志ん朝東宝 スペシャルサイトへ戻る

ご購入はこちらから
Sony Music Shop

志ん朝 東宝発売記念WEB企画
「志ん朝師匠を語ろう。」

「志ん朝 東宝」発売を記念し、

いろいろなジャンルでご活躍される方々に、

志ん朝師匠へのあふれる想いを語っていただきました。

それぞれの心の中に今も生き続ける古今亭志ん朝をぜひ感じてみてください。

※白枠の中をクリックするとコメントが開きます。

高田文夫(放送作家)
高田文夫(放送作家)
心の中の銀座には、いつでも古今亭志ん朝が…
コメントを読む

---プロフィール---

1948年、東京都出身。
日本大学藝術学部放送学科卒業後、放送作家の道へ。
『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)他、数多くのヒット番組を手がける。
1989年からラジオパーソナリティーとして『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)を担当。
著書に『誰も書けなかった「笑芸論」』(講談社)他。
最新刊『私だけが知っている金言・笑言・名言録』(新潮社)が4月27日発売。
『高田文夫の大衆芸能図鑑』(小学館)が5月末発売。

東出昌大(俳優)
東出昌大(俳優)
父親の影響で聴いた志ん朝師匠にドハマリした20歳の頃…
コメントを読む

---プロフィール---

1988年2月1日生まれ 身長189cm
作品歴
映画
2016年「ヒーローマニア-生活-」 (主演)豊島圭介 監督
2016年「クリーピー 偽りの隣人」 黒沢清 監督
2016年「デスノート 2016」 (主演) 佐藤信介 監督
2015年「GONIN サーガ」 (主演)石井隆 脚本・監督
2014年「寄生獣」 山崎貴 監督
2014年「クローズEXPLODE」 (主演)豊田利晃 監督
2014年「0.5ミリ」 安藤桃子 監督
2014年「アオハライド」 三木孝浩 監督
2013年東京駅開業100周年記念映画「すべては君に逢えたから」 本木克英 監督
2012年「桐島、部活やめるってよ」(菊池宏樹役) 吉田大八 監督
舞台
2015年「夜想曲集」 カズオイシグロ 原作/小川絵梨子 演出
TV
2016年放送90年NHK大河ファンタジー「精霊の守り人」 上橋菜穂子 原作/大森寿美男 脚本 NHK
東出昌大 ユマニテHP

雲田はるこ(漫画家:昭和元禄落語心中作者)
雲田はるこ
(漫画家:「昭和元禄落語心中」作者)
イラストに込めた志ん朝愛…
コメントを読む

---プロフィール---

栃木県出身。2008年短編「窓辺の君」でデビュー。
2009年にBL(ボーイズラブ)作品の初単行本「窓辺の君」(東京漫画社)を出版。
2010年より初の非BL作品であり、落語を題材とした漫画「昭和元禄落語心中」を雑誌「ITAN」(講談社)にて連載開始し、現在も連載中。
同作は2012年度版「このマンガがすごい」2位にランクイン。
同年、マンガ大賞にもノミネート。
2013年度手塚治虫文化賞ノミネート。
2014年に第17回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第38回講談社漫画賞一般部門を受賞。
また2016年にTVアニメ化もされている。最新9巻が好評発売中。
三浦しをんのベストセラー小説「舟を編む」の挿絵など、イラスト活動も。
昭和元禄落語心中公式サイト

中野翠(コラムニスト)
中野翠(コラムニスト)
志ん朝落語の余韻と金木犀の香りに陶然となった夜…
コメントを読む

---プロフィール---

1946年生まれ埼玉県浦和市出身
早稲田大学政経学部 卒
出版社勤務をなどを経て文筆業に。
1985年から「サンデー毎日」誌上にて連載コラム。現在まで続く。
著者に「小津ごのみ」「今夜も落語で眠りたい」
「この世は落語」「いちまき―ある家老の娘の物語」など多数。

「いつも心に古今亭志ん朝」
  高田文夫(放送作家)

小さい頃、上野や浅草の寄席へは行った事がなかった。渋谷生まれで世田谷育ちだったのでもっぱら新宿末廣亭か銀座へ出て東宝名人会だった。この“志ん朝 東宝”を聞いていると、客席の笑い声の中に私が居る。ネタ帖が特典で付いているのだが「演芸鶯宝恵帳」と表紙にはあり、中にトップバッターで志ん八、トリに志ん朝そして“かっぽれ”であるがこの文字こそ東宝名人会にいつも居た寄席文字の橘右近師匠の弟子でのちに志ん朝に入門して志ん八。52歳の若さで亡くなった我が盟友・古今亭右朝の筆跡である(平成13年4月逝去。同年10月に志ん朝逝く)。


