MIX「ようこそ夢街名曲堂へ!」のパーソナリティ/構成を担当中。FLY HIGH RECORDS主宰。
能地祐子(のうじ ゆうこ)
東京生まれ。大学時代から音楽ライターの仕事を始め、現在に至る。音楽誌を中心に、ロックからJ-POP、アイドル歌謡までジャンル問わず評論、紹介記事を執筆中。音楽以外の趣味は、野球観戦。

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