『新・人間国宝、柳家小三治 CD・DVD 特別ガイド』
柳家小三治さんが人間国宝に認定された。
おめでとうございます。
―だけど、国家の宝物だなんて、そんな~。実のところ困っちゃいましてね。
そんな反応がいちばん似合いの十代目小三治師匠。
だから国宝なんですよ、と言ってあげたい小三治さんでもある。ちょっとすねたり、ひねくれたり、照れたり、皮肉がピリッときいたり、そんな落語的エスプリをこれほど身につけた噺家は他にいない。いなかったと過去にさかのぼって断言してもいい。ただ上手に笑わせるというだけでは、かけがえのない無形の文化の保持者としては不足がある。
1983年以降、28タイトルの小三治CDをほとんど独占的に制作してきた立場から、まずはこれあたりから、こんなふうに聴いたらいかが。そんなお節介話を少々させていただきたい。
誰にもありそうな、ありふれた日常のひとこまを切り取ってきて、ありそうもないほどおもしろく仕立てる。それが落語なんです。
これが、かつての小三治さんの持論だった。今もそれに変わりはないだろうが、ありそうもないほどおもしろく、のくだりは誤解を避けて言い方を修正するのではないか。無闇矢鱈の爆笑を手柄とはしない芸だからこそ宝なのである。
そんな小三治さんの真髄を味わうなら、六十歳過ぎに収録された「野晒し」「お茶汲み」「船徳」の三枚がお奨め。主人公の奇行奇態を一歩引いたポイントからフォーカスして演じた「野晒し」のおもしろさは格別で、すこぶる個性的。しかも本来のサゲまでのたっぷり口演。悠々落語に遊ぶ究極の境地だ。
同じ頃の「ドリアン騒動記~備前徳利」は小三治さんの自在な高座さばきの記録として後世に残る。死の床にあった古今亭志ん朝のピンチヒッターとして朝日名人会の高座に上がった小三治さんは、南国のフルーツ、ドリアンの臭いに閉口した個人体験の「ま・く・ら」でたっぷり笑わせ続け、もう古典落語はやるまいと客に思わせながらも、渋い小品「備前徳利」で一転、会場を引き締めたのだった。こんな離れ技は誰にもできない。
ま・く・らジャンルでは3枚のCDがあって、海外体験を語った2枚もとびきりおもしろいが、小三治さんのその後の自然体の芸の美学に通じるものとしては「玉子かけ御飯/駐車場物語」がいちばんで、ごく普通の日常がこんなに笑いのタネになり、知らず識らずの人間賛歌になっていくことに驚かされる。
なお、もう1枚の「歌ま・く・ら」は六十歳過ぎの新境地で、ほろにがい青春の回顧を語りつつ、ピアノの伴奏で抒情歌を熱唱している。人間・小三治の原点を感知するには欠かせない異色のアルバムだろう。
こうした柳家小三治の世界はしかし、一夜にして成ったものではない。三十代後半から五十歳代にかけての一連の古典落語のCDを聴かずして小三治落語の不動の中核と年齢による変貌の軌跡を語ることはできない。小三治十八番というべき「百川」「死神」「厩火事」「鼠穴」「二番煎じ」「あくび指南」「らくだ」「厄払い」「芝浜」「大工調べ」「初天神」「小言念仏」「味噌蔵」「かんしゃく」などなどは必聴のものと申し上げたい。
近年あまりやらなくなった「文七元結」「宿屋の仇討」「提灯屋」「藪入り」「不動坊火焔」「子別れ(通し)」などの録音も残すことができた。
昨今の自在な語り姿勢が決して崩れを招かないのは、壮年期に噺の骨格が揺るぎなく整い、ドラマティックな迫真力と克明な描写力の基礎があったからこそなのだ。
ただし、天性のものと思われるおトボケのアングルは今も昔も一貫して健在を誇っている。
また小三治さんにはDVDの全集が3巻もある。これまた三十歳代から三十年間の高座映像を集大成していて、CDにはない演目もある。
独特の表情や目配りをつぶさに見ることが出来る楽しみはまた格別だが、「ま・く・ら」的なものはない。それでも晩年になるほどしみじみ自分を語っているのが見てとれる。
若い頃の小三治さんがちょっと辛口のハンサムであることもご確認いただきたい。