志ん朝は下町の寄席よりも日比谷の劇場(よくお芝居に出ていました)や、客席が扇型のこの東宝名人会がよく似合ったような気がする。江戸の町からスポーツカーで、サーッとやってきたような噺をするのだ。東京っ子としては何とも心地よい。都会的でスマートで洒脱でアカ抜けててモダンなナイスガイ(事実モダンジャズも好きだった)。加山雄三は演じなかったが言ってみれば“落語の若大将”である。柳朝とイイノホールでやっていた「二朝会」へは学生時代、私と田島(のちの右朝)とでせっせと通った。当時素人落語ではぶっちぎりの面白さとうまさを誇ったふたりだが二朝会の帰り、一杯呑んでは「やっぱりオレ達より志ん朝の方がうめぇな」などほざいていた。


志ん朝の写真テレビではフジテレビが平日の昼の帯「お昼のゴールデンショー」をヒットさせていた。有楽町ヴィデオホールから公開生放送の形(これがのちに新宿アルタからの「笑ってる場合ですよ」「笑っていいとも」につながる)。司会はマエタケ(前田武彦)とデビューしたてで元気のいいコント55号。私が社会へ出た時、この番組はもう息切れしていて司会はケーシー高峰と古今亭志ん朝のコンビにバトンタッチしたばかりだった(ここでも志ん朝は有楽町である)。放送作家の見習いとして最初についた仕事が、ゆうべからその日までに起きた面白そうなニュースネタをメモってリハーサルの時にMCふたりに「これです」と毎日毎日渡すこと。若き日からの憧れの君、志ん朝師は大きな鼻を広げて「アン」とメモを受けとるだけ。それだけのやりとりだが、もう胸は高なりドキドキ。この時、高田文夫22歳、古今亭志ん朝32歳。私の心の中の銀座には、いつもいつでも古今亭志ん朝が居る。

「金木犀の香る夜に」
  中野翠(コラムニスト)

1985年12月16日のことだから、もう30年以上前になる。

以前から落語には多少興味のあった私だが、その夜、TBS「落語研究会」で古今亭志ん朝の『文七元結』を聴いて、しんそこ感動。翌日には銀座山野楽器の落語コーナーに駆けつけて、あれこれ迷ったあげく何巻かのカセットテープ(当時はまだこれしかなかった)を買い込まずにはいられなかったのだ。


落語は壮大な宝の山だった。どこからどう手をつけていいかわからない。いちおう戦略的な計画を立てて、その山の中へと踏み込んでゆくことにした。まずは演目が少なくきっちりとした芸風の桂文楽を制覇して、そのあとに演目が多く“ぞろっぺえ”な芸風の古今亭志ん生を聴いてゆく。その間に、随時、古今亭志ん朝を織り混ぜてゆく――という戦略だ。

あとで考えると、この戦略は、(私にとっては、かもしれないが)なかなか有効だったように思う。


志ん朝の写真とにかく毎晩毎晩、落語を聴きながら眠りにつくというのが就眠儀式のようになった。落語というスタイルにこめられた江戸→東京の笑いのセンスにホレボレし、頼もしささえ感じるようになった。何人もの落語家の噺を聴くようになったけれど、その技術、そのセンス、所作……すべてにおいて、やっぱり志ん朝が突出してすばらしいと感じずにはいられなかった。

1997年から99年の秋だった。名古屋の大須演芸場での志ん朝三夜連続講演会(毎年10月)にも泊まりがけで行った。その頃すでに志ん朝さんは体調を崩されていたのだったが、素晴らしい口演だった。

演芸場からホテルへと帰る途中の公園では金木犀が花盛りで、甘い香りを漂わせていた。私は志ん朝落語の余韻と金木犀の香りに陶然となった。志ん朝さんは2001年10月1日に急逝された。私は毎年の御命日をひそかに木犀忌と呼んでいる。

「僕の中の最後の名人」
    東出昌大(俳優)

