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ソニー・ミュージックダイレクトの落語 来福
来福ロゴ京須偕充氏 特別寄稿

五街道雲助 聴きどころ特別ガイド

五街道雲助9「朝日名人会」ライヴシリーズ98「お初徳兵衛」「舟徳」発売記念 特別寄稿

確かな存在感を発揮し素晴らしい高座をみせる五街道雲助師匠の魅力を、朝日名人会プロデューサーであり雲助師匠の多くのCD制作を手掛けた京須偕充氏が解説します。
昔も今も昼は明るく夜は暗い。昼間の明るさは江戸も東京も大差がなさそうだが、夜の暗さは現代の東京と江戸とでは比較にならないだろう。電灯のなかった江戸は、月がなければ漆黒の闇に閉ざされていた。

久しく江戸ブームといわれ、テレビの時代物ドラマや歌舞伎の舞台で江戸の夜を味わうのに造作はないが、どれを見ても江戸が明るすぎて、いかにもマガイモノの夜の感がある。

といってホンモノの暗さにすれば見えなくなってしまうのだから、それはリアリズムの限界という以前の問題で、もう私たちは江戸の夜を実感することなど、できない相談なのだ。しかし江戸を描いた噺や芝居はまだまだたくさんあって現役性を失ってはいない。解決策はないものか。

ホンモノの闇を目で見るのはもう難しい。耳で聴いて瞼にホンモノを描くことだけが可能だ。想像には無限のパワーがある。小説を読んでも感覚的な明暗の想像は、ついなおざりになりがちなもの。練達の話芸を聴けば想像の夜はきっと、漆黒の闇をまざまざと描くだろう。

そこで当代・五街道雲助師匠の出番となる。これほど闇の美しさを語れる落語家は、いや語ろうとしていなくても自然に高座の背後に鈍く光る漆黒のヴェールが広がる噺家は他にいない。いや、いなかったと断言しよう。往年の圓生も正蔵も志ん生も、師の先代馬生もそれぞれに優れてはいたが、闇の原光の美というものを聴かせてはくれなかった。

噺のドラマの多くは闇を得て動く。行灯あんどんや提灯にゆらめく影が人間模様を情緒豊かに、ときには凄艶に映し出す。『真景累ヶ淵―豊志賀の死』の女の情念を聴けば、五街道雲助がいかにことばで闇の美を描く名手かが、誰にでもわかるだろう。むろん、その闇は人の心の暗部へとつながっている。

『文七元結』での五十両をめぐる長兵衛と文七との切実なやりとりも、演者が夜を描けてこそ無理のないなりゆきだと納得できる。

雷雨がにわかに運んだ闇の下、屋根舟の中で『お初徳兵衛』の二人がなれそめる場も暗い川面を描けてこそ堪能させられるまるで絵双紙のような濡れ場の美だ。これもまた五街道雲助以外の誰のものでもない。

ここまで言うと雲助イコール人情噺の巨匠という相場が立ってしまう。それに相違はないのだが、ユーモラスな夜の風味もまた格別で、闇におびえる男が主人公の『臆病源兵衛』のおかしさは類を見ない。『二番煎じ』や『替り目』も、時刻不詳でやっている例が多い中、雲助口演には深みも重みもあって笑いの根が一回り太くなっている。『芝浜』ではあすの晴れやかな元日が目に見えるような大晦日の夜をしんみり聴かせてくれる。

ベラベラ歯切れよくしゃべりまくるのが江戸前だという世間のそそっかしいイメージはいい加減に消えてなくならないと文化の先が思いやられる。五街道雲助が平成二十五年度芸術選奨を受賞したのはタイムリーな慶事だった。

京須偕充(きょうす ともみつ)
1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。
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