柳家小三治の落語商品一覧はこちら 柳家小三治スペシャルページ京須偕充(きょうす ともみつ)
1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。
バックナンバー
第1回~第10回
- 第1回「きょうは何をしゃべろうか」
- 第2回「噺を覚える」
- 第3回「志ん生は不貞腐れた」
- 第4回「落語家と着物」
- 第5回「小さんに虫がついた」
- 第6回「落語家とタレント」
- 第7回「圓生の日常ことば」
- 第8回「史上最高の柳昇」
- 第9回「五代目圓楽の大調子」
- 第10回「小さんの剣法」
第11回~第20回
- 第11回「志ん生遅咲きの開花」
- 第12回「日常であって日常ではない小三治落語」
- 第13回「可楽の魅力」
- 第14回「志ん朝さんさようなら」
- 第15回「亭号と名跡」
- 第16回「昭和は長く、志ん朝は・・・・・・」
- 第17回「圓生の着物」
- 第18回「小さんの超世代ぶり」
- 第19回「四天王」
- 第20回「子どもの落語家」
第21回~第30回
- 第21回「団体真打のルーツ」
- 第22回「志ん生と寿命」
- 第23回「無舌居士と小三治」
- 第24回「志ん朝と年齢」
- 第25回「三代目金馬の功績」
- 第26回「落語の熟成」
- 第27回「歌われた桂文治」
- 第28回「小さん三代と女」
- 第29回「真打と人情噺」
- 第30回「志ん朝とドイツ」
第31回~第40回
- 第31回「志ん朝と独演会」
- 第32回「国境線にて」
- 第33回「志ん生と道楽」
- 第34回「志ん朝の自由と規律」
- 第35回「稽古――噺をあげる」
- 第36回「落語の題名」
- 第37回「一秒でも早く出たい」
- 第38回「トンガリの正蔵」
- 第39回「『小言幸兵衛』に小言」
- 第40回「師匠の一日」
第41回~第50回
- 第41回「志ん朝の歩きと蕎麦」
- 第42回「田圃の稽古」
- 第43回「席亭とは」
- 第44回「小さん師弟の絆」
- 第45回「志ん生が増やした名前」
- 第46回「圓生の唄」
- 第47回「堂々の初代・桂歌丸」
- 第48回「金馬と時局落語」
- 第49回「真犯人は?」
- 第50回「亭号と楼の字」
第51回~第60回
- 第51回「志ん生の不思議」
- 第52回「らくだ」
- 第53回「熱血漢・今輔」
- 第54回「正直者も笑いを生む」
- 第55回「しゃべれどもしゃべれども」
- 第56回「消えては惜しい噺」
- 第57回「大きな顔」
- 第58回「二人の志ん生」
- 第59回「題名」
- 第60回「もう一人の黒門町」
第61回~第70回
- 第61回「長篇人情噺」
- 第62回「三木助に間に合った」
- 第63回「前座噺と大真打」
- 第64回「五銭の価値」
- 第65回「貧乏長屋と高級長屋」
- 第66回「軍人と愛嬌」
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第71回~第80回
- 第71回「地獄極楽と天国」
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- 第76回「立川はタチカワではない」
- 第77回「落語と現実」
- 第78回「冗談落ちと噺の後半」
- 第79回「桂 小金治」
- 第80回「不動と火焔」
第81回~第89回
- 第81回「下り坂がなかった」
- 第82回「駕籠の話」
- 第83回「江戸落語と上方落語」
- 第84回「五代目今輔の新らしさ」
- 第85回「志ん生がやらなかった志ん朝の噺」
- 第86回「イチニン、ニニンとミタリ」
- 第87回「『死神』は変わる」
- 第88回「文楽と野球」
- 第89回(最終回)「志ん生と寿命」
特別寄稿ほか
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