僕が20歳のころ、父に「音楽でも聴きなよ」ってプレゼントしたipod用に、父が最初に買ったCDが志ん朝師匠と枝雀師匠だったんです。それまで父が落語を聴くっていうのも知らなかったんですけど、父が好きなら聴いてみようと、僕も自分のMP3に録音して聴いているうちに志ん朝師匠にドハマリしました。


そこから数年は、CDはもちろん、CDに収録されていない高座を、動画サイトで探したり。DVDボックスは「家宝だ」って言いながら全部買いました。ほんとに志ん朝師匠が好きで、志ん朝師匠がお亡くなりになった枕元で、弟子の方々と一緒に泣くって夢を見たくらい大好きで、憧れの存在です(笑)。


これはもう「褒め過ぎだ」と志ん朝師匠が嫌がると思うんですけど。完成されていると思うんです、志ん朝師匠の落語って。テンポがよくて、華があって、嫌味がない。それに現代にはない、粋(いき)がある。着物、羽織、帯のセンスが素晴らしく、手に持っている手拭や扇子も僕は大好きです。要するにファッションと同じで、着飾っておごりのある人をかっこいいと思わないけど、志ん朝師匠には、そこに芸にも通じる謙虚な姿勢があるから、粋でかっこいいんですよね。


好きな志ん朝落語5本ですか? これ、難しいんですよねえ(笑)。では、ランキングをつけずに、『文七元結』『愛宕山』『真田小僧』『船徳』、あと1つどうしよう・・・・・・『居残り佐平次』。でも決められないです(笑)。志ん朝師匠の演る女性って艶っぽくて、子供は無邪気なバカっぽさがあってそれがまたかわいい。何をやってもうまく、しかもすべてに品があります。


言葉の面でもそうです。たとえば『船徳』に出てくる「船をもやっておく」とか、今「船をもやう」って言い方はわからないです。でも、それを「つないでおく」と変えない。わかる人にわかってほしいっていう志ん朝師匠の思いがあるから、聴いていれば伝わるし、「もやっておく」って言葉のきれいさもわかる。古きよき日本の、善意のようなものが志ん朝師匠には詰まっているような気がします。


志ん朝の写真それと役者になったからわかったことですが、リズムが心地いいんです。志ん朝師匠は、「あ」とか「へ」とか「うん」とか小っちゃく入れながら、そのリズム感で次の言葉につなげるんですけど、その天性のセンスっていうのがすごいなって思いますね。同じ演目でもお客さんの反応によって「はん」「ん」「つ」とか入る場所が変わる。それがまた「俺の芸で笑え」って言ってるんじゃなくて、そこに当たり前にいて笑わせるボケみたいなのがありつつ、舞台を華やかにして、観客にナチュラルに見せる技法ではあると思います。そのやわらかさや呼吸感、幅のある声と立て板に水のような語り方は、誰にもまねできない、志ん朝師匠の発明だと思います。


今回のCDボックスは、落語初心者の人にとってわかりやすい『時そば』や『風呂敷』などがよかったですね。今までCDになってなかった『粗忽長屋』もおもしろかった。そういう世に出てなかったものを出していただけるのは、一志ん朝ファンとしてとてもうれしいです(笑)。『芝浜』も入っていて、珠玉の演目ぞろいですし、これは落語の教科書になると思います。


僕は、(三遊亭)金馬師匠、(立川)談志師匠、(金原亭)馬生師匠、(春風亭)柳朝師匠といった故人の師匠方も好きですし、現役の(柳家)喬太郎師匠、(立川)志の輔師匠、(立川)談春師匠、(古今亭)菊之丞師匠、(三遊亭)円楽師匠も好きで、いろんな落語を聴いています。それでも結局、まわりまわって志ん朝の落語に。何回聴いても飽きないです。志ん朝師匠が早くお亡くなりになり過ぎたので、その人物をここまで評価するっていうのは、ほかの諸先輩方が生きている今、難しいかもしれないですけど、やっぱり志ん朝師匠って落語をある意味完成させた、僕の中では最後の名人なんじゃないかなと思います。(談)

「もう泣かない」
  サンキュータツオ
    (芸人・渋谷らくごキュレーター)

志ん朝師匠が亡くなってから、何度も生の志ん朝師匠の高座を見る夢を見た。夢のなかの志ん朝師匠は、ニコニコと登場し、最初から最後までがまるで一曲の音楽であるかのような、心地よい高座を務める。夢から覚めると私はなぜか泣いている。それくらい、「生の志ん朝」のインパクトは強かった。


90年代から落語を聴きはじめた私にとって、志ん朝師匠はすでに最後の10年間を迎えていたことになるのだけれど、私が知る高座はとても晩年の人の高座とは思えない、枯れたものではなくまさに円熟味を加えた「絶頂期」に差し掛かったものばかりだった。


そしてすべての高座が、18歳の私でもわかる言葉で語られていた。しかし、若者や時代に迎合した芸ではなく「わかるように伝えていた」のであって、これは非常に高い技術が必要なことだということは、後々わかってきた。当時はなにがなんだかわからないけれど、「本物」に触れたと肌で感じることができる至福の時間だった。


もちろん、若い自分にはもっと魅力的に感じられる若い演者もいたし、彼らを追いかけもした。けれど、彼らを生で聴いて満足しても、心のどこかに「志ん朝」がずっといた。落語ファンが贔屓にする落語家さんはたくさんいる。だけど、どんな贔屓がいる人でも、落語ファンで志ん朝を嫌いという人には出会ったことがない。志ん朝師匠は私にとって「太陽」そのものだった。


夢のなかの志ん朝師匠は、いつも寄席にいる。私は、独演会での志ん朝師匠や、また針のムシロのような、ネタ出しをする会での志ん朝師匠よりも、寄席に出る志ん朝師匠が好きだった。のびのびしていて、それでいてお客さんに甘えすぎない、ほどよい緊張感の志ん朝師匠が好きだった。


生前出ていた、ソニーの音源は何度も何度も聴いた。緊張感を楽しんでいるような音源で、客席の雰囲気も大好き! けれど没後出たいくつかの音源や映像のなかの志ん朝師匠は、窮屈そうにしていたり、ノリきれていなかったりしているものもある。これも実像を掴むには大事なことなのかもしれない。けれど、今回の「志ん朝 東宝」の音源を聴くと、寄席のような温かい雰囲気のなかに、他流試合を挑まれたホール落語の緊張感もあり、それでいてお客さんは擦れてなくて反応もよく、聴いててとっても幸せな気持ちになった。たぶん、志ん朝師匠がニコニコしてる。


志ん朝の写真「粗忽小噺」はオペラガラを聴くような、小気味いいリズムと技術だけで客席が笑わせられていて、その横綱相撲ふりに震撼する。「粗忽長屋」はおなじマクラでも一本の落語のなかでの「まくら」として昇華していて、本編へのステップにしているのも興味深かった。客席から笑いがこぼれまくっているのだけれど、これ以上は笑わせないようにと、反応に引きずられずにテンポを崩さず一席やっている志ん朝師匠が超かっこいい!


最高の音源をありがとうございます。

これで夢を見て泣くことはもうないと思います。

雲田はるこ(漫画家:昭和元禄落語心中作者)

雲田はるこ作:志ん朝

志ん朝師匠のファンの者です。文章も素人なんでございますが、落語漫画を描かせて頂いたご縁で繋がらせて頂きまして光栄でございます。


志ん朝師匠の好きな所は、イラストに込めさせて頂きました。描いてみますと、意外と志ん生師匠に、お顔のパーツがソックリなんですな。特に鼻なんか瓜二つ。お喋りが上手そうな柔らかな大きな口、丸っと凛々しいお目々。そしてなにより眉毛が素敵です。雄々しいようで居て、柔らかな印象もあって、キリっともフワっとも怒ってるようにも困ってるようにも見えます。どっちに寄り過ぎても全然似なくなります。この色んな印象を与える眉毛が、表情豊かな志ん朝落語を支えてらしたのかもしれません。いつまで眺めても飽きないお顔。


また、志ん朝師匠の指先のしぐさも大好きです。まるで踊りの所作のようにピンと張りつめて、お猪口を取るだけのなにげない動作にも爪の先まで神経を張りつめてらっしゃるのが、よく見ると判りますが、落語を見ている時は全く気になりません。指先から色気は生まれると申しますが、そういう隅々までの気配りが、総じて志ん朝師匠の品や粋に繋がってるんだと思います。


こうして、志ん朝は最高だな。素敵な落語家さんだな、と思えば思う程、生の高座を拝見できなかった悲しみが襲ってきます。こんなに生で拝見できなかった事が悔しい落語家さんはいらっしゃいません。『志ん朝 東宝』を聞いて少しでもその穴を埋めようと思います。発売おめでとうございます、そして本当にありがとうございます。

志ん朝東宝 スペシャルサイトへ戻る